2022年8月11日、利用しました。
朝夕バイキング形式です。海鮮焼き、刺身の盛り合わせ、鮨などです。温泉は内湯と露天風呂があります。両方とも東郷池を眺望できます。部屋はゆったりとした10畳に中廊下にベッド、広縁とくつろげる空間ですね。泉質は、 ナトリウム・カルシウム - 塩化物・硫酸塩泉です。
はわい温泉の由来
「1866(慶応2)年4月10日、上浅津の幸助が東郷池で投網打ちをしていたところ、湖中から湯の湧き出るのをみて、池に手をつけてみたところ「ボラ」が多くとれたという。幸助は、この湯の利用方法についていろいろと考えた結果、湯の湧く周囲に松杭を打ち込み、テント舟二隻をならべて屋台をつくり、竹筒で湯を舟に汲み上げ、これを浴槽として温泉風呂をつくり「幸助湯」と名づけた。幸助湯は陸地から相当離れており、毎日小舟でかよって簡単な「いっぱい呑屋」も開いたといわれている。しかし、数年後の大南風により、折角の施設も流されてしまったという話が伝えられている。幸助は明治27年頃、近くの敷地を求めて温泉を堀ってみたところ、幸い成功して本格的な「幸助湯」の再現を図った。さらに、池水の水田から湯が出たことにも着目し、今度は「舟どおし」の横を堀ってみたところ、熱い湯が湧出した。浅津温泉はここから始まったといえる。その後、1953(昭和28)年の昭和の大合併(長瀬村・浅津村・橋津村・宇野村)により羽合町となり、浅津温泉を羽合(ハワイ)温泉に改名し、現在のはわい温泉となる。尚、幸助は明治32年に「日進館」として旅館を操業した。後に「東郷湖観光ホテル」そして「千年亭」と名を改めて現在に至る。」
鳥取県東伯郡湯梨浜町はわい温泉4-62
map
外観
玄関
フロント
ロビー
廊下
売店
室内
おもてなし
眺望・東郷池
夕食はバイキング形式です。もちろん生ビールを飲みながら食事を堪能しました。
海鮮焼き
鮨等
天ぷら
サラダ・茶碗蒸し
デザート
朝食、バイキング形式です。
お土産に鳥取の大栄や倉吉のスイカを買いこみました。
朝夕バイキング形式です。海鮮焼き、刺身の盛り合わせ、鮨などです。温泉は内湯と露天風呂があります。両方とも東郷池を眺望できます。部屋はゆったりとした10畳に中廊下にベッド、広縁とくつろげる空間ですね。泉質は、 ナトリウム・カルシウム - 塩化物・硫酸塩泉です。
はわい温泉の由来
「1866(慶応2)年4月10日、上浅津の幸助が東郷池で投網打ちをしていたところ、湖中から湯の湧き出るのをみて、池に手をつけてみたところ「ボラ」が多くとれたという。幸助は、この湯の利用方法についていろいろと考えた結果、湯の湧く周囲に松杭を打ち込み、テント舟二隻をならべて屋台をつくり、竹筒で湯を舟に汲み上げ、これを浴槽として温泉風呂をつくり「幸助湯」と名づけた。幸助湯は陸地から相当離れており、毎日小舟でかよって簡単な「いっぱい呑屋」も開いたといわれている。しかし、数年後の大南風により、折角の施設も流されてしまったという話が伝えられている。幸助は明治27年頃、近くの敷地を求めて温泉を堀ってみたところ、幸い成功して本格的な「幸助湯」の再現を図った。さらに、池水の水田から湯が出たことにも着目し、今度は「舟どおし」の横を堀ってみたところ、熱い湯が湧出した。浅津温泉はここから始まったといえる。その後、1953(昭和28)年の昭和の大合併(長瀬村・浅津村・橋津村・宇野村)により羽合町となり、浅津温泉を羽合(ハワイ)温泉に改名し、現在のはわい温泉となる。尚、幸助は明治32年に「日進館」として旅館を操業した。後に「東郷湖観光ホテル」そして「千年亭」と名を改めて現在に至る。」
鳥取県東伯郡湯梨浜町はわい温泉4-62
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外観
玄関
フロント
ロビー
廊下
売店
室内
おもてなし
眺望・東郷池
夕食はバイキング形式です。もちろん生ビールを飲みながら食事を堪能しました。
海鮮焼き
鮨等
天ぷら
サラダ・茶碗蒸し
デザート
朝食、バイキング形式です。
お土産に鳥取の大栄や倉吉のスイカを買いこみました。