回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

キジ

2020年07月05日 14時57分57秒 | 日記

先日、自宅の向かいの公園を散歩していたら、キジのつがいがゆっくりと歩いていた。早朝なので人影もまばらな公園だから安心して出てきたのだろう。一般的な性格なのか、あるいはこのカップル特有なのかはわからないが特に人を警戒することもなく悠然と朝の散歩を楽しんでいるようだ。この公園には、さまざまな鳥が暮らしている。多分数で言えば、スズメが一番多い。散歩道で盛んに餌(と言っても餌付けしているわけではないので、草むらの虫だろうか)をつばんでいる。はじめ通りかかった時はクモの子を散らすように逃げてしまったのだが、そのうち、そばを通ても気にしないようで不用心に見える。

こういう時に大丈夫かと心配するのはいつの間にか人間不信が身にこびりついてしまったせいか。もし、お互いに信頼関係があって、無辜の鳥に危害を加えるなどということがなければ、何も警戒もする必要はない。一心に餌をついばむスズメ、無防備と見せることによって人間への全幅の信頼を示しているのではないか。国際政治では、いつも自国の利益をむき出しにした動きばかりがみられる。そんな時に感じるやるせなさは、信頼関係の失われたことへの絶望が苦い味となって感じるからだと思う。

ところで、キジは日本の国鳥であり、桃太郎が鬼退治に連れてゆく鳥だ。犬と猿に加え、桃太郎が鬼退治にキジを選んだのはキジの勇気によるという。サルは知恵を出し(戦略家)、犬が忠実な実行者(攻撃力)で、キジが勇敢な偵察役、という分担だ。数ある鳥の中でキジが選ばれたのはやはりその優雅な姿から古くから皇室に献上されていたという由緒にもよるのだろう。キジは美しいが、武器としては鋭いくちばしとかぎ爪がある。

この桃太郎一行を終身雇用の日本の組織に当てはめてみると、まず、新入社員は、キジのような偵察力を、中堅になったら猿のような企画力を、そして上級職員なら犬のような実行力を発揮して認められ、そして最後のトップとなるのが桃太郎。このように一歩一歩と昇進してゆき、桃太郎まで上り詰める。一方、特に欧米の組織では、あくまで役割、ポジションがまずありこれに人を当てはめてゆく。偵察ならキジ、企画はサル、実行は犬だ。年齢や学歴はそれほど関係ない。年次が逆転することはこういう組織ではとても自然なことだ。組織の中で上昇してゆくのではなく、人は専門家としてその特徴を生かしながら組織から別の組織へと渡り歩いてゆく。

一方、桃太郎伝説では、はじめから桃太郎は桃太郎だ。従者であるキジ他は桃太郎には決してなれない。その意味では年功序列・終身雇用ではなく、欧米系だ。ロンドンやニューヨークなど長く仕事をしてきたが、自分自身は年功序列の堅固な制度の中にあって、現地では能力主義という桃太郎伝説のような人事を繰り返してきた。その間に葛藤がなかったと言えばうそになるが双方にそれぞれ利点はある。確かなことはどちらの制度であれ、最後には、その人間の地力がものをいう。どんな組織であっても(桃太郎一行も含め)、それぞれに必要な地力がなければその位置をつかむことはできない。しかし、単に地力があるというだけでは十分ではない。数ある鳥に中で、キジが桃太郎伝説の一員に選ばれたのは美しさがあったからではないか、それも外面的な美しさだけではなく、相手を信頼するという、信念に裏付けられた内面の美しさを兼ね備えていたからではないかと。随分大袈裟で、暇な人間の考えることかも。

 

 

コメント
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