大学教授をしばらく前に辞めた大学時代からの友人と話をしていたら、何かの拍子に、君は時々偉そうにしているからなあ、と言われて少し驚いた。たしかに、自分には時々断定調に物事をいうところがあるが、それが聞き方によっては自信過剰、あるいはいわゆる上から目線、と言ったものに映るとは。これまで、自分の意見を表明するときに、少し曖昧にして、思う、とか、そうではないか、と言った遠回しな言い方はどこか無責任にも思えるところがあって、むしろ言ったことに責任を取ろうというくらいの気持ちで敢えてはっきりと断定調にしていたつもりでいた。相手を威圧しようとか、見下しているつもりはなかったのだが、長年の友人にまでそう指摘されると、やはり自分に至らないところがあったのでは、と言う(少し沈んだ)気持ちになる。
この友人自身は、本心からはこちらの言い方をそういった風にはとらないだろう。むしろいままで、大学教授と言う社会的な立場、研究者・教育者として尊敬されていると同時に、こちらから見れば黒白をはっきりさせる言い方をする友人の方が偉そうな、と思っていたくらいだ。その証拠に(と強調するのもおかしいが)ある時彼を奥様と一緒に食事に呼んだことがあり、その時には他にも友人を呼んでいたのだが、彼等がそれほど深刻な話題ではないのにいつのまにか議論になり、この友人が少し熱を帯びた調子で言いかけたら、奥様に、そんなに追い詰めるような言い方をしなくてもいいのに、自分の考えがいつも正しいと思うのは良くありません、とたしなめられていたくらいだから。
そうだとすると、今回、彼自身がそう感じたというよりは、彼の知る多くの知り合いがそう感じるのではないかと、思って自分に親切に忠告してくれたのかもしれない。自分の言うことで誰かから不興を買うことはないかと心配してくれたのではないかと。
物言えば唇寒し、少なくとも他人の悪口は言わないようにしているが、つい不用意に思ったことを口走って後味の悪いことはある。不用意ではないのだが、いつもの言い方が尊大な態度ととられるのはある程度は仕方のないことか。一方で、物言わぬは腹ふくるるわざなり、と言う諺もある。結局、言っても言わなくても、どちらもうまくはゆかないような気がしてきた。
さて、昨日、かつての部下から昨年末で退職した、との連絡が来た。もうずいぶんと長いこと顔を見たこともない。お疲れ様、またどこかで会うことも、というありきたりの返事ならすぐに出来るが、そんな紋切り型の返事をして何か意味があるのだろうか。そうは言っても、何か意味のある返事を思いつくわけでもない。今までは無難にと、社交辞令としてあいさつのやり取りをしてきたが・・・。ふとそんなことが頭をよぎった。やはり自分に欠けているのは謙虚さ?
謙虚、といえばライラックの花言葉。この写真を眺めて自らを省みることにしよう・・・