2015.2.10(火)
以前読者の方から、「他所のことばかりじゃなく、上林のことを書いてよ」と言われた。また別の方から「最近遠いところのことばかりで上林のことがないからつまらない」と言われた。
穴虫考が153回も続いているので、どうしても他所のことばかりと思われるのだろう。穴虫は上林には無くて、最も近いのが上杉である。もうその次といえば亀岡だから、何となく身近には感じられないのだろう。そういう意味では上林の地名についても時々書いていきたいと考えている。色々他所の地名について研究しているように見えるのだが、やがて上林の地元の地名に跳ね返ってくということも理解していただきたい。例えば穴虫は他所の地域の地名という風に書いたが、実は穴虫研究の発端は五津合町の睦志(むし)、かつての虫村の探究であったことを思い出して欲しい。穴虫考も1~6までは「日置のこと」、7~32までは「睦志のこと」のタイトルで書いてきている。日置も睦志も上林の地名である。穴虫を極めるまでまだまだかかると思うけれど、その時には睦志(虫)についても明らかになって来ると考えている。
虫地名については大虫神社、小虫神社(与謝野町や越前市など)、大虫谷、小虫谷(益田市匹見町)、虫鹿野、虫野、虫谷(おおい町)など枚挙にいとまが無い。金属の精錬や水銀の精製に関する説、昆虫害虫の虫説、無所、墓所(むしょ)が訛って虫になったなど色々あるのだが、どれも単純に納得できるものは無い。
上林の睦志(虫)についても若宮神社に害虫退治の言い伝えがあるがこれは虫の地名から後からつくられた話だろう。祭神となっている鎌倉権五郎影政がいかに弓の名人でも害虫退治にはそぐわない。むしろ景政が各地で鍛冶師、鋳物師など金属関連の人々に祀られていることに注目したい。近世の何鹿郡鋳物師清水の井関氏がこの地に来たときに、まず虫村に居住したことが最近解った。なぜ上林の地を選んだかというのも謎であるが、虫村に来たというのも何か委細があってのことではないだろうか。
井関氏たたら場跡(清水)
穴虫の穴については解ってきたが、虫についてはまだ始まったばかりである。それでもやがて睦志に戻ってくることを楽しみにしていただきたい。
上林の地名で最も難解なのは引地だろう。この地名は全国各地に沢山あって、地形的にも歴史的にもまちまちで見当がつかない。引地のオンパレードは愛知県豊田市だ。ここの引地をしらみつぶしに訪問したら、アイデアが浮かんでくるかもしれない。まあ十日間はかかるだろう。と言うわけで本稿「引地のこと」は2010年2月で行き詰まっている。もちろんこの間アイデアはめぐっているのだけれど、これっというものが出てこない。
念道だってそうだ。いろいろこねくり回して模索を続けたが、どうも怪しい。念道については他の地には和束町の一箇所しか見つかっていないのだ。念道の本当の意味は永久に見つからないような気もする。
念道は難解地名だワン
【作業日誌 2/10】店先バリアフリー着手
【今日のじょん】各地では大雪が報道されている。じょんのび村は積雪15cm、楽勝。今年は上林は少雪とよんでいたのだが、いよいよ平年並みという感じになってきた。これ以上降り積もったら平年以上の降雪ということになるだろう。でも根雪になって積もらないから苦労は少なくて済む。
こんな感じ