2022年8月1日、お参りしました。
「御祭神である蘇民将来は、『備後風土記』逸文の茅輪の起源のところで次のように記されている。神代の昔、武塔神(素戔嗚尊)が南海に向う途中、或る所で宿泊しようとして、蘇民将来・巨旦将来兄弟に宿を求めたところ、弟の巨旦将来は裕福な身でありながら宿を拒んだに対し、兄の蘇民将来は貧しい身であったが尊をお泊めし、粟飯を饗して待遇した。その後、年を経て、尊は再び蘇民将来の家を訪れ、『もし天下に悪疫が流行した際には、ちがやを以って輪を作り、それを腰に着けておれば免れる』と教えた。この故事に基づき、蘇民将来と書いて門口に張れば災厄を免れるという信仰が生じ、また、祓いの神事に茅輪を作ってこれをくぐり越えるようになった。神社は、もともと神出神社雌岡山の中腹に祀られていたが、いつの頃か、氏子である田井の人が御神体を運び出し、現在の田井鍋谷に奉斎したという。」
神戸市西区神出町田井1299
map
社標
狛犬
社殿
「御祭神である蘇民将来は、『備後風土記』逸文の茅輪の起源のところで次のように記されている。神代の昔、武塔神(素戔嗚尊)が南海に向う途中、或る所で宿泊しようとして、蘇民将来・巨旦将来兄弟に宿を求めたところ、弟の巨旦将来は裕福な身でありながら宿を拒んだに対し、兄の蘇民将来は貧しい身であったが尊をお泊めし、粟飯を饗して待遇した。その後、年を経て、尊は再び蘇民将来の家を訪れ、『もし天下に悪疫が流行した際には、ちがやを以って輪を作り、それを腰に着けておれば免れる』と教えた。この故事に基づき、蘇民将来と書いて門口に張れば災厄を免れるという信仰が生じ、また、祓いの神事に茅輪を作ってこれをくぐり越えるようになった。神社は、もともと神出神社雌岡山の中腹に祀られていたが、いつの頃か、氏子である田井の人が御神体を運び出し、現在の田井鍋谷に奉斎したという。」
神戸市西区神出町田井1299
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社標
狛犬
社殿