回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

モーツァルトリキュール

2021年02月08日 13時44分19秒 | 日記

飾り物になった酒をもう一つ。

オーストリアのザルツブルグといえばモーツァルト生誕の地であり、モーツァルトの音楽を愛する人にとっての聖地。空港の名前が「ザルツブルグ・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」となっていることからもザルツブルグがモーツァルトの街だということがわかるだろう。例年7月から8月にかけて開催されるザルツブルグ音楽祭は世界中から音楽愛好家が集まってのオーストリアの一大イベントとなっている。そういうことでザルツブルグは街中、モーツァルトグッツであふれているといってもいい。

多分その最も有名で一般的なものがモーツァルトの顔を描いた箔に包まれた一口チョコレート、モーツァルトクーゲルン(Mozartkugeln)だろうか。そしてこれとよく似た球形(サイズははるかに大きい)の瓶に入っているリキュールがモーツァルトチョコレートクリームリキュール。食後にチョコレートでもつまむような感覚で飲む甘いリキュール。モーツァルトクーゲルンと同じように、金色の箔に包まれている。モーツァルトの描かれたタグもつけられて。

このリキュール、日本でも一部のデパートなどでは販売していると思う。ただ、今回見つけたのは、30年位前にロンドンで何人かを食事に呼んでその食後酒として出そうと思って買ったのが、結局封も切らずにそのまましまい込まれたもの。普通のブランデーやウイスキーならともかくクリーム入りのこの食後酒は、まず確実に変質しているからそのまま飲むことはできないはずだ。最近のこのリキュールのラベルがクリーンで近代的なものになっているのに対して、この瓶ではまだどこかにクラシックな雰囲気を残している。ヴィンテージワインは時にはオークションで高額になることもあるが、単に飲み時を逸してしまったこのリキュール、今や大柄のチョコレートボンボンのようなものだ。ただこのモーツァルト、いつになく真剣な表情をしている。その視線の先には何がある???

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オリンピック

2021年02月07日 15時19分55秒 | 日記

東京五輪組織委員会会長の一言で世界中が蜂の巣をたたいたような状況になっている。ある意味では、去年のBLM運動や、その前の#Metoo運動並みの反響(のように聞こえる)。BLMも#Metooも、このところあまり耳にしなくなったから、もはや旬なテーマではなくなった(ように見える)。いや、すっかり定着し、かつその目的を果たしているのかもしれない。

その意味ではこの老元首相、会長の発言に対する世界を挙げての糾弾も、先のテーマと同じく、いつの間にか旬の話題ではなくなり、人口に膾炙しなくなるのかもしれない(彼が辞任でもすればあっという間に消え去るのかも。こういったテーマを持続させるには相当の燃焼エネルギーが必要)。

五輪(オリンピック)といえば、やはりその発祥地ギリシャを連想しないわけにはいかない。ギリシャは仕事や休暇で何度も訪れた。先日は古代ギリシャのアンフォラ(酒樽の模造品)をアップしたが、書棚に飾ってある酒瓶のひとつに、薔薇や香草から抽出したエキスと甘味料を混ぜたギリシャのブランデー、メタクサの陶器の瓶がある。ギリシャ産のブドウから作られたブランデーでアルコール度は40%。この、グランド・オリンピアン・リザーブは、熟成40年、1888年に創業されたメタクサ社の100周年を記念して1988年に発売されたものだ。正確にいつ購入したかの記録をなくしてしまったが、1988年当時ギリシャには何度か出張する機会がありその時にでも買ったものだろう。封も切らずにそのまま埃をかぶっていた。もし、このギリシャブランデーが熟成40年、ということなら、今から少なくとも73年前のブドウを仕込んだもののはず。

今話題沸騰の件の会長は83歳ということだから、このメタクサ、グランド・オリンピアン・リザーブよりも10年も長く熟成を続けてきたことになる。どう見ても素朴な陶器の瓶の中で時間を過ごしてきたこのブランデー、今まで味を試したこともない。すっかり飲み時を逸してしまったのでこれからも封を切らずに書棚の一角を多彩色で飾る役割を果たしてもらおうと思っている。老会長がフェードアウトした後も。

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訃報

2021年02月06日 13時40分41秒 | 日記

今朝、叔母が83歳で亡くなったという連絡をうけた。今の時代それほどの高齢ではないけれど、ここ10年ほど、肺がんを患い一時は「オプジーボ」を使用した治療によりほぼ完治したと聞いていた。ところが先月下旬から体調を崩し重篤となり、コロナ感染のリスクもあって医師の勧めにより自宅療養を続けていたという。この叔母とは昨年11月、親類の法事で顔を合わせた。その時もあまり体の調子は良くない、と言っていたが、足取りも軽くひとりで歩いていたので、こんなに早く亡くなるとは思ってもいなかった。

この叔母は父の一番下の妹で何かにつけて父を頼ってきていた。たまに父の家に行くと叔母が来ていてそこで顔を合わすことがあったが、いささか強引で気性の激しいところがあり、昔から少し苦手にしていた。それでも亡くなったと聞くともう少し丁寧に対応しておけば、という気持ちになる。普通であれば葬儀に出席するところだが、コロナ禍でどのような形になるのか、今は連絡待ちだ。先日同級生が亡くなったた時には、葬儀は自宅でそれもごく身内だけ、友人は時間をずらして、ということだった。イギリスでは葬儀でも参列者は最大30人まで、となっている。もちろん、日本にはそのような制限はないが、人数が多くなればコロナ感染のリスクは高くなる。感染しても、感染させてもいけないし。今のところ叔父、叔母が一人ずつ存命だが、相当に高齢。こういった連絡がいつ来てもおかしくない。

去年は、同い年の友人二人を病気で相次いで失った。だんだん他人事でなくなるような気がする。一期一会を大切に、という言葉が頭に浮かんできた。

ロンドンで買った薩摩焼(といわれている)鉢を。

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捨てない

2021年02月05日 16時05分55秒 | 日記

断捨離とは、モノへの執着を捨て不要なモノを減らすことにより、生活の質の向上・心の平穏・運気向上などを得ようとする考え方のことをいう、とある。しかし、物への執着を捨てると、あるいは物が減ると生活の質が向上するのだろうか。あるいは心の平安が得られるのだろうか。運気、は何ともとらえようがないので良く分からない。

病的なものや、極端なゴミ屋敷は論外としても、近隣に迷惑をかけることもなく普通に生活しているときにことさら「モノを捨てないこと」があたかも生活の質を落とすものだといわんばかりの風潮にはいささか疑問を感じる。自分が古いものに興味があるから、ということだけではなく、そもそも文化というのはなんらかのモノによって伝えられてきたのではないだろうか、とも思うからだ。もちろん、モノを捨ててできたスペースによってその人の人生が豊かになるというのであれば何も文句を言う筋合いはないが、「捨てること」自体に意味を見出そうというのでは本末転倒のように思われる。もちろん乱雑にしてよいということではなく、整理整頓は必要だろう。しかし、使うかどうかわからないモノ、今は使えないモノでもそれは生きてきた証といえる。他人の物を捨てるのであればともかく自分のものを自分で捨てて悦に入っているというのはどうも理解しかねる・・・。

先日、近所の家に住んでいた高齢の紳士が亡くなって子供たちが相続でもしたのか、大きな屋敷と物置(倉庫、と言ってもいい)が解体され更地になったことがあった。大型の重機がバリバリと音を立てて古い頑丈な壁を壊し、家や物置の中から出てきたものを大型トラックに委細構わず載せて処分場に運んで行く。それも数台ではない規模で。このくらいの規模になると、家財道具や物置にあった古い道具などはおおまかに分別された後とにかく一緒くたにされて運ばれていった。偶然その近くを通りかかり、そこで見物していたこの家の主人と知り合いだという近所の人に話を聞いた。そこで、物置の中から出てきて処分されたものの中には古いバイクもあって、とても動きそうにはなかったですけど、そういったものまであの方は捨てずにとってあったのですね、と感心したように言っていたのを聞いて、しまったと思った。

ときどき給油に行くガソリンスタンドの所長、と言っても30代くらいだが、と雑談をしていたら、「自分は昔の古いバイクを収集している。それを時間をかけて修理して走れるようにするのが唯一・最大の趣味。もし、どこかで古い家を解体するようなことがあったら、そこには乗らなくなった古いバイクがあるかもしれないので教えて欲しい」、と言われたことがあったのを思い出したからだ。今回の場合、もうどこかの廃品業者の手に渡ってしまったか、あるいは埋め立て地に捨てられてしまったか、機転の利く別の収集家が目ざとく見つけたか、いずれにしても、時すでに遅し、どんなバイクだったのか知らないが残念なことをした。次回、近所で古い家を壊す光景を目にしたら彼に連絡してみよう。そうすれば彼がすぐにそこに駆けつけて、解体業者と話をつけてガラクタの中からバイクを見つけることができるかもしれない。

モノに対する愛着は、むしろ人生を、そして文化を豊かにするものではないか。「捨てられない症候群」に罹ってしまっているのかもしれないが、人に迷惑をかけない範囲で今自分の身の回りにあるものをできるだけ大切にしようかと思う。そして、重機が一気に建物を家具ごと壊していった光景を思い出すと、何も断捨離にこだわらなくてもナ、という気になってくる。

昨日に引き続いて(一応大切にしている)九谷焼の花瓶、これをロンドンで買ったときに骨董品屋には、この九谷、19世紀の物です、と言われたが本当かどうか・・・

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ホームカミング

2021年02月04日 16時53分58秒 | 日記

かつて同窓会というと高級ホテルの大広間での宴会、お決まりのスピーチと余興、校歌(あるいは寮歌)を歌ってお開きという、そしてそのあと三々五々二次会三次会で旧交を温めるというのが定番だった。同じ学校の出身者ということで、ひょっとすると何か仕事にも役立つかも(人脈)という期待をもって参加した人もいるかもしれない。いずれにしても、高校にせよ大学にせよ、学んだところへの愛着というよりも、その当時の級友、学友と会うことが主たる目的だ。もっとも、卒業した学校に対して、いい思い出を持っていない人も数の上では結構多く、そういう人たちはそもそも同窓会などの会員にはなっていない。もちろん、会員になるには年会費あるいは終身会費を支払わなければいけないから、費用対効果(!)で距離を置いている人もいる。

しかし、ここ15年ほど、特に大学では同窓会とは言わずに「ホームカミングディ」と名前をかえて、内容も宴会というよりも、母校への愛着を再確認してほしい、そのため、場所もホテルなどではなく卒業した大学のキャンパスで行うセミナ-や記念講演、施設紹介という風になってきて、そろそろ定年を迎え時間を持て余している団塊の世代の、かすかに残っている「知への関心(!!)」に応えようとしているようだ。一方で今や国立大学といえども財政的に自立が求められ、もはや象牙の塔などというのは完全に死語になってしまっているから、何らかの形で卒業生からの支援を受けたい、と思うのは自然なことだろう。

確かに、アメリカに駐在していた時、秋のはじめ頃、そこかしこの高校や大学で派手なホームカミングディの催がありそのアトラクションとしてアメリカンフットボールの試合が行われていた、という記憶がある。それがいつの間にか日本でも同じように行われるようになり、定着してきたのだろう。同窓会という少しかび臭い権威主義的な名称よりもホームカミングディという英語のネーミングの方が卒業生にも受け入れられやすい。

文字通りのホームカミングとは帰郷、帰国だから、ホームカミングディは学校が卒業生に「お帰りなさい!」という気持ちを表したものだ。人間帰るところがある、あるいはお帰りなさい、と言われるのはたとえそれが学校であってもうれしいはず。

ロンドンで骨董品を買っていたころ、たまに日本からイギリスあるいはヨーロッパに持ち出された(輸出された)ものと出くわすことがあり、骨董屋はこちらが日本人だとわかる、誰でも日本の焼物に詳しいと勘違いしていろいろと意見を聞いてくることがある。こちらはもちろん素人だから、当たり障りのないことしか言えない。またそれでも熱心に売り込んでくるものもいる。目利きはできないから気に入ったものをそして値段の安いものを買うことにしていた(どのみち、吹っ掛けてきているのだから)。それで買ったのが、この九谷の花瓶。明治時代に日本から輸出されたもの、ともっともなことを言ってたが、正確にはいつ頃のものかはわからない。いずれにせよ、日本の窯で作られたことは間違いなく、その意味では、日本に里帰り、ホームカミング、といえる・・・。

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