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洲本の寺町

2022-01-27 18:13:01 | 淡路
2022年1月25日、お参りしました。寺町を北から南に進みます。7つのお寺が南北で並んでいます。洲本寺町は、1631(寛永8)年、由良引け(政治・経済の中心を由良から洲本に移す事業)により洲本城下西方の防御のために形成された。
寺町
右手に白い壁が続きます。

浄泉寺
真宗大谷派の寺院、山号は楠林山と号す。
山門



本堂





本妙寺
法華宗本門流の寺院です。

山門

本堂







鎮守社

五輪塔

玄関

白壁が続きます。

千福寺
高野山真言宗の寺院、山号を玉青山と号す。愛染明王を本尊とする。
山門

除病門の額

本堂





薬師堂
洲本最古の仏、薬師瑠璃光如来、子安地蔵菩薩を祀っています。







鎮守・稲荷社











次の寺院に向かいます。猫さんが散歩しています。

遍照院
高野山真言宗の寺院、山号は新高野山と号す。開創は不祥。寺町移築の当時は地蔵寺であった。木食観正(もくじきかんしょう)上人、洲本大工町に生まれた俗の名は喜作という。30歳の時、地蔵寺第7世住職本實上人のもと得度し、日本各地を木食行者として修行に励んだ。木食行というのは、出家後穀物を断ち、草の根や木の皮を食べ木食戒を守り厳しい修行に打ち込むことで余にも危除なため明治事態にこの行は禁止された。
寺標





山門















庫裏

本堂















幸せ六地蔵

青龍権現

賓頭盧尊者



馬頭観音菩薩・芭蕉句碑





大村純安(1850(嘉永3)~1870(明治3))
「常盤町在住の徳島藩医大村純道の長男。15歳で江戸に学ぶ。徳島藩士となり明治3年に起こった庚午事変(稲田騒動)で稲田家中を襲撃したことにより切腹。享年21歳。我が国最後の切腹刑とされる。この事変により徳島本藩側は斬首10名。稲田家中は北海道移住を命ぜられた。左の小さな墓は幼い時に亡くなった純安の姉のもの。」



藤江石亭、1741年生まれ、1815年に74歳で没した。徳島藩洲本学問所の教官となり、淡路一の碩学とうたわれた。

地蔵菩薩





専称寺
浄土宗の寺院、本尊は阿弥陀如来、山号を心念山と号す。稲田騒動を慰霊するために庚午志士碑が建てられています。
寺標

山門

本堂







庚午志士碑





鎮守堂・妙見宮

称名寺
西山浄土宗の寺院、山号は護念山と号す。
寺標

山門

本堂

観音堂



不動堂





浄光寺
浄土真宗本願寺派の寺院、山号は梅林山と号す。
山門

本堂

お疲れさまでした。

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