2016.9.8(木)雨
三、上林の盃状穴、その九 善福寺③
盃状穴の最大の謎はなぜ、なんのために穿たれたかということだ。古代のもの(一義的盃状穴)は別として昭和初期頃までに穿たれたもの(二義的盃状穴)はこれほど近年まで穿たれており各地で普遍的に存在しているにもかかわらず、その目的や方法は文献にも言い伝えにも残っていない。このことは盃状穴穿孔は極一般的で、世間に認められた、当たり前で日常的な所作だったのではないだろうか。研究者の間では、民衆の祈りのための所作といわれている。しかし巷間では子供の悪戯だろうという意見が圧倒的である。
確かにあの盃状穴で遊んだという人はあるだろう、草搗き遊びといって一種のままごとのような遊びである。実際に掘ったという人もあるかも知れない。でもそれは目的があって掘ったのではなく、以前からあった穴を真似て掘ったのではないだろうか。
善福寺のように大きな穴や手水鉢が壊れてしまうほどの穴、歴史的に重要な鳥居や石碑、宗教的に大切にされている仏像や地蔵さまにも穿たれているのである。それらは人目に付かないどころか堂々と建物の正面や通りに面したところにある。子供が悪戯でやっていたとしたらどんな時代でも諫めることになるだろう。例えば園部町内林町の八幡・厄神社の手水鉢など、これを子供が掘っていたら大人はそれを許すだろうか。隠れて密かにやる悪戯ではなくて、世間に認められた行為だったとすると合点がいく。
園部町内林町八幡神社手水鉢
今まで調査した神社仏閣で特徴的なことは、盃状穴が存在する確率が高いのは、住居の密集したところで、集落から離れたところには見つかっていないことである。ここで大胆な想像をしてみたのだが、盃状穴は夜に穿たれたのではないだろうか。もし大人による祈りの行為だとしたら、江戸時代など男も女も昼間から石に穴なんぞ掘ってられない。お百度参りのように夜な夜な少しずつ掘っていったのではないだろうか。掘りかけの盃状穴も多く見られるが、途中で願いが叶ったのかもしれないし、諦めたのかも知れない。
大胆な想像をしてみたのだが、盃状穴は夜に穿たれたのではないだろうか。もし大人による祈りの行為だとしたら、江戸時代など男も女も昼間から石に穴なんぞ掘ってられない。お百度参りのように夜な夜な少しずつ掘っていったのではないだろうか。掘りかけの盃状穴も多く見られるが、途中で願いが叶ったのかもしれないし、諦めたのかも知れない。
住居の近くに多いのも、善福寺の長い石段の極下部の住居脇に偏っているのも現地への行きやすさ、家の灯りを考えれば、夜穿孔説が妥当性を帯びてくる。
京都帝釈天(八木町船枝)の参道入り口民家脇に盃状穴があるのに、山道を1Km近く登った本堂に一切見られないのもうなずける。
京都帝釈天では参道入り口に盃状穴があり、山を登った本堂には見られない。
では古の人々は一体何を祈ったのだろう。つづく
上林たんけん隊(カフェじょんのび内)