回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

リトアニアの記憶

2021年02月23日 16時35分14秒 | 日記

今日、本棚を整理していて見つかった万年筆のセットからリトアニアのことを思い出した。

人口の少ない順、かつ地理的に北の方に位置する順でエストニア、ラトビア、リトアニアというバルト3国が旧ソ連からの独立を果たして間もなくの1992年、2週間ほどかけてこの3か国を訪れたことがある。独立直後で混乱しているかと思ったが、一番北に位置し人口の少ないエストニアはすでに落ち着きを取り戻し、国際社会への復帰も着実に進んでいた。一方、一番南で人口では最大のリトアニアは独立をめぐってソ連特殊部隊のテレビ塔襲撃事件により流血の惨事が起きたほか、第二次大戦時のソ連との確執もあり国の再建に時間がかかっていたように思う。第二次大戦のはじめカナウス総領事館の杉原千畝が日本経由のビザを与えることによって多数のユダヤ人を救ったという話は聞いていたが(20万人近いユダヤ人がドイツ占領時にナチスおよびその支援者によって殺害された)、まだ記念館などは開設されていなかった。バルト3国のうちで一番人口が多いといっても約280万人だからちょうど大阪市の人口と同じ、という規模。

この時リトアニアでは担当大臣主催の正式な晩餐会があるというので、礼服(ブラックタイ)を用意するように言われた記憶がある。先方としては大事な訪問者と思ったのか、ただ、晩餐会(というか夕食会)自体はそれほど堅苦しいものではなかった。そしてその時に、リトアニアを代表する企業ということでA銀行を紹介され、翌日表敬訪問した。若く見える社長以下総出で歓待してくれ、会議のあとA銀行の名前が彫られている万年筆とフェルトペンのセットを記念品としてもらった。この会議、特に何か物事を決めるようなことはなかったと思う。

ところがこの銀行はその後まもなく経営破綻し、経営陣は不正行為で訴追された。何かと権力闘争のようなものがあったのかもしれない。このセットをくれたあの経営者がその後、どうなったのかは判らない。しかし、多分あの時が彼にとって得意の絶頂にあったのかもしれない。そのセットはその後一度も使ったことはなく、自分の本棚の中におさめられたままだった。最初は良く分からなかったがよく見るとこの万年筆のセットは、シュミット(SCHMIDT)製のもの。ドイツ製らしく堅牢で機能的なセットは30年近くたっても何事もなかったように全く変わっていない。一時はドイツに占領されたこの国で、こう言ったものが記念に配られたというのはどこか複雑な感じがする。

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偶然

2021年02月22日 15時31分25秒 | 日記

ロココ様式および絵画は18世紀半ばに最盛期を迎えた後徐々に下火になり、特にフランス革命においてはそのあまりの貴族趣味、享楽趣味など(一見)軽薄にも見える画題が批判され主役の座を新古典主義に明け渡すことになった。そのロココ絵画の最後を飾ったのがジャン=オノレ・フラゴナールであり、その晩年がこの有名画家にしては寂しい、失意と貧困の中にあったことはかつてここでも触れた。しかし、20世紀に入ってニューヨークのフリックコレクションがフラゴナールの絵画を集めた専用の部屋を開設するようになるなど再評価の機運が高まり、今では多くの美術館でフラゴナールの絵が展示されている。このようにロココの時代はいったんは終焉したようにも見えたが、ヨーロッパ絵画の中に生き続け今でも一定の人気を保っているだろう。特に装飾品の世界ではフラゴナールの絵をはじめロココ絵画に題材をとった作品が多く見受けられる。

自分は煙草は喫わないのに、なぜか灰皿が集まってくる。この、知人から頂いたフラゴナールの「Love Story ]と呼ばれる連作を模写したフランス・リモージュの灰皿もその一つ。以前、ドイツ・バイエルンのクライバーの絵皿を載せたことがあるが、別にフラゴナールのファンというわけでもないのに偶然、同じ絵。

石の腰掛けに背の低い木が上から被さるように生い茂っている。18世紀風の衣装に身を包んだカップルが森の中で。腰掛けた女性はおそらく彼女が散歩で摘んだのであろう花でいっぱいの花籠の中からそのいくつかをギターを弾いている若者に差し出している。彼の方は多分セレナーデでも弾いているだろう(ギターの形と弦の数は現代のものとは違うようだが・・・)。いずれも金箔を周囲にあしらった絵皿と灰皿、悪趣味と紙一重のところがロココの特徴か。

故黒川紀章は、若尾文子のことを「バロックのような人」と(その美貌!を)譬えたのは有名な話。ロココはバロックの一種、という人もいて、はっきりとは区別しがたいところもある。ただ、よく、バロックが男性的と言われるのに対してロココは女性的とその特徴を表すこともある。若尾文子はどちらかというとロココな感じもするのだが・・・ただ、最近前東京五輪組織委員会会長の不用意な発言が大きな話題になったこともありこの点について触れるのはあまり賢くないかも。

左下にフラゴナールの名前。

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造花Part-2

2021年02月21日 17時16分03秒 | 日記

一昨日から心を入れ替えて(健康のために)少し散歩をすることにした。家の周囲を一時間ほど、速足で。普段は気が付かないが歩行者の目線でよく見るとそれぞれの家が意匠を凝らしているのが良く分かる。家を建てるというのは一生に何度もあるものではないから、どんな家にも持ち主の思いがいっぱいに詰まっているのだろう。建てられて間もなくの、まだ新築の香りのするようなある家の前の庭では、若い母親と幼稚園に入ったばかり位の女の子と男の子が座り込んで談笑している。この家族と一緒に家も成長してゆくのだな、そしてこの界隈の同じような新築の家はどんどんと成長し、そして老境を迎えるのかも~コロナが流行っても、景気がすこし停滞しても、人の営みは続いていると思うと頼もしい気持ちになる。

一方で、自分にはなかったけれども、もし、新しく家を建てるとしたらどんな家にするかな、などと空想するのは、楽しいような寂しいような気分。

そんなことを考えながら歩いているがまだこの程度では1万歩に達しない。何らかの効果が表れるまでの道のりは、遠い。

昨日アップした陶器の花のほかに、棚に押し込んだまま忘れられていた、人から贈られた陶器の花がいくつか出てきたので。こうしてみるとイギリスではいろんな機会にこういった陶器の花を贈る習慣があったのかもしれない。こういう陶器の花は見ていて飽きないから、こんど人に何かを贈るときの候補にしよう。

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造花

2021年02月20日 15時46分32秒 | 日記

家から車で数分走ったところの、道路が緩くカーブしている突き当りにある家は張り出した大きな窓際に、これまたいくつかの大きな鉢植えが置いてある。この窓は東向きなので一年中日当たりがいいはず。そこにはいつも天井まで届きそうな大きなポインセチアの鉢が置かれている。その鮮やかな赤い苞は緑の葉との対照で一段と輝いているように美しい。

クリスマス時期にきれいに咲いていた(ように見えた)ので、きっと花の手入れに熟練した人が丹精込めて育てたのだろうと思っていた。ところが2月になってもその美しさは変わることがない。いくら育て方が上手だといっても生き物であればいつかは変色したり少なくとも葉の色が変わってくるだろうが、そんな様子は見当たらない。不思議に思って車の少ない時(このところの外出自粛で交通量は少なくなっている)に近くでじっくりと観察してみた。よく見ると、安っぽくは見えないが多分プラスチックか何かで作った造花だとわかった。日当たりが良すぎるのか、むしろ少し色あせてさえいる。

車で何気なく通るときには目を楽しませてくれたこのポインセチア。しかし、これだけの大きさで、少なくとも遠目には鑑賞に耐える造花を飾っておくというのは簡単ではないだろう。そういえばこの家は空き家ではないのに住んでいる人を見かけたこともなく、家全体にどことなく人の気配が薄いように感じる。きっと、多忙でしょっちゅう家を空けている人かあるいは年老いた夫婦あるいは独居老人が住んでいるのかもしれない。

ロンドンで働いていた時にそこの事務所の、30人は入ることのできる大会議室には大きな花瓶にドライフラワーが活けてあった。秘書に聞いたら、匂いもあまりしないし生花より長持ちするからこういう場所にはドライフラワーの方がいいのだという。春夏秋冬、一年に4回ほど入れ替えられていたので季節感も楽しめた。これを見て自分でも庭のバラを束ねて逆さにつるしてドライフラワーを作ろうとしたことがあった。しかしそれらしいものは出来たが鉢に活けるものにはならず、結局いくつかをまとめてスワッグにして玄関に飾ったことがある。造花の変わることのない美しさにも引かれるが、何物も永遠というものはないのだから、遅かれ早かれ枯れてしまうとわかっていても生きた花の方がいいと思う。

造花の一つといえるのか、陶器で作られた花もある。これは1801年創業のスタッフォードシャー、クラウン社製のフラワーポットアレンジメント。35年前にロンドンを離れるときに秘書から贈られたものだ。遠い記憶だがこの秘書は、その時は陶器のように色白で整った顔をしていた。

 

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アウトロー

2021年02月19日 17時01分58秒 | 日記

一世を風靡した有名俳優にとって、美しい引き際を飾るというのは簡単ではない。2018年のアメリカ映画「さらば美しきアウトロー」は、ロバート・レッドフォードが自ら最後の主演作品、と言っていたコメデイタッチでしかし、しんみりともさせる映画だ。必ずしも物語に深みはないけれども名優の最後を飾るにはふさわしい映画だったと思う。いや、あまり肩ひじを張らずに80歳を超えた有名俳優が、まるで飛ぶ鳥跡を濁さず、という感じで演じたのが良かった。

先入観を持たずにこの映画を見始めたとき、正直主人公がレッドフォードだと気づかなかった。あまりに老け込んでいる、しわだらけの顔には往年の彼の面影が見当たらなかったからだ。物語が進行して、過去を振り返って、多分40代くらいの主人公の顔が出てきてそこでレッドフォードだとわかった次第。

常習的な銀行強盗それもポケットに拳銃か何か忍ばせていることをうかがわせるだけで金をせしめるという役。何度捕まってもやめられないというのはもう病気以上だろう。なぜなら病気なら治せることができるが、人を決して傷つけたりはしない銀行強盗という魅力(魔力?)にはどうにも抗えないという主人公。この映画、相方のシシー・スペイセクも実にチャーミング(70歳を超えて!)だった。こういう脇を固めた映画は見終わったときにさわやかなものが残る。強盗なのに「紳士だった」「礼儀正しかった」とまで言われるのは確かにニクイ・・・。

久しぶりに会うとあまりに顔が変わっていてすぐには誰だかわからないことがある。この映画の中でのレッドフォードは自分にとってはまさにそれだった。運動はと尋ねられて散歩と答えていたのに最近はあまり歩いていない。これでは老け込むと思って今日は家の近くを一時間ほど歩いてみた。しかし、スマホにある歩数計を見たらそれでも8000歩くらいにしかなっていない。これではまだ少ない、明日からはもう少し歩いてみよう。そうしなければ今度知人と会ったときに「あなた誰?」と言われかねないから。

今日、本棚を整理していたら紺色の箱の中に収められた磁器の人形が出てきた。チューリンゲン州にある「アエルテステ・フォルクステット磁器工場」(1762年創業のチューリンゲンの中で最も古い窯)でつくられたものという貼り紙がある。

多分30年ほど前にドイツで買ったものだが、正確にはいつ、どこで買ったのか記録も記憶もない。ただ、この間、外気に触れることもなく、ひたすら箱の中で眠っていた。写真では判りづらいが、金の絶妙な使い方、透き通るような肌の色や滑らかな指先に至るまでの緻密な造形はこれを作った職人の技術の高さを物語っている。

 

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