2016年11月4日、十倉上山田温泉の遊子千曲館に宿泊し、翌日の朝の散策でお参りしました。
水上布奈山神社
長野県千曲市大字戸倉上中町1990
由緒書
「下戸倉宿では、諏訪大社より建御名方神を勧請して、当地の鎮守として崇敬した。諏訪社と呼ばれていたが、天保6年(1835)に神祇管領より許可を受けて、現在の社名を正式に用いることとなった。寅と申の年の春には諏訪大社にならい、御柱の祭りが行われている。」
燈籠(千曲市指定有形文化財)
「下戸倉宿に働く飯盛女52名と旅籠屋主人が1839年(天保10年)7月に奉納したもので、台座に刻まれた52名の飯盛女の名を確認することができる。」
稲荷社
拝殿
本殿(重要文化財)
『現在の本殿は、諏訪の大隅流大工棟梁柴宮長左衛門矩重(1747~1800)により、寛政元年(1789)に再建された。間口3.30m、高さ9.63mある総檜造の一間社流造柿葺で、各所に用いられる彫刻が特徴である。彫刻は「上り竜・下り竜」「唐獅子」「蘇鉄に兔」「鳳凰」「竹林の七賢人」「仙人像」など題材が豊富であるとともに、白木造で彫が鋭く豪壮であって、時代と作者の気風をよく表わしている。江戸時代後期以降、東日本の社殿は彫刻を多く用いる傾向が特に顕著であるが、当社殿はそれを代表する建築である。』
道祖神
天神社
千曲川の鴨
戸倉上山田温泉
佐良志奈神社
長野県千曲市若宮2
鳥居
階段を降ります。
由緒書
「延喜式内神社は当時更級郡には11社あったが、その中の1社で、創立年月日等は宝徳2年(1450)本殿火災のため焼失し、古文書等はそれ以降のものしか現存しない。社説語伝は允恭天皇の皇子黒彦王の勧請であって、大鷦鷯尊は冠着山支領(八王子山)に祀ってあったが、仁和3年(887)の地震で現在の八王子組(当時千曲川原)に崩落したため、麓にあった若宮八幡宮に合祀した。現在でも祭神四体(一体は祭神名不明)が現存している。当時佐良志奈神社の摂社が八王子社(祭神国之狭槌命)は、今も八王子山に現存している。正平年中(1346~1370)後醍醐天皇の皇子宗良親王御潜居のおり暫時御所とした。」
手水舎
忠魂碑
拝殿
本殿
天神社
末社
宝筐印塔(千曲市指定文化財)
『高さ130cm、幅52cm、基底部に『信州若宮永和2年丙辰6月15日契約従衆45人』と刻んでいる。南北朝時代、南朝方の宗良親王(後醍醐天皇の第八皇子)に従い戦に出た人々が、死ぬ前に自分たちの墓として立てた「逆修塚」という、言い伝えがある。』
崖観音様
お疲れ様でした。
水上布奈山神社
長野県千曲市大字戸倉上中町1990
由緒書
「下戸倉宿では、諏訪大社より建御名方神を勧請して、当地の鎮守として崇敬した。諏訪社と呼ばれていたが、天保6年(1835)に神祇管領より許可を受けて、現在の社名を正式に用いることとなった。寅と申の年の春には諏訪大社にならい、御柱の祭りが行われている。」
燈籠(千曲市指定有形文化財)
「下戸倉宿に働く飯盛女52名と旅籠屋主人が1839年(天保10年)7月に奉納したもので、台座に刻まれた52名の飯盛女の名を確認することができる。」
稲荷社
拝殿
本殿(重要文化財)
『現在の本殿は、諏訪の大隅流大工棟梁柴宮長左衛門矩重(1747~1800)により、寛政元年(1789)に再建された。間口3.30m、高さ9.63mある総檜造の一間社流造柿葺で、各所に用いられる彫刻が特徴である。彫刻は「上り竜・下り竜」「唐獅子」「蘇鉄に兔」「鳳凰」「竹林の七賢人」「仙人像」など題材が豊富であるとともに、白木造で彫が鋭く豪壮であって、時代と作者の気風をよく表わしている。江戸時代後期以降、東日本の社殿は彫刻を多く用いる傾向が特に顕著であるが、当社殿はそれを代表する建築である。』
道祖神
天神社
千曲川の鴨
戸倉上山田温泉
佐良志奈神社
長野県千曲市若宮2
鳥居
階段を降ります。
由緒書
「延喜式内神社は当時更級郡には11社あったが、その中の1社で、創立年月日等は宝徳2年(1450)本殿火災のため焼失し、古文書等はそれ以降のものしか現存しない。社説語伝は允恭天皇の皇子黒彦王の勧請であって、大鷦鷯尊は冠着山支領(八王子山)に祀ってあったが、仁和3年(887)の地震で現在の八王子組(当時千曲川原)に崩落したため、麓にあった若宮八幡宮に合祀した。現在でも祭神四体(一体は祭神名不明)が現存している。当時佐良志奈神社の摂社が八王子社(祭神国之狭槌命)は、今も八王子山に現存している。正平年中(1346~1370)後醍醐天皇の皇子宗良親王御潜居のおり暫時御所とした。」
手水舎
忠魂碑
拝殿
本殿
天神社
末社
宝筐印塔(千曲市指定文化財)
『高さ130cm、幅52cm、基底部に『信州若宮永和2年丙辰6月15日契約従衆45人』と刻んでいる。南北朝時代、南朝方の宗良親王(後醍醐天皇の第八皇子)に従い戦に出た人々が、死ぬ前に自分たちの墓として立てた「逆修塚」という、言い伝えがある。』
崖観音様
お疲れ様でした。
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