回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

万年筆

2021年01月28日 16時05分30秒 | 日記

いつの頃からか、何かものを書こうとするときに万年筆を握ることが少なくなった。必要があればパソコンに向かって、自分の場合にはマイクロソフトのワードを開くことになる。手書きと違っていつでも書き直しが出来るし、書き損じで紙を無駄にするということもない。慣れて来ると手書きよりもキーボードを打つ方が速いくらいになった。それに、万年筆を握る時よりもキーボードに向かっている時の方が、いろいろな考えが次々に頭に浮かんでくるように思う。書きかけ途中の文章はそのまま残るし、あとからいくらでも文章を追加できるから、書いている文章が膨らんでゆくというか、発想が広がってゆくような気もする。出来上がった文章を見ると我ながらどことなく表現力が豊かになったような錯覚さえ覚える有様。こういった自己陶酔は実に危険だ。自己満足の落とし穴にはまり込んでいくようでもある!!。

そういうことで、万年筆やボールペンを使う数少ない機会は、たとえば何かに自分の名前を書いたり、署名(サイン)したりしなければならない時くらいになって来た。

しかし、いままでの人生を振り返るとずいぶんと万年筆には世話になってきたはずだ。初めて万年筆を手にしたのは中学校に入ったころだったろうか。そろそろ鉛筆だけでなく万年筆も持って、と言う親の考えだったのだろう。鉛筆よりは一段太い万年筆を握っていたら、何となく大人に一歩近づいたような気分になったものだ。学生時代には気に入ったものを何本か買ったが、それらはどこかに紛れ込んでしまったり忘れてきたりしてよく紛失したように思う。なにしろ、それほど大きなものではないから、ついうっかりポケットにしまい忘れたり、どこかに置き忘れたりしやすい。

先日手書きで自分の名前を書かなければいけないことがあり、実に久しぶりに本棚の引き出しにしまってある万年筆をとりだしてみたら、案の定、インクが出ない。見るとカートリッジは干からびている。インク壺のインクは変色している。これでは使い物にならないし、実際には殆ど使わないにしてもいつでも使えるような状態にしておかないと気分が落ち着かない。

調べるとMデパートにモンブランの代理店があるというので、インクを買うついでに長らく休眠していた万年筆たちを持って出かけた。応対に出て来た若い女性の店員が手際よくペン先を水洗いしてから、インクを充填してくれた。ボールペンの替え芯も。ペン先が生き返ったようになったので走り書きしてみたらかつて使っていた時の滑らかな書き味が手に戻ってきた。

不揃いな手書きの字も悪くない。漢字転換は辞書を見ながらになる。それでも万年筆にはキーボードにはない、楽しみや刺激があるようだ。これからは時々は二刀流で行こう・・・。

コメント (6)
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