晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(85) 大唐内地名考-1

2015-02-19 | 大唐内のこと

2015.2.19(木)曇り 大唐内のこと(84)は2013.2.12

 「大唐内のこと」を書くのは実に2年ぶりである。生守村で行き詰まってしまったという感じである。そこで稿がとまっている。岩田さんの「飯の山」測量基準点説(これはわたしが勝手につけた説なんだけど)を信じると、生守山(丸山)は上林どころか綾部、丹波、京都、いや日本中の研究者が誰も気付かなかった歴史上重要な地点の一つに考えられる。伝説上の廃村生守村もその存在価値が問われてくることとなる。
 しかし「飯の山測量」の論文やその他の書物から「飯の山」、生守山などが基準点になっているというのを確信することが出来ていないのも事実である。
 岩田さんを生守山に案内した2013年の4月、偶然2カ所の「飯の山」に行くこととなった。これは以前から決めていたことで、岩田さんに聞いたのは、城崎の対岸に飯谷と言うところがあるということと四條畷市には著名な飯盛山が存在するということである。この二カ所の「飯の山」については既に報告しているので略するが、前者については楽々浦(ささうら)と韓国神社(からくにじんじゃ)、気比(けひ)と白山神社、後者については鼻橋という地名を見つけたことである。その他八木町の飯盛山西光密寺にも通った。
 こういった民俗調査で岩田さんのお手伝いは出来るのだが、無数の三角形を描いて地図をつくるということは彼女にしか出来ない。新たな論文を執筆中だというので、そこで「飯の山」の白黒を判断したい。大唐内のことの執筆が止まっていたのはそのためである。
 岩田さんの論文を読み直していると、「飯の山」の共通の特徴が11点示されている。そのなかで生守山に関して共通することは、鉱山の近く、周辺の小字地名(日置、河内他)、行基伝説の3つである。これが多いか少ないかは別として、それらの共通項についてなぜそうなのかということは岩田さんは詳しくは語っておられない。そういった民俗学的な調査から飯の山の謎にも迫れるのではないだろうか。
 だからこそ2年ぶりに「大唐内のこと」を再開したわけである。生守山に関連してあるいは無関係に大唐内の地名や民俗を探ってみたいと思う。そのうちに岩田さんの新説も登場するだろうし、大唐内のみならず市茅野、栃もあわせて老富は不思議な魅力に富んだところである。

中上林はすっかり雪も無くなったが、老富はこんな感じ。

【今日のじょん】山にも野にも食べるものが無いせいか連日鹿の襲来である。じょんも嗅ぐのに大変だが、この後家に入ってから事件が起きた。
猿の群れがドッグランどの付近にやってきた。たまたま灰を捨てに外に出たところに出くわしたのである。慌てて追ったら山に逃げたが、残党が畑にいて、これも追う。それにしても丸々太って見えるのは冬毛のせいだろうか。問題は例のウィーウィーという鳴き声がしないことである。閉めきっていても寝ていても気付くあの鳴き声が、一切無くて音なしの構えである。これって知恵つけたのかなー。


鹿の跡を追う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする