海外に住んでいる40年来の知人からEメール。当たり障のない挨拶の後、10人ほどの共通の知人について、今はどうしているか知らないか、と言う照会。彼等は全員、既に第一線を退いて、いわば悠々自適な生活のはず。コロナ禍で外出も会食も自粛の昨今、よほどの用がない限り、顔を合わせることも電話で話すこともない。急に消息を尋ねられても答えようがないよ。例年であれば何かと理由をつけて誰かと顔を合わせ、ついでに芋ずる式に他の者たちの消息が分かるのだが・・・ しかし、訃報と言うものも受け取っていないので、多分どうにか生きているのだろうと消去法的な考えが頭に浮かんだ。ただ、待てよ、もしコロナにでも感染していたのだったら訃報さえ送ってこないのではないか・・・と思いは乱れる。
大体、この、海外からの知人から聞かれるまでそもそも知人の消息について考えようともしなかったことに気が付いた。仕事でのつながりがなくなってしまうと、薄情だと言われるだろうが、他人の消息にはすぐに疎くなってしまうものだ。それに多分それはお互い様でもあるだろう。コロナ禍が老後の僅かな数の人とのつながりすら奪ってゆくように思えた。
どういう返事をするか、少し考えてみよう。一期一会、と言う言葉がある。自分はこれまで知人に対し、会ったその時が最後の出会いになると思っていつも誠意を尽くしていたのか、今となっては甚だ疑わしい気がしてきた。それにしても,一期とは本当に重たい言葉だ。何しろ生まれてから死ぬまで、を指すのだから。もし、この海外の友人にただ、「知らない」と答えるのであれば、それこそ一期一会を大切にしているとはとても言えない・・・。
この陶器の人形はContinental、とだけ書いてある。それ以上、ヨーロッパ大陸のどこかの国で作られたものなのだろうが、どこにも手掛かりはない。大きなチューリプの花を抱えているようだから、オランダ?
ロンドンの骨董屋から衝動的に買ったもの。骨董屋も一期一会を大切にしていただろうか?