晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読「山椒庵日記」その2 10/7

2015-10-07 | 雨読

2015.10.7(水)晴

 わたしが火葬のことを研究していることに気付かれ「隣村で火葬を続けてきた村があるで」と教えて下さった。真宗の村なのかと思ったが禅宗だった。「そこは武士の居住していた地域ではないですか?」と聞くと、「山上に城があり戦いで多くの戦死者が出て大きな穴を掘って焼いた」ということである。「火葬場の跡もあるで」とおっしゃっていたので是非行ってみたいと思っているのだがそのままになっている。この火葬の村のことも本書に収められている。
 本書にちりばめられている淳先生の挿絵も川にしても山にしてもどこそこというのがわかるのはとても親近感を憶える。「京への道」という淳先生の家の絵など小屋の庇も家の裏の大木も今とかわらず、月に二回は通る道そのものである。佐分利川の絵も、あれは宝尾方面を描いたものではなかろうか、左のぴょこんと尖ったピークは鳥とまらずと言ったろうか、廃村宝尾を日置峠から鳥とまらずまで彷徨った日を思い出す。

佐分利川、宝尾を観る、菓子箱の蓋に描かれている。
 淳先生の絵が凄いなと思うのは貧しくて画材が入手できなかった時代に、セメント袋や餅箱の裏に描いたり、葦などの茎で絵筆を作り、草木の汁で絵の具を作ったりして描いてこられたことである。広い世間にこんな画家がいるだろうか。そして画材の入手に苦労しない現在でも、菓子箱の裏、かまぼこ板、木っ端などに描き続けておられる。

一人と言ったか、この絵裏返すとかまぼこ板となる。
 先生の苦労時代に友達がベニヤ板を持ってきてくれて、後日その家に行くと玄関の窓の一枚に新聞紙がはり付けてあったという話は本書に何度も登場する話で、先生ならずとも熱いものがこみ上げるところである。
 先生が生き物に対して深い愛情を持っておられること、だからこそ動物であれ植物であれ事細かな観察眼を持っておられる。それらが実にさわやかな文章で書かれているので読んでいてとてもいい気分になる。こんなことを言うのも何なんだが、奥の細道文学賞に選ばれた本田さんの文章が淳先生の普段着の文章なのに比して妙に着飾った、構えた文章に思えるのはわたしだけだろうか。つづく

【作業日誌 10/7】焼却炉作製1日目、土台つくり

【今日のじょん】お隣の蔵が取り壊されてすっかり更地になってしまった。周囲もきれいにされたと思ったら、ご主人の訃報を聞く。傾きかけた蔵をなんとか潰したいんやけどなあと言っておられたご主人は、写真で更地になったところを見られたそうである。
 
ビフォアアフター

 

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