回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

アンティークフェア

2021年02月13日 16時16分05秒 | 日記

ロンドンに駐在していた1980年代の一時期、仕事が忙しくて毎日帰りが夜遅くなり精神的に余裕がなくなっていたころ、気分を変えようと時々週末に(どんなに忙しくてもさすがに週末は休みが取れた)あてもなく車で郊外の田舎道を走り、昼には通りかかった小さな町の中には必ずあるパブでビールを1パイント(568ミリリットル)とサンドイッチをつまむということをしていた。

当時は、1パイント程度のビールなら(それにアルコール度も低い)酒気帯び運転で検挙されたこともなかったし、また若くて体力もあったせいか一度も問題も起きなかった。当然ながら酒気帯びで事故を起こしたら大変なことになるが、酒気帯びだけでは検挙されることはなかったからだ。そんなふうに田舎道をドライブしていると頻繁に目についたのが、小さな集会所や教会の庭で開催されるアンティークフェアの看板。イギリスの骨董好きは何も大都市だけとは限らずイギリス全土にいる。そういった骨董好きが自分のものかあるいはどこかで仕入れてきて磨き上げたり来歴を調べたりしたものを転売するのがこのアンティークフェア、骨董市だった。

思い思いに割り当てられた小さなブースに店を広げ車に積んで持ってきた自慢の骨董品に値札をつけて並べて売っている。こういった骨董好きのひとたちは必ずしも売ることばかりに汲々としているのではなく、むしろ同好の士同士がお茶を飲みながらひがなよもやま話をしているというのんびりした、あたかも周りの田園風景に溶け込んだようなものだった。決して高価なものではないが、時には珍しい物が見つかることがあり、また、不意になぜか気になるものに出くわすこともあって楽しい。立ち止まって眺めていると店主がおずおずといった風にその品の来歴を解説してくれる。決して買ってくれとか、値打ちものだ、というようなことは言わない。むしろ、自分の骨董の知識を確認するような、そして少し自慢している風といってもいい。

大体気になって立ち止まったものは説明を聞くと(それほど高いものでもないので)せっかく解説までしてくれたのだから、という気持ちにもなり、つい買いたくなってくる。買おうとするとこちらから言わなくても大体1割くらいは向こうから値引きしてくれたものだ(少し高めに値付けをしていて良心がとがめるのか・・・)。そういったフェアを一日に2-3か所立ち寄ることもあった。特に集める品の分野を決めてはおらず、いわば衝動買いのようにして集めたものでもいつのまにか相当な数になってしまう。

今考えれば自分は車を走らせることに加え、小さな買い物をすることで一層ストレスの解消を図っていたようだ。(このことは日本に帰ってきてある時部下の女性から、私はストレス解消のために買い物をすることがあります、という話を聞いて納得したことでもある)。

そういった物を自宅で過ごす時間の長くなった昨今、しまい忘れたところから引っ張り出してみている。コバルトブルーガラス首の、白ダリアの花弁の周りを金と井鳥の葉で飾られている花瓶もその一つ。この花瓶は一見薩摩焼のようにも見えるが底を見るとれっきとしたイギリス製、ロイヤルドルトンが1920年につくった細首花瓶だった。ただ実際には一度も花を挿したことはない。少し変わった形と色彩にひかれて買ったのだと思う。

 

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ゴルフ

2021年02月12日 16時03分08秒 | 日記

先日、ある席で久しぶりに顔を合わせた友人から、何か運動をしているか、と尋ねられた。正直に、気の向いた時の近所の散歩と気候によるが庭の手入れくらいか、と答えたら、ゴルフはまだやっているのか、と。夏休み別荘で過ごしているときにすぐ近くのコースでのんびり楽しむような優雅なものならともかく、普通は週末早朝に起きて高速道路を飛ばし、ゴルフ場に到着するとあわただしく準備してコースを回る。9ホール終わったところで大体は早めの昼食、そして、指定された時間から残りの9ホールを回ってパーティー。それから時にはひどい渋滞の中を帰宅するという、一日をすっかり費やすような娯楽にはどうしてもなじめず、もう10年ほど一度もクラブを振ったことがない。それにゴルフクラブは日進月歩の世界だから、自分の持っているクラブは(こちらの体力の低下もあるし)とてもコースに持ち出せるものではないだろう。

こう言ったらその友人からは、自分はまだときどきゴルフをやっている。スコアに関係なく今度一緒にどうか、という誘いがあった。もちろんコロナが落ち着くまでゴルフに行くことはないが、かといってパークゴルフに鞍替えするには早すぎるかもしれない。気候が良くなったら考えようか・・・

そういえばかつては社内コンペなどという親睦のゴルフ会があった。役職上やむを得ず参加していたが、そういう時には職場で競馬の予想を模した「出走馬表」が作られ、参加者(競技者)それぞれについて競馬のようなコメントがつけられそれが一つの余興だった。たとえば、「最近成長が著しい」「距離感に問題あり」「脇が甘い」という風なのだが、それがゴルフの腕前のことなのか仕事上の評価なのかわからない、というのミソだった。こういうことを考えるには才能が必要だろう。ゴルフ自体には参加しなくても、職場の一体感が生まれるというものだった。もちろん、競馬と同様、単勝、連勝で賞金もつけられていた。今でもそんなゴルフの会はあるのだろうか。今度知人に聞いてみよう。

このパターは1902年の全英オープンで使用されたもの、という触れ込みでロンドンの骨董屋で売られていた。錆びてしまって製造者などはわからず、ただAccurate Putterとのみ判読できる(もとよりパターだから正確でなければ困る・・・)。ヘッドは錆びてしまったが、革巻きのグリップはしっかりしているし、シャフトも曲がったりしてはいない。飾り物にしておくのはもったいないので、いつか実戦に使ってみようかと思っている。

いずれにせよスコアが悪いのをパターのせいにするのはフェアではないか。

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Le Pré Catelan

2021年02月11日 15時05分33秒 | 日記

今日は建国記念の日で祝日。何をもって建国とするかは国によって異なるがアメリカの独立記念日(7月4日)やフランスの革命記念日(7月14日)、ドイツ統一の日(10月3日)などと同じく、日本の建国を記念する日。こういう日にはどの国でも国旗が掲揚される。日本の国旗に関する法律、国旗及び国歌に関する法律は1999年に公布施行された。たまたまその時は日本にいなかったので、一般にどういった反響があったのかは知らない。この法律には当時の民主党の一部と共産党が反対した。国旗を掲揚する日として祝日が挙げられるが、祝日の中でも、今日の建国記念の日は特に国旗とかかわりの深い日といえるだろう。今でも公共交通機関、タクシーなどは祝日に国旗をつけて走っているからすぐにわかる。

自分の家では、天候の許す限り祝日には玄関に国旗を掲揚することにしている。垣根があるので道路から直接は見えないが、門のあたりから注意して見ればすぐにわかると思う。一度祝日に友人を家に招いたときに国旗を見て少し不思議そうな顔をされたことがある。そして、君は海外に長く住んでいたから国旗を掲揚するのが当然だと思っているのだろう、といった趣旨のことを言われた。たしかに周囲の家を見回しても祝日に国旗を掲揚しているところは多くはない。ただ記憶では、昭和天皇の大喪の礼(1989年2月24日)の日に、その時は日本にいたのだが、かなりの家で弔旗として日の丸の国旗の竿頭を黒い布で覆って玄関に掲揚していたのを見かけた。普段の祝日にはあまり見かけなかったのに、多くの家でそのような弔旗を掲揚していた。頻繁に掲揚はしなくても国旗を持っている家は多いのだと思ったものだ。

先日、暴徒が乱入したアメリカの連邦議会議事堂の周辺には独立記念日には数えきれないくらいの星条旗がはためくし、またオリンピックでは世界中の国旗が勢ぞろいする。日本では普段はあまり国旗を意識することはないが、海外に行くと日本人として意識せざるを得ないこともあり、日の丸に対する感じ方も変わってくる。海外で活躍する日本のスポーツ選手も日の丸を胸につけていることが多い。もちろん政府専用機の尾翼には日の丸そのものが塗装されているし、かつての日本航空の尾翼のシンボルマークも日の丸の一部から着想を得たものだったと聞いたことがある。旅行のセンチメンタルな気分もあるだろうが、海外の空港で日本の航空会社の胴体につけられている日の丸は真っ先に目に入ってくるものだ。特に誰でも海外旅行ができるようになった現在(ここ1年のコロナ禍は別として)、こういう感慨を持つ人の数も飛躍的に多くなっているのだろうと思う。

様々な国が国威発揚に国旗を利用する。しかし、そのスケールと美しさにおいて、フランスの革命記念日のシャンゼリゼを埋め尽くす三色旗の右に出る者はいないのではないか。もちろんフランス人の美的感覚の鋭さもさることながらその国旗の色が、人類の理想に呼応しているからではないかと思う。1983年の革命記念日に、さる理由でシャンゼリゼ通りからほど近いブーローニュの森の中にある、この灰皿に描かれた素晴らしいレストランで食事したことも忘れられない。

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古伊万里大皿

2021年02月10日 15時19分21秒 | 日記

一昨日、昨日と叔母の通夜・葬儀に参列。会場の斎場では入り口でのアルコール消毒は当然のことながら、カメラのような体温測定器が設置されていてそれをパスしてから初めて入場できる。場内では常時マスク着用、喪主へのあいさつもできるだけ短くと繰り返し要請された。万一会場でコロナウイルスの集団発生でもあろうものなら、業務上は大変なことになるから神経質になるのは良く分かる。席も通常の半分くらいで、隣とは一席開けるという配置。

東本願寺派の、叔母の嫁ぎ先が檀家になっている浄土真宗の寺の住職がマスク着用で読経。少しくぐもってきこえたが、高齢の割には住職のよく通る声が印象的だった、そのあとの説教は、浄土真宗宗祖親鸞が得度を申し入れたときに詠んだという

「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」

の解説から始められた。これは仏教の無常観を詠った歌でありながら、文学的にも非常に優れている。信ずる宗教はさておき、亡き人を偲ぶ言葉として久しぶりに心にしみる説教だった。叔母はいささか気難しいところのある人だったが、歎異抄のいうところの「本願を信じ念仏申さば仏になる」、極楽浄土へ旅立った。

写真は古伊万里の大皿。ロンドンからストックホルムに出張中、たまたまある屋敷の所蔵品を処分しているところに出くわし、日本人だとみてこの大皿を売り込んできた。いくらでもいいから持って行ってくれ、という感じで、ずいぶん安くなったように記憶している。日本に駐在したスウェ―デンの人が持ち帰ったものだろうか。いつの時代のものかは判らない。が人間と違って、こういうものは死ぬことはない。

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ラインの黄金

2021年02月09日 16時09分45秒 | 日記

ニューヨーク、メトロポリタンオペラ劇場はコロナウイルスのために昨シーズンの全演目がキャンセルとなり今年9月からの再開を目指している。しかしこれもコロナウイルスの感染状況如何によることは言うまでもない。そのため、オペラファンに対して、同劇場での公演をネットに無料で公開している。毎日1演目づつ、時差の関係で日本では午後9時半から翌朝8時半までの間鑑賞できる。

URLはこちら。Metropolitan Opera | Nightly Met Opera Streams

今日(9日)の演目はワグナーの「ラインの黄金(Das Rheingold」)。ワグナーの代表作、「ニーベルングの指輪」4部作の「序夜」に当たる。序夜といっても3時間近い大作。無料のストリーミングではあるが、財政的に苦しいのはこのオペラ劇場も同じで、クレジットカードを使って25ドルから寄付することも可能。

ニューヨーク駐在中には、かなり頻繁にこのオペラ劇場に取引先を招待していた。やはり人気の演目は「椿姫」、「ラ・ボエーム」といったプッチーニの作品。ワグナーの作品が上演されていたかは記憶にない。明日は、ベルディの「エルナーニ」とのこと。ヴィクトル・ユゴーの原作の冒険と恋愛譚でこれも面白そうだ。外出自粛で家にいる時間が長いこの頃、オペラを鑑賞するのも悪くないのでは。ただ、残念なのは、英語の字幕はあるが日本語の字幕はなさそうなことだ。「ラインの黄金」にも英語の字幕が表示される。

オペラの話とは関係なく、今日の一品として、ドイツの隣国、チェコのボヘミアングラスの花瓶。チェコとスロバキアが分離した1993年に出張したときに手に入れたもの。ヴェネチアングラスと時として区別がつかないこともあるがこれには、きちんとシールが貼ってある(この辺りはチェコの几帳面さの表れだろうか)。金とコバルトブルーの対比が鮮やかだ。

 

 

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