回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

ネクタイ

2021年01月14日 16時14分32秒 | 日記

最近でこそ頻度が少なくなってきたが、ここ数年、いろいろな会議や講演会に呼ばれる案内状に、ノーネクタイでお越しください、とわざわざ書いてあるのがある。暑い夏であれば冷房の温度を上げて省エネにつながるし、そうでなくても打ち解けた、あるいは堅苦しくない雰囲気で、と言うのが理由のようだ。こう書くことで参加者がネクタイ着用すべきかどうか迷わずに済むようにしようという配慮にもなる。

そうは言っても最近でも時と場合によってはネクタイを着用すべきか否かを迷うことはある。そういう場合にはどちらで良いようにネクタイを内ポケットにでも忍ばせておき、着いたところで判断するということもある。しかし、このノーネクタイ、冠婚葬祭を別にすればかなり定着してきて、ネクタイをしていないからと言って大恥をかく、ということは少なくなってて来た。在宅勤務が浸透して更に背広を着ることも少なくなってきており、今やネクタイ業界やファッション界は大変だろう。

ただ、ここまで来るのは長い道のり(少し大袈裟!!)があったようにも思う。自分が就職した1970年代、芸術家やいわゆる自由業のひとを除けば出勤に背広にネクタイと言うのはほぼ絶対的な服装だった。毎日、夏も冬も、背広にネクタイ。同じものを着続けるわけにはいかないし、かといって買うとなれば当時はかなり高価だった(極端な話だがかつて銀座に職場があった時、老舗の洋服店(E国屋)の若社長と話をしていたら、そこでは背広一着40万円くらいが売れ筋、と聞いたことがあった)。だから夏冬のボーナス時期にデパートで何着かをまとめてで作る、と言うのが普通だったように思う。それに比べると最近は、デパートなどでも比較的廉価なものを揃えているしいわゆる専門店でも随分と安いものがあるようだ。一方で仕事に行くときには常に背広にネクタイだったから、休日は背広から解放されるという、仕事と休みの区別が服装からも感じられたものだ。

それが、90年代に入ると一週間に一度はカジュアルは服装をしようということになり、それまで背広にネクタイしか知らなかった多くのひとがその一日の服装に頭を悩ませなければならない時期が来た。ちょうどそんな時にニューヨークに転勤になった。と、そこではもはや毎日がカジュアルであり、普通の通勤はいつもポロシャツ(さすがに初めは襟の無いTシャツは不可だった)にチノパンと言う服装で、業界内や当局との重大な集まり以外は背広・ネクタイの出番は全くなくなった。それもそのはず、当時アメリカでは、ネクタイや背広を着ているような会社は発想が硬直的で創造性に乏しく将来性がない、とさえ言われていたから。革新性をアピールするためにも、組織の上層部は率先してTシャツにジーンズと言った格好をしていたようだ。

ふた回りも先の時代を生きた、数年前に他界した父親の部屋を整理しようとしたときに(今でもまだ終わっていない・・・)、クローゼットから実にたくさんの背広とネクタイ、それにカフスボタンやネクタイピンが出てきて驚いたことがあった。晩年は高齢でもあり着るものにはあまり頓着していなかったのに長い現役時代に買った洋服を捨てずに持っていたのだ。それこそ山ほどもあるネクタイの中には色鮮やかなものもあったが、そんな派手なネクタイをしていた姿は記憶に全くない。また、カフスボタンには随分と凝ったたものもあった。父がどんなことを思いながらこの中から選んだのだろうかと思うと複雑な気持ちになった。親子と言えども誰かの着た洋服を着ることは仮にサイズが合ったとしてもできないものだ。カフスボタンやネクタイピンなどは今のカジュアルな服装の時代あまり出る幕もなさそうだし・・・

ゴルフ中を除けば、いつも背広にネクタイ、ダブルカフスシャツに宝石をはめ込んだ高価そうなカフスボタンをしているアメリカのトランプ大統領。それだけを見ても彼はほかの人とは一線を画しているようだ。とはいえ、彼も、この着飾った18世紀の人形の服装には太刀打ちできないだろう・・・

コメント
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