旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

彦根城その3・楽々園、玄宮園

2015-02-19 18:23:39 | 滋賀
2015年2月16日、彦根城を観光しました。
西の丸より山崎山道を降りて、観音台から黒門橋へ移動です。
内堀の土塁です。




黒門



内堀の鴨





井伊直弼生誕地

石碑

楽々園
「旧藩士の下屋敷で、槻御殿のほかに黒門外屋敷とも称されていましたが、現在は楽々の間にちなんで楽々園と呼ばれています。1677年四代藩主直興により造営が始まり、1679年に完成、その後数回にわたり増改築が行われ、往時には能舞台を備えた広大な建物であったが、現在では書院や地震の間、雷の間、楽々の間等の一部が残っている。」

玄関

保存整備のため工事中です。

地震の間、お茶座敷









庭園







八景亭(臨池閣)
庭園を見渡す好所に建てられた数寄屋建築です。
説明書



玄宮園(名勝)
城の北東にある大名庭園で、中国の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられた縮景園で、第四代当主直興が延宝5年(1677)に造営した。

説明書



槻御殿の説明書



































鳳翔台(茶室)
園内の築山に建つ趣のある建物で、藩主が客人をもてなすための客殿であった。



説明書















屋形船乗船場所

遠城謙道の石碑
「旧彦根藩士で、医術、儒学や画を学び禅の修行にはげみ、桜田門外の変における、大老井伊直弼公の横死の後、非憤の余り主君の旧恩に報じようと同志と謀り老中に抗弁するも果たすことが出来なかった。追い腹は犬死と判断し、僧となってお墓守を決心した。終生掃墓、読経し、直弼公の霊を慰めること実に37年に及んだ。」

説明書

井伊直弼大老像

説明書





開国記念館



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彦根城その2・天守(国宝)

2015-02-19 18:21:55 | 滋賀
2015年2月16日、彦根城を観光しました。
天守(国宝)
いくつもの破風を巧みに組合せ、美しい曲線の調和をみせ、牛蒡積と呼ばれる石垣の上に三階三重の天守がそびえている。
説明書





着見台より



















本丸跡
御広間や宝蔵・矢櫓・着見櫓などが築かれていたが、明治になって取り壊された。



着見台

説明書

景色







用水池



天守の中へ

















鉄砲狭間

矢狭間





















隠し部屋
破風を利用して、4ケ所あり、中には4人~5人が入れる広さがある。



展示品

































西の丸

西の丸三重櫓(重要文化財)

説明書



山崎山道へ







大堀切と出郭











内堀と黒門橋

彦根城その3・楽々園、玄宮園に続く



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彦根城その1・二の丸佐和口多門櫓、天秤櫓、太鼓門櫓

2015-02-19 18:20:32 | 滋賀
2015年2月16日、長浜ロイヤルホテルに宿泊の翌日、帰路の途中で彦根城を観光しました。
彦根城は、江戸時代初期、井伊氏の拠点として置かれた平山城です。山は「金亀山」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいわれています。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城でした。将軍徳川家康公の命により、慶長9年(1604)より着工され、元和8年(1622)に築城しました。明治に入り各地の城が廃城令で破壊・売却されていく中、彦根城も例外ではなかった。しかし、明治11年10月、明治天皇が巡幸で彦根を通過した際に城の保存を命じたため破却は逃れたという。
拝観料はお城と玄宮園の庭園を合わせて600円です。
滋賀県彦根市金亀町1-1
map
観光案内マップ
真ん中の下の二の丸駐車場から時計回りに観光していきました。説明書きは現地のパンフレットを引用しました。

二の丸佐和口多門櫓(重要文化財)
佐和口に向かって左翼に伸びる白壁の櫓です。明和4年(1767)に火災で類焼し、現在の建物は明和6年から8年にかけて再建されたものです。





櫓から見た天守、右手は馬屋(重要文化財)ですが、修理中です。

案内図

櫓内、保存品











説明書

櫓から見た中掘



壁の説明書
「防火や防弾のために厚い土壁となっています。土壁は、竹を縦横に組んだ竹小舞を骨組みとして藁縄を絡め、、それに荒壁、中塗り、白漆喰の順に塗り重ねています。建物の外面は、柱などを土壁で完全に塗りこめる大壁造り、内面は柱を見せる真壁造りとなっています。」







当時の城の図面、外堀もありました。



内堀



表門橋
明治初期の写真や当時の文献を参考に、3年の歳月をかけて平成16年2月、現代に蘇った。

人力車





案内図

登り石垣の説明書

彦根城博物館(表御殿)







表門山道

振り返って

天秤櫓(重要文化財)
表門から坂を上がっていくと廊下橋(非常時には落とし橋となる)が見える。この橋を中央にして建てられているのが天秤櫓である。日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけである。



廊下橋をくぐって、山道を登って鐘の丸へ









鐘の丸

説明書
築城当初、鐘楼が当地に存在したため鐘の丸と称する。

鐘の丸からの天秤櫓





天秤櫓説明書











聴鐘庵(茶室)

時報鐘
城全体に響くようにと鐘の丸から移された。

説明書

太鼓門櫓(重要文化財)
本丸への最後の関門で、東側の壁は無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしている。





説明書





振り返って

本丸より

彦根城その2・天守に続く
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