回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

2020年07月28日 18時39分28秒 | 日記

今住んでいる家では朝6時少し前の人々がようやく動き出そうとする頃、近くの寺から鐘の音が聞こえてくる。風向きによってははっきりと聞こえる時もあるし、ほんのかすかにしか聞こえない時もある。いずれにせよ、何か気ぜわしくしていると聞き逃すしてしまうほどの音だ。自分が檀家になっているこの寺の鐘楼に下がっている鐘の音は、低く長く余韻を残す。

たまたま、この寺のすぐ近くにカソリック系の大学のキャンパスがあって付属の教会があり、そこからも鐘の音が聞こえてくることがある。お寺の鐘は、鐘を鐘木で撞くもので余韻が長いのに対し、カソリック教会の鐘は、鐘の中にぶら下げた舌と言う分銅を揺らして鳴らすが、鐘の形状のために余韻は短い。時折、僅かな差でこの両方を聴くことが出来る。宗教が違っても鐘の果たす役割は同じようにあるものだ。

鐘の音と言えば、平家物語の冒頭の「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」をだれもが連想する。また、趣は違うが、「安珍・清姫伝説」とその後日譚の「娘道成寺」でも鐘が大きな役割を果している。いずれも仏教の、一つはひたすら人の世の無常を、一つはすさまじい執着の果てに救われて最後には成仏するという物語が目の前で展開する。

この寺の鐘楼のそばには藤の木と紫陽花が植えてあって今は紫陽花が見頃。朝、まだはっきりとは覚醒していない頭でこの寺の鐘をきいているとふと紫陽花の花が目に浮かんできた。寺の境内に紫陽花が多いのは、昔、流行病に倒れた人へ弔いの意味を込めて、人々は梅雨に咲く紫陽花の花をお寺の境内に植えたという。また、時間とともにその色を淡く変化させる移ろいが、老いて弱ってゆく姿を連想させるともいう。花には様々な言い伝え迷信の類があるが、色鮮やかな、しかし、それでいて派手ではなく、涼しげな淡色の小花たちは雨の多いこの時期にこそその美しさ際立つように思う。

庭にはふさわしくないということも言われるが、親が植えた紫陽花も今が花盛りだ。

 

 

コメント (2)
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