かなり深刻な話から日常の些細なことの報告まで、毎日何通かの手紙、Eメール、フェイスブックのメッセージを受け取り、返事をしなければいけないものはなるだけ早く返事をすることにしている。普通、差出人の方は少しでも早く返事が欲しいと思っているだろうから、ついずるずると意味もなく遅くなるのは失礼だと。しかし、ただ早ければ良いと言うことは勿論なく、間違った返事をするくらいなら遅くなっても的を得た返事にすべきだ。間違った返事をするくらいならしない方がまし、ということもある。
たいていの場合、受けとった文章、それが日本語であれ英語であれ、落ち着いて読めば内容をほぼ正確につかむことが出来るから、どういう返事をすれば、あるいはしなければいけないかすぐに判断できるものだ。一方、読んですぐにその意味するところが良く判らないようなものも時としてある。そういう場合、もう一度読み返してみると最初に読んだときとは違う意味が込められていることが判って来ることもある。
それは、最初に読んだときにどこか細かい所を読み飛ばしてしまったための時もあるし、最初の時に気が付かなかったことが、言葉にされていなくても滲みでてくるように判る、ということもある。更にもう一回読んでみると大きく意味が違っているように思えることもある。だから、慌てるとうっかり読み間違って、そのために的外れな返事を書いてしまうこともある。極端な場合差出人の意図を全く正反対に、読み取ってしまうこともある。
仕事の上のやりとりなら、とにかくはっきりと曖昧なところのない書き方が必要だろうが、知人や友人同士のやり取りの場合、何でもはっきり書けばよいというものではない。お互いどこかに逃げ場というか、自動車のハンドルの遊びのように少し動かしても方向が変わらないように、解釈に含みを持たせるようなところが無ければ人間関係を長持ちすることは出来ない。文になっていないところに、差出人の真意がある時も・・
本人が意識しているか否かは別として、文章には一旦書かれてしまえばそれ自体で動き出すようなところがある。したがって例えば自分では別れ話を切り出したのに相手から見ればまだ未練があるというか、むしろ気を引くような文章になっていることも。文章は書く方にも読む方にもなかなか骨の折れるところがある。こういった読み違い、書き違いだけでなく、そもそも文章でどこまで真意を伝えられるか、と言うことも。
書は言を尽くさず、言は意を尽くさず、と孔子が易経で言っているとおりに。
行間を読む、と言うと最近では必要以上な推測や忖度、あるいは迎合を意味する空気を読む、などと言う言葉に近いようにも思われるが、実際、手紙やメールのやり取りでは書き尽くされていないことを読み取る力がどうしても必要だ。英語にも言外の意味を読み取る、と言うことでまさに直訳ともいえる read between the lines とある。行間を読むというのは決して日本だけの習慣ではないと思う。
記憶違いでなければ、ハンガリーの地元の模様をあしらった水筒。毛皮で覆われていて、冷めないようにできているのか。何かメッセージを受け取ったときには、一息入れて水でも一口飲むのが良いかも。