旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

都島神社

2020-11-20 22:19:06 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
「天照大神を主神に15の神をまつるので、十五神社ともいわれている。淀川の洪水防止を願う後白河法皇の勅願で、近隣農民が協力して、1160年(永暦元年)に建立された。」
大阪府大阪市都島区都島本通1丁目5
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社標

鳥居



手水舎



宝篋印塔(大阪府指定文化財)
「由来等不祥、宝篋印塔は元来密教の塔で、塔中に宝筐印羅尼経を納めることからこの名がついた。通常は平面方形の一重の塔で、笠の四隅の突起を作り、笠上部は数段の段形とし、その上に相輪を立てる。都島神社の宝篋印塔は、各層の塔身部と相輪は後補で珍しく三重塔となっており、全国的にも稀有で関西最古の石造塔、基礎台に『嘉元二甲辰/六月/廿九日』『願主口/沙弥口蓮/造立之」の銘文があり結衆による供養塔であろうと思われる。」

社務所

拝殿

狛犬



本殿
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母恩寺

2020-11-20 21:59:14 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
「1168年(仁安3年)に、後白河法皇が、高野山に参詣される途中、とくにこのあたりの景色を好まれ、ここに生母・待賢門院の菩提のためにこの寺を創建されました。寺の名前には『母后報恩』の意味がこめられています。往時は12の坊舎を有する大伽藍で、代々住職は皇女が勤める尼寺でした。淀川の洪水や兵乱でしだいに勢いが衰え、一時は荒れ寺となっていたこともありました。寺宝として後白河法皇と待賢門院の画像のほか、1719年(享保4年)の略縁起などがあります。」
大阪府大阪市都島区都島本通1丁目20
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山門

本堂
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鶴満寺(かくまんじ)

2020-11-20 21:47:33 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
「奈良時代に創建されたといわれている。もとは河内国にあったが、1753年(宝暦3年)、長柄の地に移ったという。上方落語『鶴満寺』は、題名そのままに当寺が舞台となっており、境内にはサクラの名所としても有名であった。」
大阪府大阪市北区長柄東1丁目3-12
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山門

手水舎

観音堂
「八角塔楼閣付きの堂、1933年(昭和8年)に再建された。」









鐘楼



本堂(大阪市指定有形文化財)























納骨堂


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摂津之国 国分寺

2020-11-20 21:27:55 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
由緒書より「寺伝によると、仏教に深く帰依した聖務天皇により741年(天平13年)一国一寺の『国分寺建立の詔』を公布されると、既存の『長柄寺』を摂津之国国分寺(金光明四天王護国之寺)として定める。世俗『長柄の国分寺』と称され、今日まで歴代天皇14帝の勅願道場として由緒ある法灯を伝燈してきた。しかし、長い歴史の中幾度も戦火に晒され、中でも豊臣氏が滅亡した大坂夏の陣、1615年(元和元年)には全焼、その後約百年余り荒廃の極みであった。そして江戸時代、1718年(享保3年)に中興の祖、律師快圓により再建され文献に登場する。このような伽藍も明治の廃仏毀釈などの混乱、1934年(昭和9年)の室戸台風により甚大な被害を受け、更には1945年(昭和20年)第二次大戦の大空襲により旧書院門(現山門)を残し寺宝共灰燼に帰した。戦後、境内地は区画整理や一部官有地であった為、大幅に縮小されるも、1965年(昭和40年)昭和金堂を大平の古式にのっとり落慶、1984年(昭和59年)弘法大師千百五十年御遠忌の頃現在の姿となる。」
大阪府大阪市北区国分寺1丁目6-18
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山門



水かけ不動尊

手水舎

弘法大師像

鐘楼

灯籠

護摩堂





地蔵菩薩

水児地蔵尊

本堂



仏足石

香炉

石碑




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野江水神社・野江水流地蔵尊

2020-11-20 20:42:11 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
説明書より「昔このあたりは土地が低く、再々水害を被むる事がありました。そこで水難からのがれようとして水の神様がおまつりされました。1533年(天文2年)三好宗三(政長)が、この附近に榎並築城の際、水害を被むったので水火除難の守護神として城内に社を建てて篤くまつられたのが現在の社殿の位置と言われています。1583年(天正11年)豊臣秀吉も大阪築城に際し、水火除難の守護神として近郷の諸社中最も崇敬篤く、社殿を修築し幣帛を奉り、国家泰平を祈願いたしました。1702年(元禄16年)の大洪水では、一面水海と化し住民がことごとく困窮の日を重ねていた時に快晴の祈願をしたところ、雨がやみ洪水は減退したと伝えられています。1803年(享和2年)の大洪水にも当神社は無事であったことを榎並八箇洪水記の中に絵で記録されています。現今の社殿は1883年(明治16年)の造営後度々修築されています。」
大阪市城東区野江4-1-39
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鳥居



石碑



手水舎

手水鉢

御神水

狛犬



拝殿



本殿

野江稲荷神社







野江水流地蔵尊
「1885年(明治18年)未曾有の大洪水が大阪北部一帯を襲った際に、当地に流れ着いたと伝わるお地蔵さんです。城東区民にとって忘れてはならない出来事の証人として、地元町会の人達に大切に守られ、地蔵盆などの行事は毎年欠かさず行われています。なお、野江水流地蔵尊は、2012年(平成24年)に大阪市の都市景観資源に登録されました。」




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関目神社

2020-11-20 20:08:56 | 大阪
2020年11月20日、お参りしました。
関目神社境内に「関目発祥之地」の石碑が立っています。関目という地名は、平安時代後期の榎並庄の時代からあったもので、この地に見張り所(目で見る関所)があったことから起こったといわれています。
「関目神社は、1580年(天正8年)豊臣秀吉が大阪城築城の際防備の一策として北の護りとして武神の須佐之男尊を祀り崇敬すると共に、浪速の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として毘沙門天王を勧請して小祠を建立したことに始まります。」
大阪府大阪市城東区成育5丁目15-20
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鳥居

手水舎

関目発祥之地碑



社務所

狛犬



拝殿

本殿

毘沙門天







明治天皇大坂行幸の碑




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