今日、本棚を整理していて見つかった万年筆のセットからリトアニアのことを思い出した。
人口の少ない順、かつ地理的に北の方に位置する順でエストニア、ラトビア、リトアニアというバルト3国が旧ソ連からの独立を果たして間もなくの1992年、2週間ほどかけてこの3か国を訪れたことがある。独立直後で混乱しているかと思ったが、一番北に位置し人口の少ないエストニアはすでに落ち着きを取り戻し、国際社会への復帰も着実に進んでいた。一方、一番南で人口では最大のリトアニアは独立をめぐってソ連特殊部隊のテレビ塔襲撃事件により流血の惨事が起きたほか、第二次大戦時のソ連との確執もあり国の再建に時間がかかっていたように思う。第二次大戦のはじめカナウス総領事館の杉原千畝が日本経由のビザを与えることによって多数のユダヤ人を救ったという話は聞いていたが(20万人近いユダヤ人がドイツ占領時にナチスおよびその支援者によって殺害された)、まだ記念館などは開設されていなかった。バルト3国のうちで一番人口が多いといっても約280万人だからちょうど大阪市の人口と同じ、という規模。
この時リトアニアでは担当大臣主催の正式な晩餐会があるというので、礼服(ブラックタイ)を用意するように言われた記憶がある。先方としては大事な訪問者と思ったのか、ただ、晩餐会(というか夕食会)自体はそれほど堅苦しいものではなかった。そしてその時に、リトアニアを代表する企業ということでA銀行を紹介され、翌日表敬訪問した。若く見える社長以下総出で歓待してくれ、会議のあとA銀行の名前が彫られている万年筆とフェルトペンのセットを記念品としてもらった。この会議、特に何か物事を決めるようなことはなかったと思う。
ところがこの銀行はその後まもなく経営破綻し、経営陣は不正行為で訴追された。何かと権力闘争のようなものがあったのかもしれない。このセットをくれたあの経営者がその後、どうなったのかは判らない。しかし、多分あの時が彼にとって得意の絶頂にあったのかもしれない。そのセットはその後一度も使ったことはなく、自分の本棚の中におさめられたままだった。最初は良く分からなかったがよく見るとこの万年筆のセットは、シュミット(SCHMIDT)製のもの。ドイツ製らしく堅牢で機能的なセットは30年近くたっても何事もなかったように全く変わっていない。一時はドイツに占領されたこの国で、こう言ったものが記念に配られたというのはどこか複雑な感じがする。