晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(136) 火葬-8 12/23

2014-12-23 | 地名・山名考

2014.12.23(火・祝)曇り 「中世の葬送・墓制」を読み直す-2

 穴が火葬場の炉に穿たれた浅い穴を意味すると考えたのは、次の二つの文書である。
 一つ目は、七 両墓制について の文中、P156
 文明十六年三月二十日、久々に京都を訪ねた尋尊は奈良への帰途東福寺に立ち寄り、「普門寺ニ参詣、後成恩寺殿御火葬所穴等拝見、則参ニ申常楽院ー了」(『大乗院寺社雑事記』同日条)と、兼良の火葬の所を見た。まれな例ではあるが、葬所も全く返り見られなかったわけではないことが知られる。

  さてこの兼良とは一条兼良(いちじょうかねよし)のことで、文明十三年四月二日に没している。尋尊とはその子で、父の没後3年後に墓のある東福寺を訪れているというものだ。この文では葬所つまり火葬所を訪れているわけだ。問題は「穴等」である、火葬場の炉の穴であれば穴として形状を残しているものだからつじつまは合う。しかし火葬墓のことを穴というものとすれば、穴の形状はなくてもいいわけだ。穴を掘ってそこに遺骨、蔵骨器を埋め穴の形状は無くなっても穴と呼ぶ可能性はなきにしもあらずだ。

 もうひとつは、八 葬送や石塔の費用 の文中、P167~
 さて応永五年(一三九八)六月三十日、東寺観智院の賢宝が亡くなった。その没後の様子は『観智院法印御房中陰記 応永五年』に詳しく記されている。その中に、「一、御荼毘用意事」として
 則注文一紙送レ之、彼注文云、荒壒三連、炭三連、棺百文、穴賃百文、云々
 といって荼毘に関する費用のことを書いている。そしてそれらは直接荼毘に関する費用としているのだ。そしてこの費用の見積もりは火葬所を取りしきる善阿弥から苦情が出て、見直されることとなる。
 僧十五人の布施 一貫五〇〇文
 同藁履代      一〇〇文
 覆天蓋絹代     八〇〇文
 荒壒火屋代     一貫文
 膚付代       五〇〇文
 炭薪代       五〇〇文
 穴賃        一〇〇文
 輿網代       二〇〇文
 棺上結布代     一〇〇文  〆て四貫八〇〇文
 
 見積もりより上がったものは、荒壒火屋代 七〇〇文増、炭薪代 二〇〇文増、輿網代 二〇〇文、膚付代 四〇〇文である。僧の布施と藁履代は僧の取り分だから当初見積もりと変わらない。変わっているのは善阿弥が他所から取り寄せた品物の代金と荒壒火屋代である。このときの火葬場が常設のものであったか否かという問題があるが、おそらくその都度設置していたのではないだろうか。その設備、囲いや柱、天蓋などの仕入れと設置料金がこれにあたるのではないか。
 他所から仕入れる物の値段が高騰しているという風に考えれば、穴賃が見積もり通りだというのは、物
の代金ではなくて何かの作業代、労賃なのではと思われる。他のすべてが〇〇代となっているのにこれだけが穴賃なのである。
 火葬における穴と言えば、炉の下の穴、遺骨を埋める穴しか思い浮かばないのだが、以後の文に参考となる部分が出てくる。つづく

【作業日誌 12/23】一区餅つき大会恒例の餅つきだが、今年は海老を入れた赤餅やよもぎ餅も作られ、豪華になった。区内のお年寄りに配られ、喜ばれている。
パンフレットスタンド作成

ゆげもうもう

【今日のじょん】じょん君珍しいものがあるので気にしておりマス。

いやあ、驚いた、佐々木さんにいただいた仙台の酒勝山と珍味の王様ホヤの塩から、こりゃもうサイコー

じょんはかんけーねいか。そのかわりはなちゃんみしたろ。

 
 

 

コメント
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