2015.10.22(木)曇り
市茅野公民館前に駐車させてもらおうとしていたら隣の方が「うちに駐めときないな」とおっしゃってくれたのであまえることにする。そそくさと準備をして歩き始める、雨男の工忠くんにしては完敗のスカ天である。「この前と違って随分きれいな道ですねえ」「だまされたらあかんで、先は凄いことになってると思うよ」などといいながら林道を歩いて行く。すぐに右手に山の神の社が現れる、鳥居の代わりに巨大な枯れた杉が並んでいる。この杉は28水(昭和28年13号台風、上林最大の災害)の際に幹が折れて枯れてしまったそうだ。有名な市茅野杉はこの木から種子をとって生産出荷されたという。(若狭のふれあいNo.117)枯れた木の向こうに杉が育っていて市茅野杉の二世ということである。村の人の杉に対する想いが伝わってくる。
市茅野山の神
少し行くと林道は終わり、回転用の広場となる、軽トラならここまで入っても来られそうだ。山道はすぐに二股となる。ここでまたしても読図に失敗した。二万五千「東舞鶴」の林道終点の二股と勘違いしてしまったのだ。その二股だと峠に行くには左股に入らないといけない。実際には左股には道は無く、右股には細々と道が続いている。釈然としないが右股を進んでいく。正確な読図をするとこの二股は高度350の表示のあるところの二股であって、右股が正解である。
道はこれがかつての主要道かと思うほど荒れている。ややもすれば獣道じゃないかというほど細くて、途切れ途切れである。その上数年前の大雪による倒木をくぐったりまたいだりで悲惨な状況。人が歩かないとなるとこうまで道は荒廃するわけだ、獣によってかろうじて通れるというのも情けないことである。概ね左岸を登り、峠が見え始めた頃に右岸を歩く。やがて見覚えのあるお地蔵様の雪囲いが現れ、登ってきた道がただしかったことがわかる。
左:林道終点 中:これがかつての街道か? 右:峠には道標が残っている
峠で一休みして、若狭側の山道を丸山に向かうとすぐに鼻峠に出る。鼻峠は小唐内から登ってくる峠で、峠道が使われていた頃に若狭に行くにはこの道が主に使われていたようだ。坪坂峠を使うのは市茅野の人だけだろうが、鼻峠は小唐内はもちろん大唐内や栃、それより下流の人々も使ったと予想される。老富のお年寄りが「子供時分はこの峠を越えて高浜に海水浴に行ったものだ」とおっしゃっていた。鼻峠には「小唐内→」の看板がある。
【今日のじょん】ブログが飛び飛びで来じょんワンの紹介が遅れがち。
10月18日 西舞からお越しのチョビ君3才
19日ご存じゲンタと小麦ちゃん、じょんも久々に遊べるのだ。