晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 続・「金閣寺の燃やし方」 12/13

2014-12-13 | 雨読

2014.12.13(土)晴

 さすがに人気のエッセイストだけに真摯な調査と鋭い分析をしておられる。雨読「金閣炎上」では、水上先生が20年も掛けて調査し執筆された作品に対して評は出来ないと書いたが、本書は見事に評されていて、私の思いと同じところがあり実に驚いている。本書であからさまに評されている以上、私の思いを伏せておく必要は何も無い。
 「金閣と一緒に死ぬことによって、養賢は師をただそうとしたのではないか、という水上の考えは、同情のあまりその行為を美化しすぎているように思えます。養賢は、慈海師が自らの行為によって困ればいいとは思ったでしょうが、自らの生死を賭して師を正しい道へ、といった特攻精神までは、持っていなかったのではないか。と言うより、慈海師の、そして日本の禅宗、ひいては仏教界を「正したい」と思っていたのは水上であり、その思いを養賢に託したのではないか。」
(金閣寺の燃やし方 p238)

「金閣炎上」「金閣寺の燃やし方」どちらもじょんのび店内にあり(貸出可)

 この部分こそ「金閣炎上」を読んで隔靴掻痒の思いでいたところである。「金閣炎上」を読む限り、慈海師は寺を焼かれてまで反省しなければならないような人物ではないのだ。「金閣炎上」の最後の部分に、炎上の日の前夜に養賢と碁を打っていた江上大量師を佐波賀のの養徳寺に訪ねているところがある。
「わしにはただ、あの子が死にたかった気持ちが・・・・いま透けるようにわかるんですよ」
「というと金閣寺への反感からですか」
「もちろん、あの和尚さんでは、反感もありましょう。ケチン坊で、自分は肴を仕出し屋からとって酒を吞んでおって、小僧らには小遣銭もろくに渡さん人でしたから、反感は当然でしょう云々」
 ケチン坊というのは随所に出てきて、大学に行く学生服を養賢に買ってやらずに、自分のお古を与えたという話はよく出てくる。しかし住職自身は妻帯もせず、質素で禅僧らしい生活なのである。戦争前後の時代に大学まで行かせてもらって一般世間から見れば贅沢にさえ思えるのだが。
 水上先生が小僧時代に体験した悲惨な経験や矛盾から禅宗や仏教に対する批判が様々な作品に現れているが、それをそのまま養賢と金閣寺或いは住職慈海師に当てはめるのは無理がある。それが「金閣炎上」を読んだときの隔靴掻痒の思いなのである。
 ただ、水上先生もあとがきのなかで、「だが、本当のことはいまもわからない。当人が死んでしまっているのだからわからな。しかしいろいろと周囲のことを調べ、事件にかかわった人から話をきいていくうちに、私なりの考えがまとまっていったことも事実である。」と書いている。最初から自らの思いを養賢に託す意図ではなくて、調べていくうちに養賢の中にも自分と同じ思いがあったのだということを発見されたということではないだろうか。
 そして林養賢は三島由紀夫「金閣寺」の溝口とはまるで別物であることを証したかったのは間違いない。おわり

【作業日誌 12/13】
チエンソー修理(ブレーキバーのピン外れ、スターターのひも切れ)
薪割り

【今日のじょん】今期最低の気温、雪も予想されたが降霜で済んだ。じょんが歩いても跡がつかない。

 

 

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