晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

初恋号六世

2006-07-08 | 旅行記

 待ちに待った自転車がやっとできあがった。さっそく試乗したところ、長い間自転車に乗っていなかったので怖いこと怖いこと 、何が怖いって車が怖いのである。ぎりぎりのところをすれちがって行く。両サイドにサイドバッグを取り付けた日には一体どうなるのであろう。急に気が弱くなってきた。

 なにはともあれ、7月7日はFIRSTLOVE Ⅵの誕生日としよう。思い起こせば20数年前FIRSTLOVE Ⅰ(初恋号一世)誕生から六台目の自転車ということになる。一世は黄色のロードレーサー、フレームは三連勝、給料が10万円そこらの時、6万円は度胸がいったものだ。宮古島トライアスロンからハワイ島のアイアンマンなど大活躍し、今は自転車マニアのお宅に飾られているらしい。(ショップ タケナカ)

 二世はおしゃれな柄の台湾産フレームのMTB、今でこそMTBは町にあふれているが当時は京都でも扱っている店も少なく、探すのも大変であった。ショッカー(オフロードバイクのチーム)主催の銀山湖のサバイバルレースを皮切りに、あちこちで賞を稼いだ。強かったのではなく選手が少なかっただけである。通勤にも活躍し、雨の日も雪の日も毎日30キロを走りぬいた。MTBツーリングのクラブをつくり、北山、西山、滋賀の山など毎週のように出かけた。後輩に譲り、今はクズ鉄、いやクズアルミになっているに違いない。(ショップ コセキ)

 三世はアルミフレームの黒のロードレーサー、トライアスロンではスチールからアルミ、カーボン、チタンなどのフレームに変わってきた時代であった。長距離のライドにはアルミは効果的であった、特にトライアスロンでは体力を温存する必要があったので最高の素材であった。三世は私のトライアスロンの全盛期を支えてくれた。海外のレースなどは行けなかったが、皆生大会が目標で、BIKEでは10位ぐらいでゴールしていた。RUNが苦手で最後は24位となっていた。(2大会)このバイクも後輩に譲り、今は無くなっているだろう。場所さえあればすべて残しておくのだが、、、(ショップ タケナカ)

 四世はエルバのスチール製ロードレーサーである。金銭的にも余裕が出てきてフレーム、パーツともに最高のものをそろえつくったのだが、レースから遠ざかるようになり活躍の場は少なかった。スギノのテクノ75のクランク、チェーンホイル、ブレーキレバー、サンツアーのシェパーブプロのディレーラーなど今では手に入らないパーツともに現役で部屋に保管されている。旅が終わったら組み直して乗ってみたいと思っている。(ショップ キャファ)

 五世はシュリーン社のMTB。レースには一度も出ずに通勤のみに頑張った気の毒な自転車である。山も愛宕山に二度、ポンポン山に一度のみ、子供たちのチョイ乗りで一生を終えるのか。(八代氏から直接)
 そして六世は活躍しまっせ。乞うご期待。

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コメント
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