旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

堺市内観光①、大仙公園・鉄砲鍛冶屋敷・清学院・山口家住宅・十輪院・妙国寺

2017-05-17 23:33:27 | 大阪
2017年5月16日、堺市内観光にいきました。堺市南区の桜井神社と多治速比売神社にお参りの後、大仙公園の駐車場に自動車を止め、観光案内所でパンフレットを入手し、堺市内の阪堺電車(チンチン電車)と南海バスが乗れる「堺おもてなしチケット」500円を購入しました。
とりあえず、お昼なので、大仙公園でお弁当を食べてから観光です。大仙公園は、仁徳陵の南側に位置します。
堺市には、堺区、中区、東区、西区、南区、北区、美原区の7つの区があります。仁徳天皇陵古墳を中心として百舌鳥古墳群という日本屈指の古代文化遺産ゾーンがあります。今回はチンチン電車での移動を中心に北側から南に向かって観光します。
大仙公園
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13時5分までバスがないので、仁徳陵を見学してから市内へ。
仁徳陵・陪冡の復元模型



仁徳陵



中には入れません。眼の高さからでは雰囲気も判らないですね。















堺市博物館前からバスで移動ですが、平日は周遊のループがないので、堺東駅前に移動します。
切符

スクラッチ形式で、年、月、日を削って、バス、電車の降車時に提示します。バスは1回220円、チンチン電車は1回210円です。3回以上の乗車であれば得です。

堺市役所の21階展望ロビーからの眺望
一番左付近が仁徳陵ですが、やっぱり判らないですね。













展示物







バスで大小路に移動します。堺のバス路線図は観光者には判りません。京都であれば、番号や色分けで一目でどのバスに乗ればいいのか理解できます。地図をいただきましたが、バス路線のすべてが青で表示されており、番号もないし、バス亭の位置も表示されていません。観光案内所で、どこから、どこ行きかを聞いて乗りました。帰りについても博物館行きのバスも判らないので、堺東駅に戻ることにしました。東西方向の移動をしない場所に駐車するのがいいのかも。
紀州街道

大小路

チンチン電車の大小路駅



駅での付近案内図

天王寺駅前行きが来ました。乗車して高須神社駅まで5駅北に移動します。1時間に5本運行しています。

高須神社駅です。



高須駅の付近案内図

高須神社





鉄砲鍛冶屋敷に行きます。駅から230mです。



町並み





鉄砲鍛冶屋敷(堺市指定有形文化財)
「戦国時代、堺は日本一鉄砲生産地でした。わが国で唯一現存する貴重な江戸時代の鉄砲鍛冶工房です。(内部非公開)」





次は清学院に行きます。

堺市立町家歴史館 清学院
「修道院の寺院としての歴史を持ち、江戸時代後期から明治初期には仏典を求めてヒマラヤ山脈を越えてチベットに入った河口慧海も学んだ寺子屋として知られ、建物は国の登録有形文化財です。」火曜日休館日
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歩いて山口家に移動します。
綾の町駅

堺市立町家歴史館 山口家住宅(重要文化財)
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「主屋は慶長20年、大坂夏の陣で市街地が全焼した直後に建てられ、現存する数少ない江戸時代の町家のひとつ。伝統的な堺の町家暮らしを感じることができる魅力溢れる施設です。」火曜日休館日









南に歩きます。
町家



月蔵寺





北辰院



十輪院
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『当寺は、真言宗御室派で本尊は地蔵菩薩であす。天文9年(1540)5月賢盛が創建、当初は前之坊といっていましたが、延宝6年(1678)に十輪院と改称しました。本尊は、賢盛が海船の浜(現南海線七道駅周辺)から感得したものといわれています。境内に大阪府規則指定(大阪府古文化紀念物等保存顕彰規則)の石造板状塔婆が建っています。頭部が船形をし、碑身上部には蓮華座上に立つ地蔵菩薩立像が半肉彫りされ、その下に阿弥陀如来の種子が陰刻されています。その下に銘文もあり、根元部分が失われているため不完全なものの、向かって左側は「明徳2年六月」(1391)、右側は「為阿弥陀仏」と判読できます。この板状塔婆は、当時流行した阿弥陀如来と地蔵菩薩とを同体とする信仰を物語る資料として、府下においては数少ない南北朝時代の貴重な遺品となっています。』





石造板状塔婆

覚応寺
『当寺は、浄土真宗本願寺派で、本尊は阿弥陀如来です。正中元年(1324)、伊予の豪族河野通有の子であった通元は、本願寺覚如上人に帰依して、覚応と名のり、正中2年(1325)九州の霧島山のふもとに一宇を建て、覚応坊と名づけました。後に堺に移り、第5覚貞は覚如上人に師事して、坊を改め覚応寺としました。その後、現在地に移りました。当寺の住職であった河野鉄南(1874~1940)は、与謝野晶子と浪華青年文学会の機関紙「よしあし草」で、歌を通じて親交がありました。与謝野鉄幹とは少年時代から親しく、晶子を鉄幹に紹介しました。』












更に南側に歩きます。
妙国寺
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『当寺は、日蓮宗本山由緒寺院です。永禄5年(1562)、堺を支配した三好四兄弟の一人、三好実休(義賢)と日晄上人の尽力により建てられました。日晄上人は酒井の豪商、油屋(伊達)常言の息子です。堺での日蓮宗の代表的な寺院として、商人や来堺した戦国武将たちの信奉を受け、朝廷より勅願寺と定められました。幕末にはフランス兵との間でおこった「堺事件」において、十一人の土佐藩士が切腹した場所でもあります。』
堺事件
「慶応14年(1868)、当時は外国に対して開港となっていなかったにもかかわらず、堺港に上陸してきたフランス兵と、堺の警備にあたっていた土佐藩士との間で争いが起こり、フランス人多数が死傷しました。この問題は国際問題となり、責任を追及された土佐藩士十一名が当寺の境内にて切腹しました。」



















土佐藩士十一名の墓















妙国寺駅

妙国寺駅周辺の案内図

チンチン電車

浜寺駅行きに乗ります。
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堺市内観光②、ザビエル公園・菅原神社・南宗寺

2017-05-17 23:32:42 | 大阪
2017年5月16日、堺市内観光をしました。
チンチン電車の花田口駅で降ります。

戎公園(ザビエル公園)
「室町時代、この公園付近にフランシスコ・ザビエルを自宅に招いて布教を助けた日比屋了慶(珪)の屋敷があったといわれています。」



























ザビエル公園の南側の筋を東に少し歩いて菅原神社に行きます。
菅原神社
説明書より「今から千年以上前、堺の海船の濱に一体の木像が流れ着きました。これは、菅原道真公が配流された大宰府の地で自ら作られ、海へ放された七天神のうちのひとつと伝えられています。天台宗威徳山天神常楽寺の僧徒が山王権現と共に祀ったことがこの神社の始まりです。長徳3年(997)のことでした。明治の「神仏分離」により天神社を菅原神社に名称が変わりました。」



鳥居

拝殿

随神門(大阪府指定有形文化財)
「室町時代に建立、たびたび火災にあっているが、延宝5年(1677)、鉄砲鍛冶、榎並屋勘左衛門の寄進によって仁王門(楼門として現存)が再建されるなど、そのつど、再興・修復されています。」















境内

神牛





薬祖神社



堺戎神社





大小路駅に行きます。そこから御陵前へ、南宗寺に行きます。



電車が来ました。

御陵前の周辺案内図

堺環濠都市遺跡







南宗寺まで210m

南宗寺
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「堺の戦国武将・三好長慶が建立した寺院で、大坂夏の陣で焼失後、沢庵宗彭らが再建、国の名勝枯山水の庭、重要文化財の仏殿、山門、唐門、千家一門の供養塔、利休好のみ茶室実相庵などがあります。千利休はこの寺で修行し、禅の心を茶の湯に昇華させたといわれています。」









山門(重要文化財)
「江戸前期の正保4年(1647)建築、三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺。」



























鐘楼







唐門(重要文化財)
「江戸前期建築、桁行一間、梁間一間、向唐門、本瓦葺。」

仏殿(重要文化財)
「江戸前期の承応2年(1653)建築、桁行三間、梁間三間、一重もこし付、背面張出附属、入母屋造、本瓦葺。」



徳泉庵
「当庵は、臨済宗大徳寺塔頭大仙院に属する禅寺です。慶安元年(1648)、松江宗安が母徳泉の菩提を弔うために創建し、清巌宗渭を招いて開祖としました。」

















海会寺
「当寺は、臨済宗東福寺派で、本尊は阿弥陀如来です。元弘2年(1332)乾峯士曇が開山で、当時は、関口神社の西門にあり、300石の寺領、6ケ寺の塔頭を有していました。本堂、庫裏及び門廊は、江戸時代初期の建築で、重要文化財に指定されています。」











本源院



















水子地蔵堂

バスで堺東駅に戻ります。
堺東駅前商店街、縦横に商店街があります。一杯飲み屋が所せましと並んでいました。



















バスで堺博物館に移動し駐車場へ。堺観光を終了し、神戸に帰ります。お疲れ様でした。
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桜井神社(拝殿は堺市内唯一の国宝)、多治速比売神社

2017-05-17 23:32:11 | 大阪
2017年5月16日、お参りしました。堺市内観光で阪神高速3号線から松原線、阪和自動車道の堺ICを出て、大阪府道61号線で目的地に向かいました。
桜井神社
大阪府堺市南区片蔵645
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説明書より『御祭神は、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后で、上神谷八幡宮(にわだにはちまんぐう)とも称せられています。当社は、延喜式内社で、古くから公武の崇敬がありました。天正5年(1577)織田信長の根来攻めの兵火にあい、社頭は一時荒廃しますが、江戸時代に神門、鐘楼、宝蔵等が再建されました。拝殿は、鎌倉時代の建築で、古い様式の架構である二重虹梁蟇股がみられ、創建当時の姿をとどめています。内部には、中央に「馬道(めどう)」と呼ばれる通路を持つ割拝殿形式の建物で、市内では唯一の国宝に指定されています。毎年10月5日に近い日曜日の秋祭に奉納される「上神谷のこおどり」は、中世の風流踊りの影響をうかがえる神事舞踏であり、国選択・大阪府指定無形民俗文化財に指定されています。また、鎌倉時代の神像と応永19年(1412)の銘を持つ石灯籠は、大阪府の有形文化財に指定されています。』

神門
駐車場の前の神門は、お寺の山門のような感じです。鳥居はありませんが、南にまっすぐに伸びた道路の先には社標がありますので、そこらに鳥居があったのかも。



鬼面瓦

手水舎

神輿庫
「享保16年(1732)再建」



拝殿(国宝)
「この拝殿は神社の祭例を行う建物で、建立は鎌倉前期と推定されている。桁行五間、梁間三間、一重、切妻造、本瓦葺の建物。中央間を土間の通路とした割拝殿で、架構方法は二重虹梁蟇股といわれる奈良時代以来の伝統的な形式となっている。装飾的な要素をひかえた明快な建物で、各部に鎌倉時代の特色をよく示している。神社拝殿最古の遺構として貴重な建物である。」







狛犬



絵馬殿

絵馬







上神谷のこおどりの鬼面の奉納



弊殿





本殿

末社・招魂社

稲荷社





戎社

社務所

参籠所

モミの木(堺市指定保存樹木)、樹高14.0m、幹回り1.15m





多治速比売神社
大阪府堺市南区宮山台2丁3番1号
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説明書より「当社は、延喜式内社で、多治速比売命を主神として、素盞嗚尊・菅原道真公を併祀しています。安産、縁結び、厄除けの神様として現在も知られています。本殿は、国の重要文化財に指定されています。天井裏の墨書や棟札の記載などから、天文10年(1541)に再建されたことがわかります。八つの蟇股と向拝の二つの手狭にそれぞれ彫刻が施されています。荒山宮の名でよく知られ、梅と桜の名所としても有名です。」

鳥居

手水舎



脇門



案内図

拝殿







狛犬



本殿



稲荷社

弁財天





伊勢神宮遥拝所

脇参道鳥居



末社

社務所



福石社





水天宮





太子堂
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