2014.12.15(月)曇り
さて縄文に興味のあるイワンのお客様って誰だろう。「薬を使わずに治す うつ」で有名なみやじっち先生だったのだ。先生がイワンで講演をされるというのは新聞等で聞いていたのだが、まさか縄文大好き人間が宮島先生だとは驚きである。
初めてお目にかかって「おお、縄文人だ!」あごひげが濃いからそう思うのか、いやいや顔の骨格といい、体つきといい、縄文人ぽいところがうれしい。
みやじっち先生は薬を使わない精神科医、メンタルセラピー。
さっそく葛禮本神社に行く、祠に祀られた石棒はいつ見ても同じものなんだが、その内容を資料館報で読んだ後では見方が違う。笠形二段のタイプの石棒は近畿でも7例とある。しかも破損がなく完形品であることが大変貴重なものらしい。
問題はこの石棒がどこから来たものか、どの時期に来たものかということである。上林の地域で作られ、上林に居住する縄文人に使用されていたということを期待するのだが、なんとも難しい問題である。
宝鉾社の石棒を眺める。
同形の石棒は兵庫県城崎郡竹野町(現在豊岡市竹野町)の見蔵岡遺跡で見つかっており、どこかで生産され運ばれたとも考えられる。縄文期の流通というのは我々の想像以上であることを確認したい。
石棒の材質について、福知山高校の小滝先生の分析があるが、岩石名を推定するのは難しいということである。この石材の産地はまだ発見されていないということである。また現在発見されているどの石棒とも違う材質だということだ。
上林における縄文期の出土品は、他には戸倉中町の石刀などがあるが、これらはある程度まとまって工事中の土中から発見されているので、縄文人の居住が予想される。しからば浅原の石棒も他所から移入したものであっても縄文人が使用していた可能性はあることだし、上林で同一石材を発見すれば将に大発見となるわけだしわくわくしてくる。今度小滝先生に会うことが出来たらもう少し詳しくお聞きしたい。
みやじっち先生は縄文の石棒だけでなく、盃状穴や飯盛山などにも興味を示され、時間があればもっともっとお話したかった。大型石棒ならぬ大型大根も見ていただいて楽しい数時間だった。
石棒にも負けない我が家の大根を見学
【今日のじょん】向かいのススキ原に鹿が走り回っている。カメラを向けたら姿を隠してしまった。