回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

昭和

2021年01月07日 16時17分24秒 | 日記

日本の元号の中で自分が属するところは、と問われたら、やはり昭和と答えることになるだろう。期間と言う点だけを取れば平成もほぼ同じなのだろうが、自分の最初の記憶は昭和時代だったし、自分の人間形成は昭和と言う時代の雰囲気の中だった。そして、勉強(入学、卒業なども)や就職といった大きな節目となった時代はみな昭和だった。職業人としてはむしろ平成の方が長い。しかし、誰もがそうであるように、仕事をしていると時間の経つのは本当に早い。子供の頃はあんなに長く感じた一年がそれこそあっと言う間に過ぎてゆくのだから、自分の時計では平成はなんとも短く感じられる。今振り返ってみれば自分の海外勤務も回数、時間ともに平成時代の方がずっと多かったのだが。

昭和天皇が崩御されたのは、今から32年前の1989年の今日、1月7日。このときは東京で勤務していた。前年から天皇の病状は一進一退を繰り返していて、職場には崩御の際に備えて机の中に喪章と黒ネクタイを用意していたものだ。もし、勤務時間中に崩御と言うことになれば直ちに机から取り出せるようにということだったが、実際に崩御されたのは土曜日だったので、その出番はなかった。

また、雨の降っていた肌寒いその年の2月24日の大喪の礼の日には地下鉄で赤坂見附まで行って新宿御苑に向かう葬列を見送ったことも鮮明に覚えている。霙にでもなりそうだったその日、地下鉄駅近くの沿道では多くの人が傘や帽子をささずに長い車列を見送っていた。

平成が終わり令和が始まって今年はもう令和3年と、昭和がどんどん遠くなってゆくように感じられるが、今日の日はやはり少し特別。杉並の自宅から富士五湖や山梨の方にドライブした途中、何度か武蔵野墓地(かつての多摩御陵)の武蔵野陵に参拝したことがある。夏の暑い日など、香淳皇后や大正天皇も眠っている武蔵野墓地、甲州街道からそれほど離れていないにもかかわらず静かなこの場所に佇んでいると自分が昭和の人間だということがどことなく実感できるような気がした。

保存が良くなく時間とともにすっかり日焼けしてしまった当日の日経新聞夕刊と、本棚の一角を占める、昭和天皇実録19巻。

 

 

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