旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

本願寺

2020-11-04 18:08:58 | 京都
2020年11月3日、お参りしました。
説明書より「山号は霊鴫山と号す。奈良時代、聖武天皇の730年(天平2年)行基が行脚の途一樹に鴫が群集し経文を唱える如く飛ぶのを見て、その一樹で阿弥陀仏と千体仏を刻み開山されたという。平安時代の1004年(寛弘元年)恵心僧都(源信)が中興され当時六坊があったと云う。鎌倉幕府が開かれた年即、後鳥羽天皇の1192年(建久3年)浄土宗の開祖、法然上人が来住し後白河法皇追福の大法会が開かれ勅使が参向せられた。本堂勅使門は鎌倉時代の建築で本堂は平安時代の名残りを感じさせる優雅な建物である。」
京都府京丹後市久美浜町1
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山門

勅使門(京丹後市指定文化財)









鐘楼

観音堂

御影堂



本堂(重要文化財)
説明書より「丹後で最古の木造建築であると同時に、唯一の中世仏堂遺構として貴重なもので、鎌倉後期(1275-1332年)のものと見られている。桁行5間、梁間5間、単層入母屋造で、檜皮葺の屋根の勾配はゆるやかである。内陣中央には禅宗様の須弥壇と厨子が置かれ、本尊を祀っている。」








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神谷神社、参考館

2020-11-04 17:40:52 | 京都
2020年11月3日、お参りしました。
説明書より『神谷神社は通称「神谷太刀宮」「太刀宮(たちのみや)」と称し、式内社である神谷神社を合祀したと伝えられている。祭神として丹波道主命、八千過矛神、天神玉命、天種子命を祀る。丹波道主は四道将軍として丹波に派遣されたと「日本書紀」に記されいる。神社では丹波道主命が丹波平定の後、明神谷に出雲国より八千過矛神、天神玉命、天種子命の三座の神々を迎え、出雲の人々の歓心を得、社殿を創建したのに始まると伝えられいる。丹波道主命は、丹波河上摩須郎女をめとり、五子を授かる。その娘の日葉酢媛は第十一代垂仁天皇の皇后となる。神谷神社は旧郷社で、あり、社蔵文書によると、1596年(文禄5年)城主松井康之から用地寄進を受けたとされてる。』
京都府京丹後市久美浜町1314
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手水舎



鳥居(京都府登録文化財)
「石造明神鳥居で、1707年(宝永4年)に建てられたものである。」

狛犬



神門(京都府登録文化財)
「本殿の正面にあり、四脚門で、内部は格天井を張っています。江戸後期の特徴がよくあらわれています。」

本殿(京都府登録文化財)
「1781年(天明元年)に建てられた。桁行二間、梁行二間、一間の向拝付、入母屋造、桧皮葺の出雲地方に多い大社造り系統をひく建物であり、彫刻も精巧なものとなっており、「太刀宮造」と称され、この地方では例のない神社建築である。」







境内社八幡神社本殿(京都府登録文化財)











神谷磐座
「祭祀の時に神が降りて依り代となる巨岩の聖域として、大切に守られてきました。1年の太陽の動きは、夏至・冬至・春分・秋分を時計のように示すので、磐座で観察することにより、生活に必要な木の実の採取、狩猟、稲作などの最良の時期の指標としました。夏至の日の出は、かぶと山の山頂から上がります。その光は、磐座の中心になる石に差し込みます。」







皇大神宮

石碑

恵比須社





稲荷社・猿田彦神社











川裾社

参考館(京都府指定文化財)
「境内にある参考館は、旧久美浜県の県庁舎の一部分が大正12(1923)年に移築されたものです。
 旧久美浜県は、明治政府によって1868年(明治元年)閏4月28日に設置され、1871年(明治4年)11月に旧豊岡県と旧生野県に編入されて廃止となりました。旧久美浜県の管轄地域は、当初は現在の京都府北部、兵庫県西部、富山県東北部にわたっていました。旧久美浜県庁は、旧久美浜代官所跡地に置かれ、その場所は、現在久美浜小学校になっています。
 棟札銘文によれば、旧県庁舎が手狭かつ荒廃していたため、1696年(明治2年)秋に新庁舎の造営工事を始め、1870年_(明治3年)5月に完成したということです。大工棟梁は丹後国与佐郡大原村(現岩滝町)の高岡豊助義為でした。
 旧県庁舎の配置と間取りを描いた図面を見ると、敷地の三方を溝川が流れ、正面に「大門」が開き、後方は城山を崩した崖になっており、そこに「御役所」、「御玄関」、「御台所」の3棟の建物が渡り廊下で接続されて雄大な構えを見せていたことが窺(うかが)われます。
 その後、建物は一旦移築されて後身の豊岡県庁として使用され(「大門」は現在も豊岡市に保存)、さらに1923年(大正12年)に現在地に移建されました。
 参考館の屋根は、切妻造の一部入母屋造、桟瓦葺です。参考館の平面を旧県庁舎の図面と比較すると、全体がそのまま一致する箇所はありませんが、参考館の玄関まわりと向かって左側の3室続きの部分は、旧県庁舎の「御玄関」棟の外周部を一部除去したものにおおむね合致します。しかし、内部の間仕切り位置は全面的に変更されていて、内部はほとんど原型を留めていないことが推測されます。
 参考館は、旧県庁舎のごく一部が保存されているにすぎず、改造も少なくありませんが、外観は当時の面影をよく伝えており、久美浜の歴史を語るに欠かせない建物です。また、現在では数少なくなった明治初期における武家屋敷の流れをひく役所建築の遺構として、貴重なものといえます。」
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大乗寺

2020-11-04 16:39:32 | 但馬
2020年11月3日、お参りしました。
「高野山真言宗の寺院で、山号は亀居山、西国薬師四十九霊場第二十八番札所。寺伝によれば745年(天平17年)に行基が自刻の聖観音を本尊として創建したと伝えられています。客殿の各間に、円山応挙、呉春、長沢芦雪ら応挙一門による障壁画が描かれています。」
兵庫県美方郡香美町香住区森860
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門前茶店芭蕉庵

山門(兵庫県指定文化財)
「江戸時代の1855年(安政2年)建立、桁行三間、梁間二間、八脚門、入母屋造、桟瓦葺。」













境内より

客殿・庫裏(兵庫県指定文化財)
「江戸時代の1794年(寛政6年)建立、棟札により判明。桁行33.0m、梁間18.9m、入母屋造、銅板葺」







観音堂(香美町指定有形文化財)
「正面三間 側面五間 方形造 背面下屋取込み 銅板葺。」





瑠璃光殿



水子地蔵尊





鎮守社





クスノキ(香美町指定天然記念物)
「樹高約28メートル、幹周り約5.8メートル」





鐘楼

梵鐘
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八幡神社・法庭神社

2020-11-04 15:50:41 | 但馬
2020年11月3日、お参りしました。
帝釈寺に隣接して鎮座しています。鳥居には八幡神社と法庭神社の扁額が架けられています。
兵庫県美方郡香美町香住区下浜591-1 
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八幡神社
「創建は702年(大宝2年)と言われています。1873年(明治六年)、村社に列せられた古社。」
鳥居

参道



手水舎

二の鳥居

石碑



狛犬







拝殿



神門

法庭(のりば)神社
「八幡神社に合祀された。」
三番叟(香美町指定無形民俗文化財)
「十月5日の秋祭りの神事として『天下泰平・国土安穏・長久円満・息災延命』等を祈願し『踏子』と呼ばれる千歳・翁・黒子尉と謡手・鼓・笛・柏子木で構成され氏神に奉納される。三番叟の千歳・翁・黒子尉の三つに組まれた舞の中心は翁と思われ、それは悪霊を鎮め、人々祝言を述べ幸福をもたらす神であり、五穀豊穣を祈願する内容を表現している。三番叟は、三番猿楽という言葉で、方固めという四方へ向かって大地を踏み固める悪魔払いの呪術であったようで、室町時代より始まったとされている。三番叟は『舞う』ではなく『踏む』といっているのはそうした踏み鎮めの祈祷のなごりと考えられている。」
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帝釈寺(たいしゃくじ)

2020-11-04 15:50:25 | 但馬
2020年11月3日、お参りしました。山号を喜見山(きみいさん)と号す。真言宗高野派に属す。
説明書より「この寺の、本尊帝釈天は聖徳太子が自らお刻みになった尊像ですが、仏教排拆派により難波の海(大阪湾)に投げ込まれたものが676年(白鳳4年)に下浜枕ノ崎に漂着しました。地元の漁夫が救いあげ一堂を建立して安置して信仰をしました。午歳(うまのとし)のみに(十二年目)開扉される秘仏として伝えられています。その後、702年(大宝2年)に法相宗の開祖道照上人がこの地に来られ、自らの一刀三礼の厄除聖観世音菩薩像(国指定重要文化財)をお刻みになり帝釈天の脇仏としてお祀りになり一大道場を建立されたのがこの寺の創建とされています。室町時代初期には七堂伽藍を完備し一山寺院三十三坊を有する名刹となり隆盛を極めたといわれています。尚、当寺には町指定文化財の独鈷石や経筒もあります。又、庭園は蓬莱式を取り入れた準築山式枯山水庭園で、作庭は江戸初期と推定されています。」
兵庫県美方郡香美町香住区下浜599
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寺表と枕石

枕石
由来「遠く六世紀末、我国では蘇我氏と物部氏との争いの中で、仏教を排拆する物部守屋によって渡来仏の多くが難波に投棄されたが、その一仏が不思議な漂流を経て当地に漂着し、地元村民によって救い上げられた。人々はその威厳に満ちた尊容に驚覚し、やがて一宇の御堂を建立して海上安全、五穀成就の守護神として敬い、信仰を深めていった。これが帝釈寺開山縁起である。この大長石は676年(白鳳4年)当山本尊が下の浜枕ケ崎、一ノ瀬に漂着された時、波打際で枕にして横たわっておられた縁深き浄石である。本尊と共に大多数の村民によって運び上げられものと伝えられている。」
全景

水掛地蔵

石碑

修行大師

鐘楼

本堂(兵庫県重要有形文化財)
「本堂は建設年代を示す史料がないが、建築技法から見て、再興された天文年間頃の16 世紀中期と考えられる。本堂は、正面五間、側面五間、宝形造、桟瓦葺。大規模な五間堂で、全体では約11m 四方のほぼ正方形の平面である。前側二間通りを外陣として、その後方の間口三間奥行二間を内陣、その両脇を一間幅の脇陣、背面一間通りは後戸とした中世仏堂形式の平面構成を持っている。」

浄聖殿






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