回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

ルーベンス

2020年07月03日 13時16分15秒 | 日記

高野山室生寺の絵葉書をもらってしばらくして、少し込み入った案件があって半月ほど日本に一時帰国することとなった。海外から戻ってみると東京の組織は大きくかつ複雑。それに暑さもロンドンとは違って厳しいものがある。日中は予定をこなすので精一杯だったが、久しぶりの帰国だったので空いた夜に友人たちとの会食を入れた。その時、友人の一人から、ロンドンにいるのだからあまり珍しくないかもしれないが、「ルーベンス展―巨匠とその周辺」が日本橋高島屋で開催されている。前売り券が多少あるので、時間があったら寄ってみてはどうか、と2枚渡された。

ルーベンスの展覧会は、その作品の多くが教会などの建物に描かれていることもあり、ヨーロッパでも頻繁には開催されていない。また、せっかくの好意だし、ロンドンに戻るまでには少しは時間があって行けるかもしれないと思った。しかし、戻る日が近づいてきてとてもそんな時間はないことがわかった。この機会に高齢の親類のご機嫌伺いもしなければならなかったし、さらにその時は自分の周辺も何かと慌ただしかった。しかし、せっかくもらった入場券を無駄にするのは忍びないと思い、何人か声をかけたがそれぞれ都合がつかず引き取り手が見つからない。

そこで、バーゼルの美術館で言葉を交わした方のことを思い出した。ヨーロッパの美術館巡りをしているのなら興味があるのでは、と思い手帳の紙に書かれた番号に電話すると、すぐに落ち着いた声の女性が出た。こちらを名乗ったうえで、話したい名前を言うと、せっかくの電話だが今当人は体調が悪くて臥せっている、どうしても今話さなければなりませんか,と。とんでもない、急な用件ではないので、改めて電話する、と言って切ろうとすると、妹に伝えるので連絡できる電話番号を教えてほしい、と懇請された。こちらの名前を知っていたようであるいは旅先で世話になった、とでも話していたのかもしれない。

体が弱いという話はこれまで書かれていたことはなかったが、よりによって電話した時に臥せっているとは、何か重病かも知れないし心配だ。その人の家は自分の家と同じ地下鉄線の、となりの駅の近くだったので、その夜、帰りに駅前の花屋に寄って、店員に見繕ってもらったカーネーションを中心にしたお見舞いの花束に簡単なメッセージを添えて自宅に送る手配をした。

翌々日、伝えておいた在京中のオフィスにいるところに電話があった。ゆっくりと、丁寧な口調なので本人とすぐにわかった。急に頭痛がして具合が悪くなり、はじめはクモ膜下出血ではないかと疑ったが、かかりつけの医師に来てもらったら、暑い中を走り回ったことによる過労で、2-3日は安静に、と言われていた。今日はかなり良くなってきたので電話した。お見舞いに頂いた花は沢山あったので先日他界した母の仏壇にも供えさせてもらった、と。

こちらからは、そんなところに突然電話をしてしまったことを詫び、用事というほどのことではないが、高島屋で開かれるルーベンス展の前売り券があり、自分はいけないので、もし興味があれば渡したい、もうすぐロンドンに戻らなければならないので郵送すると言ったら、受け取りに伺いますが、と。もちろん、病み上がりの人にそんなことをさせる訳にはいかない。いや、郵便で送りますと言って翌朝、家の近くの郵便局から速達で送った。

その数日後、ロンドン行きの飛行機に乗った。その時の便は割合空いていて隣は空席、気兼ねなく書類を拡げることが出来たので、日本にいた間の出来事を一つ一つ点検するように振り返ってみた。目的だった案件はほぼ思った通りの展開で特に問題なかったように思えた。どうにか予定をこなしたという思いで目を閉じたら、この半月間の日本での出来事が今やずいぶん昔のことのような、遠いことのように思われてきた。

その時、ふと見逃したルーベンス展のことが頭に浮かんだ。はじめはなにも感じなかったのだが、そのうち、地平線にあらわれた白い小さな雲がだんだん大きく黒い雲になって空を覆ってゆくような、不安定な気分になった。果たして、いきなり電話を掛けたのはどうだったのだろう。そのうえ、病気と聞いて後先考えずにお見舞いの花を送ったりしたのは、たった一度言葉を交わしただけなのに、いささか常軌を逸してはいなかっただろうか。相手の方は、驚いたり迷惑に思っていたのかもしれない。考えてみれば、そもそも、アイルランドから葉書を出したのも、また、シャガール美術館の葉書を出したのも、余計だった。最初の葉書は礼状として、受け取ってそのままにしておくべきだったのだろう。誰でも礼状に返事が来たりしたら無視することはできないだろうから。そんな堂々巡りのように同じことを繰り返し考えているうちにいつか眠り込んでしまい、気が付くとロンドン上空に差し掛かっていた。戻ってきた、という実感がわいてきた。

ルーベンスの作品のいくつかはロンドンのナショナル・ギャラリーにも展示されている。1983年に刊行された「ナショナル・ギャラリー、100 Great Paintings」には、並み居る大画家を押しのけて、ルネッサンス・ベネチア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオと並ぶ最多の4枚が選ばれている。そのうちの、ルーベンスにしては珍しい風景画(The Watering Place)と、彼の義姉(と思われる)を描いた人物画(Le Chapeau de Paille)を。この時の日本での展覧会では展示されていなかったと思う。

 

 

 

コメント (2)
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