旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

長寿寺(湖南三山)・白山神社

2017-05-05 20:20:10 | 滋賀
2017年5月4日、三重県の東海道の宿場町・関宿に行き、帰りの途中にお参りしました。湖南市の国宝の天台宗3カ寺院の1つです。
「長寿寺の創建は、聖武天皇の天平年中(729~748)良弁僧正によって建立された勅願所であり、現在国宝に指定されている。その昔、聖武天皇は大仏造営のため、一時信楽宮に遷都されたが、世継がなかったので良弁に祈請せしめたところ、良弁は阿星山中の瀑布に籠って祈った結果、間もなく降誕をみるに至った。そこで天皇は信楽宮より鬼門に当たる東寺に七堂伽藍、廿四坊の寺を建立し、皇女誕生にちなむ子安地蔵尊を行基菩薩に刻ませて本尊とし、皇女の長寿を願い長寿寺という寺号をおくったことに始まる。後貞観年中に焼失、同年間復元、現在に至る。中世に頼朝、足利氏らの祈願所になっていたが、天正の頃信長の手によって三重塔は自分の居城である安土城へ、楼門は栗東市の連台寺へ移築し、主要建物は失った。現在、国宝の本堂、重要文化財の弁天堂、丈六阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、十六羅漢図等が残されている。」
拝観料は500円です。
滋賀県湖南市東寺5-1-11
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山門

参道

子安祈願の石

内仏堂



参道

手水舎

鐘楼

銅鐘

本堂(国宝)
「天平年中創建し貞観年中焼失、同年復元、現在に至る。桁行五間、梁間五間、屋根一重寄棟造、向拝三間檜皮葺、四面廻廊と、天台伽藍には珍しい建築である。中央三間は桟唐戸の入口、左右には連子窓、内部は正堂と礼堂とに分かれ、奥行の深い堂を構成し、化粧屋根裏や、雄大な虹梁、その上の板蟇股等、藤原時代の雰囲気を残し、建立年代が相当古いことを物語っている。本堂内の厨子は本尊子安地蔵尊で脇士は聖観音と毘沙門天を安置し、厨子は春日厨子で国宝に指定され内部墨書により、文明12年の建立とみられる。」











弁天堂(重要文化財)
「桁行一間、梁間一間、屋根一重入母屋造、唐破風付檜皮葺のほぼ真四角な堂で、小さいが本格的な構造である。建立年代は詳らかでないが、内部より刷毛書の墨書が発見され、それに十六、十二月とあり、肝心の年号の部分がぬりつぶされているが、建物の様式、地中から発見された瓦に「文明6年」という銘があることや、「天文19年3月手間参百人云々」という修理銘が見出されていることから、これは文明16年の建立とみるべきだというのが建築史家の結論である。」

経蔵



三重塔趾
「近江の主要な天台系伽藍には、かならず三重塔を配するのが堂塔配置の常である。長寿寺の三重塔は本堂に向かって左後方の叢林中に在ったが天正3年頃織田信長の手によって、安土城山中の信長の菩提寺である摠見寺に移築された。地中より鉄刀子、鎮壇具に用いられたと思われる素焼の壺が発掘された。蓋は室町時代とみられる菊花双鶴文鏡が用いられ、鏡の製作年代から推定して享徳ごろ塔が建立されたものと思われる。」





石造多宝塔(湖南市指定文化財)
「聖武天皇の菩提を弔う為に鎌倉時代に建立した多宝塔。今は相輪が欠けているが、この種の石造多宝塔の遺例は極めて少ない。」







白山神社
「長寿寺の鎮守社として、奈良時代に建立された。 社殿と拝殿は長寿寺本堂の西に隣接する。祭神は白山比咩神。」

鳥居

参道



手水舎

鳥居

拝殿(重要文化財)
「拝殿は様式手法よりみて室町時代末期の建立であろう。方三間の簡素な建物であるが、軒廻りや舟肘木などに時代の特色がみられる。屋根は桧皮葺。各柱間は開放する類例が多いが、格子戸を備えるのは珍しい。滋賀県下では重要文化財の御上神社拝殿(野洲町)に次いで古い拝殿である。」









狛犬



本殿

十王寺
天台宗寺院で、長寿寺の横にあります。















お疲れ様でした。
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常楽寺(湖南三山)

2017-05-05 20:19:41 | 滋賀
2017年5月4日、三重県の東海道の宿場町・関宿に行き、帰る途中にお参りしました。
常楽寺は、天台宗の寺院です。湖南市は、滋賀県の南東部に位置し、南に阿星山系、北に岩根山系、中央に琵琶湖に注ぐ最大の河川である野洲川が流れれ、石部町と甲西町が平成16年に合併しました。この湖南市に奈良時代に建立された天台寺院で国宝に指定された建築物が3カ寺(常楽寺、長寿寺、善水寺)あることから湖南三山と称しています。通称西寺といい、近在の東寺‐長寿寺とともに栄えてきた。
「常楽寺は、近江西国霊場第一番札所、びわ湖百八霊場第九十五番です。和銅年間(708~715)元明天皇の勅命により、良弁が開基した阿星寺五千坊の中心寺院として、また紫香楽宮(742~745)の鬼門鎮護として栄えた。平安~鎌倉時代には、皇室の帰依を受けて寺運は隆盛。延暦年間(782~805)天台宗に改められたという。延文5年(1360)火災で全焼したが、同年、観慶らによって再興された。」
入山料は500円です。
滋賀県湖南市西寺6丁目5-1
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境内案内図

鐘楼

銅鐘

本堂(国宝)
「室町前期の延文5年(1360)再建、桁行七間、梁間六間、向拝三間、入母屋造、桧皮葺。」









本堂内部に重要文化財の釈迦如来、風神・雷神、二十八部衆が安置されています。
行者堂

普賢堂

薬師堂

三重塔(国宝)
「室町中期応永7年(1400)再建、三間三重塔婆、本瓦葺。三重塔は本堂後方左手の一段高いところに建つもので、建立年代については応永五年(1398)の勧進状が残っているほか、瓦に同七年の箆書をもつものがあって明らかである。初重総間四・五六メートル、総高二二・八メートル、三重塔としては標準的な規模をもつ。全体の比例をみると、相輪長さは総高のちょうど三分の一、総高は初重総間の五倍、塔身高は同じく三・三倍で、これまた遺構の平均的な数値である。柱間寸法の決定は、初重総間を一五尺として中央間一二枝、脇間十枝に割つけ、二重・三重はそれより中央間で二枝脇間で一枝ずつ減らすといった、明快な枝割によっている。その結果、三重総間は初重の七割五分となるが、この平面の逓減も三重塔の平均値にあたる。様式手法は内部の須弥壇を除いては純和様からなり、きわめて正統的である。初重内部に仏画や装飾文様を描いているのはめずらしくないが、天台宗寺院の塔でありながら板壁に真言八祖像を描くのは興味深い。この塔は伝統的な手法をもつ形通りの三重塔で、均整のとれた比例や整然とした枝割計画をもち、室町時代三重塔の代表作といえる。本堂後方の高いところに塔を建てる配置も、中世の地方密教寺院には多い。」



























経蔵



三聖神社
寺院の境内に鎮座しています。

鳥居

狛犬




















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第23回しがらき陶器市

2017-05-05 20:07:45 | 滋賀
2017年5月4日、三重県の東海道の宿場町・関宿の散策、そして滋賀県の湖南市の常楽寺、長寿寺にお参りし、信楽焼の町に行きました。陶器市が丁度5月6日までの開催中でした。時間の関係で窯のところは散策ができませんでした。駅前の陶器市を見て回りました。狸の焼き物が一杯です。お皿とか茶碗などの焼き物もたくさん販売していました。
観光案内図















































陶器市は17時30分で終了でした。神戸まで約2時間半かかりますので帰ります。お疲れ様でした。
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関宿の寺院、福蔵寺・地蔵院・瑞光寺

2017-05-05 16:58:47 | 三重
2017年、三重県にある東海道の関宿に行きました。関宿散策での寺院です。
福蔵寺
「関の小方は孝女の仇討で知られ、鈴鹿馬子唄にもうたわれています。その墓と記念碑が福蔵寺境内にあります。」
「清浄山と号し、当山は、天台真盛宗(本山は滋賀県大津市坂本の西教寺)に属します。草創は、天正11年(1583)、織田信長郷三男信孝公の菩提寺として創建されました。本堂のご本尊は阿弥陀如来です。」

参道

山門



説明書

薬師堂















本堂

藤棚

観音堂









織田信孝公の墓



庫裏

地蔵院
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『「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」の俗謡で名高い関地蔵院。天平13年(741)行基菩薩の開創と伝えられています。近郷の人々に加え、東海道を旅する人々の信仰を集め、現在でも多くの参拝客でにぎわっています。』

「現本堂は元禄年間に江戸出開帳や地元からの寄付などによって資金を集めて建設された。大工も地元であるが建築の質がよく、造営関係の文書が保存されていることも貴重である。鐘楼は寛永年間の建築で、意匠が優れ、すでに重要文化財に指定されている愛染堂とともに伽藍を構成する建築として貴重である。」
手水舎

本堂(重要文化財)
「江戸中期の元禄13年(1700)建造、桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺、背面後陣、側面脇間付。」





欄間の彫刻





















鐘楼(重要文化財)
「江戸前期の寛永21年(1644)建造、桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺。」



庫裏



愛染堂(重要文化財)
「江戸前期の寛永7年(1630)建造、桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺。」



地蔵堂

経蔵

瑞光寺
「瑞光寺は中世にこの地域を治めた関氏ゆかりの寺です。境内にある権現柿は、徳川家康が関宿に立ち寄った時、賞味したと伝えられている柿の木です。」
山門



鐘楼

本堂







権現柿(亀山市史跡)

庫裏
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東海道関宿

2017-05-05 16:57:11 | 三重
2017年5月4日、東海道関宿を散策しました。
パンフレットより『関は古代から交通の要衝であり、古代三関のひとつ「鈴鹿関」が置かれていたところです。関の名もこの鈴鹿関に由来しています。江戸時代には、東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町として、参勤交代や伊勢参りの人々などでにぎわいました。現在、旧東海道の宿場町のほとんどが旧態をとどめない中にあって、唯一歴史的な町並みが残ることから、昭和59年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。関宿の範囲は東西追分の間約1.8キロメートル、25ヘクタールに及び、江戸時代から明治時代にかけて建てられた古い町家200軒あまりが残っています。関宿は、これらの歴史的建造物の保存・修復につとめながら、新しいまちづくりに取り組んでいます。』
連休の中日なので、神戸出発9時前、名神高速道路が京都付近でかなりの渋滞でした。NAVI案内が1時間の渋滞、とりあえず、桂川PAで休憩です。20分ほど休憩で、こんどはPAから数珠つなぎで、本線になかなか出れませんでした。名神高速道路から、草津JCTから新名神高速道路へ、東名阪道路へ一路、関宿へ。12時前になったので、亀山PAで昼食。

まずは、JR関駅にある観光案内所でパンフレットを入手。
「道の駅」関宿
国道1号線沿いにあります。県外ナンバーが数多く止まっていました。ほぼ、満車状態で、待つこと10分で駐車しました。観光用駐車場は亀山市関支所横にあります。



関宿の案内図、真ん中の下あたりが「道の駅」関宿です。
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地蔵院口交差点の石碑



関宿は東追分から西追分へ木崎、中町、新所の3つの町並みが続きます。中町の町並みの中心のところから東の街道です。ここから西側に散策します。
左の建物は「鶴屋」
「鶴屋は、玉屋、会津屋とともに関を代表する旅籠のひとつです。江戸時代の終わりには、脇本陣もつとめました。座敷の前についた千鳥破風がその格式を示しています。」





山車倉(だしぐら)
『「関の山」という言葉の語源らもなった関宿の山車(やま)は、最盛期には16基ありました。互いに華美を競い、また狭い関宿を練ったことから生まれた言葉です。現在は4台の山車が残り、4カ所に山車倉があります。』





岩木屋
「明治から大正にかけて酒造業及び味噌、醤油製造を営んでいました。」
町家の特徴
「関宿の町家は、最も古いものは18世紀中頃の建築で、明治時代中頃までのものが半数以上をしめています。平入の二階建てが一般的ですが、二階前面を土壁で覆った塗籠(ぬりごめ)のものが目を引きます。」

出格子と幕板
「庇の下に取り付けられた幕板は、風雨から店先を守る霧除けです。座敷の前の出格子窓は、明治時代以降に取り付けられたものです。」

虫籠窓
「町家の正面二階にある、漆喰で塗籠た堅格子窓のこと。」





川北本陣跡







百六里庭と眺関亭
『関宿の町並みの中に生まれた小公園。関宿が江戸から百六里余りあることから名付けられました。通りに面した建物「眺関亭」の二階からは、席宿の家並みが一望できます。」







































伊藤本陣跡
「関宿には、川北本陣、伊藤本陣の二軒がありました。本陣は、参勤交代の大名や公家、公用の幕臣などが利用した格式の高い宿泊施設です。現在残るこの建物は、本陣の店部分にあたります。」

橋爪家
「橋爪家は江戸時代の初めから両替商を営み、江戸にも出店を持つ豪商でした。街道に面して三角形の屋根をみせるこの建物は、関宿ではめずらしいものです。」
町並み全体をみて、町家では街道に面して平入りですが、この建物だけ、妻入りとなっています。あれって思います。現在は甲冑を展示していました。店主に聞くと、先代は信仰が厚く、神社・仏閣に多額の寄進をされたとか、そして、伊勢神宮のような平入りでは失礼にあたるとして、あえて、妻入りの建物を建築したとのことでした。























庵看板
「屋根瓦のついた立派な看板。看板の文字は京都側が漢字、江戸側がひらがなになっています。旅人が向かう方向を間違えないための工夫だと言われています。」





高札場跡(関郵便局)
「関宿のほぼ中心にある関郵便局は、江戸時代には高札場があったところです。」

















鐘馗さんの代わりに大黒さんと恵比寿さん
魔除けというより、商売繁盛を合わせて、店を守るためのものでしょうね。

































つぶあん入りのかしわ餅をおやつに買いました。おいしいですね。



















会津屋
『地蔵院門前の町並みで、会津屋は、関宿を代表する旅籠のひとつです。もとは山田屋と言い、小方が育ったことで知られています。二階には洋風意匠の窓がついた「洋館屋」、米をつく水車の音から名付けられたという「川音」、伝統のある鍛冶屋など、特色のある町家が並んでいます。』











































































漆喰彫刻の亀

漆喰彫刻の鶴

漆喰彫刻の鯉の滝登り











漆喰彫刻のバラ



















装飾瓦

























装飾瓦















関宿のマンホール蓋

お疲れ様でした。
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