2014.12.6(土)曇り 朝8:30、0℃
「かんばやし里山新聞」に「あなしら上林」として記事を連載することとなった。第二号で前書き部分を、第三号から「生守山」を書く予定である。里山新聞のHP版では見にくいのでこちらで同一記事を掲載することにする。ただし、里山新聞に敬意を表して里山新聞に記載された後の公開とする。ちなみに「あなしら上林」は「あなたの知らない上林」の略である、悪しからず。
第二号(2014年11月18日発行記載)
あなしら上林
一、不思議上林
上林には賢い先人が多くおられて、地域の歴史や地理に関する書物も多く発行されている。それらの多くは古文書の解読によるもので、中世の後半から近世の事柄が主である。
それはそれで大変貴重な研究なのだが、それ以前のこと、それ以外のことって誰も書いていない。知っているけど解らないから書いていないのか、知らないから書いていないのか。
こちらに越してきてすぐに裏庭から怪しげな土器が出てきた。子供の粘土細工かとも思われる稚拙な土器だ。一つは器の下の部分で高台と言われるところか。もう一つは親指のような形でなんだか解らない。
後日川端先生にお聞きしたら土師器(はじき)だそうだ。親指状のものは甑(こしき)の取っ手らしい。また器状のものは内側が黒く変色していて、火にかけたものなら外側が黒く焼けるはずだのに不思議な事と思っていた。これは土師器は釉薬を使わないので水漏れのおそれがあり、内側に樹脂を塗って防いだものだと解った。
畑仕事の度に小さな破片が出てきて、須恵器と思われるものも少し出てきた。裏を流れる谷は鎌谷(かまだに)と呼ばれ、窯を表しているのかもしれない。いつか窯あとでも発見したいと思っているが、この地におそらく竪穴の粗末な家に住み、土器を焼いて暮らしていた人たちが居たと想像するだけで楽しくなる。
そうこうするうちに、上林川で鉄滓(てっさい)を拾う。よく探すといくらでもあり、流動滓、椀形滓等と呼ばれるものも落ちている。
鉄滓の結末は後段に譲るが、このように上林には不思議なことがいっぱい埋もれている。生守山、大栗峠盃状穴、両墓制、鋳物師、日置氏などいろいろ調べてきたが、すべて解明はされていない。
あなたの知らない上林、あなしら上林を順次紹介していこう。きっと楽しい探検家の気分になれるかもしれない。
裏庭から出てきた土師器(左)上林川で初めて拾った鉄滓(右)
【作業日誌 12/6】パンフレットスタンド作成
【今日のじょん】初雪が降った。ほんの少しだけ~ど♪
気温は0度なんだけど、先日の0度と全然違う、これって何だ?