あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ジャパントリップ 18

2009-10-20 | 
 夜は宴会である。対岳荘の広間を使わせてもらい、食べ物も用意してくれた。美味そうなおつまみがテーブルに並ぶ。
 この晩のメインは生バンドだ。バンド名は『西飛山ブルースハウス』。3年前に僕が居た時にできたバンドだ。
 西飛山はスキー場がある地名だ。スキー場にスタッフ用の寮があり、夜な夜なギターを抱えて酒を飲む、という日々だった。誰が言い出したか忘れたが、その時についた名前だ。



 僕とJCとは十年来、一緒にいろいろとやっている。音楽も非常に重要な位置にあり、あちらこちらのスキー場でいろいろな人とバンドらしい事をやってきた。
 パトロールでちょっとギターを弾ける人がいたり、ベースを持っているなどという人がいると強引にひきずりこんでバンドにした。
 基本的にJCがギターを弾いて唄い、僕がハーモニカを吹く。あとはその場に居る人、興味がある人を探すのだ。
 能生でも同じでハヤピがベースを弾ける、テツが昔エレクトーンをやっていた、と聞くと有無を言わさずバンドに巻き込んだ。地元の機械屋さんがドラムを叩ける、電気屋さんがギターを弾けるというのでこのバンドができた。
 去年、彼らのライブを聞いて、あまりの仕上がりの良さに驚いた。そして自分もこの中で演奏したいと思った。その夢が実現した。



 曲はJCのオリジナルがほとんどだ。新曲のスイートパラダイスもやった。
 去年JCがニュージーランド西海岸を旅している時に、車が壊れてヘイリーの家に転がり込んだ。その時できた歌だ。僕は曲の合間にヘイリーに言った。
「これはオマエの家でJCが書いた歌だぞ」
 そして詩を訳してヤツに伝えた。数千キロ離れた家や家族のことを思い出したのだろうか。ヤツは遠い目をして歌を聞いていた。
 そしてトリは『また会えるさ』JCと出会った時に生まれ、年を追い旅を重ねるうちに定番となった唄だ。
 僕らは季節労働者である。冬が終り春が来ると雪山を去り、あるものは雪を求めて南半球へと飛び、あるものは夏の海へ向かう。そして次の雪が降る頃、山に帰って来るのだ。
 今年仲良くなったヤツに来年会えるとは限らない。ヤクザな仕事に愛想をつかし、堅気な道を選ぶ友達も少なくない。思いがけない人と思いがけない場所で出会う時には世界は狭いなあと思う。
 そんな渡り鳥のような僕達のための唄だ。

旅の終りはいつも虚しくて誰かと一緒に  気の合う仲間と Oh Yeah
みんな自分の季節があり それぞれに流れてる 気の合う仲間と Oh Yeah
何処に帰るか知らないが 戻る所があるのか 何処か遠くへ Oh Yeah
交すアドレスは要らない
いつもの笑顔で別れよう
見えなくなるまで手を振ろう
君の笑顔が小さくなるよ
次の季節にここで またここで会えるさ 土産話をたくさん作ろう
次の季節にここで またここで会えるさ それまで自分の旅をしよう
風は水辺に波を 太陽はゆっくり背中を 今日も同じに Oh Yeah
子供は笑い走り過ぎ 大人は静かにそれを見る 僕もここに Oh Yeah
交すアドレスは要らない
いつもの笑顔で別れよう
見えなくなるまで手を振ろう
君との思い出大きくなるよ
次の季節にここで またここで会えるさ 今日と同じ空の下で
次の季節にここで またここで会えるさ 忘れない君のことを



 アンコールは僕とJC、2人で『ああどうすりゃいいんだ』
 アライで働いていた時、JCが女に振られ、坦々麺に胃をやられ、文字通り身も心もボロボロになってできた唄だ。その時僕はヤツの憔悴ぶりを見ながら『なるほど、詩はこうやってできるものなんだ』と感心したものだった。
 ヤツとの付き合いは長いが、2人でじっくりとこうやって演るのは久しぶりだ。そんな僕の思いをぶち壊すようにハーモニカが壊れてしまった。音は出るが幾つかの音の調子が外れてしまった。何とか曲を終えて言葉を交す。
「ハープ壊れちゃったよ」
「そうだね」
「まあ、最後の曲でよかったよ」
「ホントだよ」
「だけどすげえ楽しかったなあ」
「んだどもやあ」



 バンドの後も宴は続く。
 誰かが僕らのためにケーキを焼いてくれた。
 デコレーションには真ん中に今回のイベントのマスコットでもある雪だるま。その周りにクッキーでBroken River Weekの文字が。
 こういう行為はとても嬉しい。作り手の愛が伝わってくる。
 いろいろな人の好意で、僕らの旅は成り立っている。
 胸が熱くなった。



 宴もピーク過ぎ、そろそろお開きという時に誰かが言い出した。
「じゃあビシッと締めようよ」
「ブラウニー、1本締めだ」
「いいぞいいぞ、ブラウニーやれ」
「お手を拝借って言うんだ。それで、パンと叩く」
「オテオハシャク」
「お手を拝借だよ」
「オテオハシャク」
「いいじゃんいいじゃん、それでいこうよ」
「オテオハシャク、ヨーオ!」
 パン!
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ジャパントリップ 17

2009-10-19 | 
 1週間に渡るイベントも残すところあと1日、最終日を前にして全員の休日である。
 天気も良いのでスキーツアーへでることにした。シャル宿で歓迎会を開いてくれたエミッチがガイドをかってでてくれた。
 スキー場のてっぺんから1時間ほどの登りで放山という小高い丘へ出られる。この辺りをツアーするのに基点となる場所である。ルートは分り易く、見える所を歩いて行けば良い。
 雪の状態によっては腰のあたりまで埋まってしまう。その場合はスノーシューと呼ばれるかんじきのようなものや、スキーをはいたまま斜面を登れるシールといった道具が必要となる。
 装備の無い人は行ける所まで歩いて上がり、あまりに雪が深く埋まってしまうならそこから引き返す、ということで歩き出した。
 幸い雪は締まっておりスキーブーツが大して潜ることも無く歩けた。全員なんなく放山山頂に立つことが出来た。



 山頂から見えるものはスキー場からのそれと基本的に同じだが、雰囲気は別世界である。ここへ来るまでは『前にも何回も行って景色も見ているし無理に行かなくてもいいや』ぐらいにしか思っていなかった。しかしその場に立ってみて、やはり来て良かったと心から思った。この感覚は歩かない人には分らないし、伝えることが出来ないものだ。
 山頂ではビールを開け、いつもの儀式、大地に。
 空は青く雪は白い。はるか彼方に日本海の青が広がり、空の青と溶け混じる。日本はやはり美しい国だ。今回来てそう思うのは何度めだろう。
 自分の立っている場所が稜線上の一点であり、谷間は二つに別れる。自分達が来た方向には見慣れた能生谷の上流部。その奥には隣の谷。名立はKさんの出身地だ。そしてアライスキー場の大毛無し山頂。向こうで働いている時に何度も行った場所がある。
 僕達が来た時には真っ白だった山は、ここ数日の天気で一斉に雪を落とした。大きな全層雪崩の跡がそこら中にある。雪崩の跡からは重い雪に一冬耐えてきた草花達が一斉に芽吹く。フキノトウが一番初めに出て、次々に草木は伸び山は山菜の宝庫となる。雪国の春はすぐそこまで来ている。
 振り返れば火打が立ち、焼山から噴出す水蒸気が青い空に柔らかく浮かぶ。山が生きている証をぼーっと眺める。火山の中腹には溶岩が流れた跡が刻まれる。
 海底プレートがぶつかって盛り上がり、氷河で削られて山ができたニュージーランドの南アルプスとは完全に形が違う。僕はその違いをこころゆくまで楽しんだ。



 ここでグループを二つに分けた。アレックス、クリス、スーはスキー場へ戻り向こうで遊ぶ。僕、ヘイリー、ブラウニー、ヘザーはこの先へツアーを続ける。
 ガイドのエミッチは一緒にクラブフィールドへも行ったし、夏のルートバーンも一緒に歩いた仲だ。その地に詳しい人というのはガイドにうってつけであり、それが友人であるならますます良い。ありがたいことだ。
 もし自分がこのコースを行くなら、たぶん地図とコンパスで位置を確認しながら行くだろう。それがガイドがいると、後ろからのんびりついて行くだけでいいのだ。こりゃ楽ちんだ。
 なだらかな尾根を越え、時に長いトラバースをしてのんびりツアー。ガシガシと滑るのも良いが、これはこれで又楽しい。
 僕は一本の大きなだけかんばに抱きつき話し掛けた。
「あなたは何年くらいこの景色を見ているのですか?その間にはどんなことがあったのですか?」
 だけかんばは答えてくれなかったけど、僕はしあわせだった。
 行く手に笹倉温泉の屋根が見えてきた。
「みんな!今日のゴールが見えてきたぞ。あそこに建物があるだろう。あれがオンセンだ」
 ヒャッホー、イーハー、ワオワオ。みんなおもいおもいの奇声をあげ斜面を下る。雪は完全に春のそれだが、人が踏んでいない雪面はそれだけで気持ちが良い。



 下へ下りると道が近くなるが、まだ除雪をしておらず、数メートルの雪に埋もれている。カーブミラーがかろうじて頭だけを雪面から突き出している。僕達は足元の鏡を覗き込み、子供のように笑った。遊びは笑いながらするものだ。
 田んぼの中をスキーで歩く。ヘザーとヘイリーはこの前やったがブラウニーは初めての経験だ。
 雪の上だと目標の場所まで最短距離で行ける。実に気分が良い。
 あっという間にオンセンに着いた。
 このオンセンは僕も知っているので、エラソーに案内する。
「ハイハイ、女はこっち。野郎共はその先、トイレはここな。オレは先に入っているよ」
 露天風呂はとても熱かった。ヘイリーもブラウニーも我慢して入っていたが、たまらず飛び出した。
「アチ、アチ、これはオレ達には熱すぎる」
 そして素っ裸のまま雪の壁を攀じ登り、雪の上に大の字になってしまった。



 笹倉温泉は能生谷とは直線距離で僅か数キロの位置にある。
 一番近いのはもう一度山を登り、能生側に下りることだが、そんな事はしたくない。
 次に考えたのはバス、電車、再びバスと乗り継ぎ帰る事だった。公共の交通機関を使うのも楽しそうだが、乗り継ぎなどが面倒くさい。
 渡りに船とはこのことで、ローカルスキーヤーの坊さんが車を出してくれた。彼は僕らのセッションにも何回か参加して、メンバーにも会っている。
 プロの坊主、という日本語はおかしいかもしれないが、彼はそれで生計を立てているので立派なプロなのだ。僕らは親しみを込めて『坊さん』と呼ぶ。
 そんな坊さんが僕らを彼の寺に案内してくれると言う。僕達はありがたく彼の好意に甘えた。



 雪深い里に彼の寺はあった。どっしりした造りは長年の雪の重さに耐えてきた物だ。この辺りは、今からは想像も出来ないくらい雪が降ったはずだ。広い堂内は寒いが、メンバーはおもいおもいに写真などを撮り喜んでいる。
「坊さん、この寺はどれくらい古いの?」
「はっきりしたことは分らないんです。僕が知っているのは、僕で26代目ということです。それ以前にも寺はあったんですが、どれくらい古いかはわかりません」
 メンバーにその事を伝えると、どよめきが起きた。26代というと少なく見積もっても500年以上は経っている。
 そんな歴史の末端にパウダーが大好きな僧侶がおり、4WDのバンの中で最新のヒップホップを聞く。そのコントラストが面白い。



 帰りにはコンビニに寄る。店員の娘がアレックスを見てハッとしたコンビニである。狭い店内にはぎっしりと商品が並ぶ。あまりの種類の多さに目移りしてしまう。
 チキンカツサンドとピザまんを買って店の外へ出た。外ではブラウニーがすでにピザまんをほおばっていた。
「なんだブラウニーもピザまんか。おれもだ」
「他に何を買った?」
「チキンカツサンド」
「これか?」
 ヤツは袋からサンドイッチを見せた。
「何でこんなにたくさん種類があるのに、同じモノなんだよう」
「それはオレが言いたいぜ」
 一緒に生活をしていると好みまで似てくるのか。僕らは顔を見合わせて笑った。笑うしかないだろう。


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ジャパントリップ 16

2009-10-18 | 
 日本に来てから1週間が経った。どうやら僕は風邪を引いてしまったようだ。体がだるく喉がいがらっぽい。しかしこのイベントの為に日本に来たのだ。寝込むわけにはいかない。薬を飲みながら何とか風邪をこじらせないようにするだけだ。
 旅先でしたくない事、それは借金と病気だ。
えてして健康というのは体の状態が良い時には気づかないが、病気になって初めてその大切さに気が付くものである。
 特に旅先という普段と違う環境では、体の不調はそのまま精神状態に反映する。 要は心細くなるというわけだ。そうならないように自分で気を付けるしかない。
 思えばブラウニーは来て早々、体調を崩してよっぽど辛かっただろう。
 こういった体調の悪さやケガなどは本人でなければ辛さは分らない。人を同情してあげる事はできるが、辛さを分かち合うことはできない。自分の体は自分で治すしかないのだ。



 ある平日の1日、僕は休みをもらいJCと一緒に昔の友達を訪れた。日本に来てから自分の時間というものが全く無く、正直な話僕は疲れていた。
 この友達の訪問も直前まで行けるかどうか分らなかったが、5才と6才の娘達に電話で「ひっぢオジサン、遊びに来てね」などと言われてしまったら断るわけにはいかない。
 この家庭とはAスキー場でパトロールをしていた頃からの付き合いで、旦那はその時のパトロール隊長。奥さんはママと呼ばれ、独身の時には一緒に現場で仕事をした仲だ。
 この隊長にまつわる話は数えきれないくらいあるが、そのうちの一つを紹介する。本人は非常に照れ屋なのでここではKさんということにしておく。
 KさんがAスキー場で働いていた時のことである。
 ある斜面を滑っていたKさんは突如雪崩に巻き込まれた。雪に埋もれて生きている時間は普通は15分ほど。それを過ぎると生存率はガクリと下がる。
 若い隊員が雪崩ビーコンで位置を確認してKさんを助け出す間、Kさんは文字通り生死の境をさまよっていた。これは日本で初めての雪崩ビーコンによる救出例として記録にも残っている。
 その時にKさんが見たものとは、小人がKさんの頭の中でグルグル回りながらコサックダンスを踊っていた。ちなみに音楽はオクラホマミキサーだそうだ。
 そんなバカな、という人もいるだろうが、こればかりは本人でなければ分らない。本人が小人を見たというのだからそうなのだろう。ひょっとするとKさんの頭の中には小人が住んでいるのかもしれない。
 万が一僕が雪崩に巻き込まれるようなことがあったら、もっともっと人に自慢できるくらいバカバカしいものを見たいものだ。
 尊敬する人物は志村ケンとバカボンのパパだと言うKさんとも三年ぶりの再会である。Kさんもママもすでに雪の現場を引退して今は別の仕事をしている。
「いやいや、どうもどうも。久しぶりですな」
 ママが迎えてくれた。
「忙しそうね」
「まあボチボチね。それよりカゼ気味でね、体がちょっとダルイよ。だけどここまで来ながら教祖様に会わないわけにはいかないでしょ」
「あたりまえだ。バカモノ」
 台所のKさんが覗き込みながら言った。僕らは時にKさんの事を教祖様と呼ぶ。その理由はあまりにバカバカし過ぎて書けない。
「あっ、これはこれは教祖様。御無沙汰をしております。ご機嫌よろしゅうございますか?」
 そして僕はいつもの儀式を済ませ、Kさんの手料理をご馳走になるのだ。
 2人の娘達が僕にからみつく。彼女達は僕が思っていた以上に大きくなっていた。いやはや子供の成長は早いものだ。自分が年をくうわけだ。
近況報告や昔の話、友達の話など会話はつきない。一緒に現場で仕事をした仲間というのは話が早くてよろしい。
 久しぶりにチームニュージーランドから解放され、僕は満ち足りた時を過ごした。
 楽しい時というのはあっという間に過ぎるものだ。帰り際にママが言った。
「今日は来てくれてありがとう」
 呼んでもらって、酒とメシを御馳走になってその上お礼まで言われるなんて。
 胸が熱くなるのは今回の旅で何度目だろう。
 風邪もどこかへ吹っ飛んだようだ。



 宿へ戻るとヘイリーとブラウニーが寝酒をやっていた。
「よお、ヘッジ。友達には会えたかい?」
「おお、バッチリだ。オマエ達のほうはどうだった?」
「今日の午後は町へ下りたんだ。その道沿いにパチンコ屋があるだろ?あそこへ行ってみた」
「ほう、パチンコへ行ったか。どうだ?勝ったか?」
「勝つも負けるも、やり方が分からなくてなあ。いろいろなボタンが機械についているだろ?あれをガチャガチャ押していたら店員が来たのさ。それで何やら直して、又ガチャガチャやっていたら又店員が来た。そんなことを繰り返してたら店員が『又こいつらか、やりかたも分からないで来やがって』とうんざりした顔をしたんだ。それでおしまいさ」
「だろうな。その店員に同情するよ」
「ニュージーランドで外国人旅行者がいろいろなしきたりが分からなくてオロオロしてるのを見るけど、今のオレたちがアレなんだよな」
「まあな。メシはどうだった?」
 この日は僕がKさん宅に行ったので、晩飯は宿に頼んでおいたのだ。
「メシはウマかったよ。今晩はここで何かの集りがあったらしくてそのオッサン達と一緒に飲んで食った」
 ブラウニーが名刺を見せた。肩書きには糸魚川市議会議長とある。
「オマエ、この街のオエライさんじゃあないか。オレがそんな席にいなくて良かったよ。ちゃんと今回のイベントの宣伝したか?」
「ああ、まかせとけ。街に来たら寄ってくれと言われたぞ」
「それは日本ではシャコージレイと言うんだよ。行くならオマエ達だけで行ってくれ」
「オマエがそう言うと思ったよ」
 ヤツ達の寝酒につきあい、能生谷の夜は深けていった。

 次の日僕はヘザーと組んでグループを受け持ちセッションをした。こういった場合、自然僕が話しヘザーが滑りを担当することになる。
 ヘザーはブラックダイアモンドサファリというクラブフィールドのガイド会社を経営する。見方によっては僕と彼女は商売敵となるが、クラブフィールドでは『まあ、みんなで仲良くやろうよ』というスタイルなので問題はない。
 時には僕が先頭を滑り参加者が続き、ヘザーが皆の滑りを見ながらテールガイドとなる。考えてみれば彼女とこうやって一緒に滑るのは初めてだ。長い1本を滑り終えると彼女が言った。
「今の1本は良かったわ。止まらないで滑ってくれてありがとう」
「いやいやまあね」
 たぶん彼女も同じ事を考えながら滑っていたのだろう。



 この日の午後、ヘイリーが講師となり、雪崩講座なるものを開いた。通訳はタイが務めた。
 タイはクライストチャーチのアウトドアの専門学校に行っていたこともある。日本人だがタイというニックネームを持つ。
 今はシャルマンのスクールでガイドのようなことをしている。クラブフィールドへも何回か行ったことがあり、今回のイベントを支えるスタッフだ。まだ若いがクラブフィールドの良さ、ニュージーランドの自然の中で遊ぶ楽しみを知る男だ。



 ニュージーランドの雪崩のコースはカナダと同レベルであり、世界で通用する資格だ。
 コースにはレベル1とレベル2がある。どちらも1週間程山にこもり朝から晩まで雪崩について勉強する。雪の事だけでも結晶の形、大きさ、水の含み具合、温度、降ってからの時間の経過、雪崩の種類と大きさなど。それに加え天候、風、地形、気温、雪崩に埋まった時の捜索方法、山を歩く際のルート選択などなど勉強は広い範囲にわたる。
 ニュージーランドでスキーパトロールやヘリスキーガイドをする時にはこのレベル1が必要となる。
 レベル2はレベル1を取ってから3年以上の実践経験、データ採集などが必要とされ、より狭き門となる。レベル2を持つとレベル1の講師となれる。
 ヘイリーはこのレベル2を持っており、以前はレベル1の講師を務めたこともある。
 ただの飲んだくれの親父ではない、やる時はやるのだ。
 ヘイリーの雪崩講座はレベル1の要点をまとめて、午後一杯使って行なう。本来なら1週間かける内容なのだ。中身は濃い。参加した人にはいい経験になっただろう。
 僕が通訳をやることも考えたが、若いタイに経験を積ませる意味でも彼にやってもらった。良い勉強になったはずだ。


 
 夜は再びスシ屋である。僕らは2回目だがアレックスとクリスは初めてだ。ブラウニーが先輩面して説明する。
「この前着たときにはクジラとか馬を食ったんだぞ」
「本当か?じゃあ僕も試してみよう」
 ちなみに奥さんのクリスはベジタリアンだ。男達はウマイウマイと馬刺しをたいらげお代わりを頼んだ。
 ハナコとユリコを命名した地元の人達もいて、あっという間に座は乱れローカル達との飲み会になった。

 間も無く白馬からミック、カズヤ、ミホがやって来て場はますます賑やかになった。ミックは以前ヘザーの会社でガイドをしていた。古い友達に会えてヘザーは大喜びだ。
 ミックは以前マウントハットのベースタウン、メスベンでラーメンの屋台を出していた。あだ名はそのままラーメン屋ミック。今では日本人女性と結婚して白馬に住んでいる。
 カズヤも白馬をベースにスキーガイドを務める。日本の夏はNZのヘザーの会社でクラブフィールドをガイドする。
 以前ニュージーランドでヤツがヘマをやり、JCと僕が面倒をみた。それ以来僕達は威張り散らしてこう言う。
「カズヤ!オマエは一生オレ達の奴隷だからな。よく覚えておけ!」
「てぃっす」とわけの分らない返事をする。
 そんなヤツも結婚をして家庭を持った。奥さんのミホも僕らは良く知っている。
「カズヤはJCとヘッジのドレイかもしれないけどあたしは違うからね」
「うるさい、ドレイの女房はドレイだ。恨むなら俺たちじゃなくてカズヤを恨め」
 そして彼女は僕の肩を揉んでくれるのだった。

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ジャパントリップ 15

2009-10-17 | 
 翌日は再びスキーに戻る。午前はスキーのセッションである。平日とあって人は少なく、グループを小さくしてジャッジを2人つけた。
 僕はヘイリーと組んだのだが、この時でもヘイリーは『カンパイ』と『ドモドモ』ぐらいしか日本語を知らなかったので、僕が話しヘイリーが滑りを分担した。
 列の一番後ろからヘイリーのラインを追いかける。見事にフォールラインを外さない。これがヤツの滑りだ。ちょっと荒れ気味のオフピステ、雪は重くなりつつあるがヤツのスキー操作はきれいだ。自然体というのか無駄な力が入らず、ひょうひょうと滑る。
 天気はまずまず。多少霞んだ海の向こうに雪を載せた佐渡が浮かぶ。春がすぐ近くまで来ている。



 その日のセッションを終え、宿に帰り風呂に浸かりながら皆に言った。
「そろそろみんな肉を食いたくなったんじゃないか?今日の晩飯は焼肉なんてどうだ。コリアンバーベキューだ」
「コリアンバーベキューってどんなのだ?」
「テーブルの真ん中で肉とか野菜を炭火で焼く。焼きながら食う。食いながら焼く。焼きながらサケを飲んで又食う」
「よく分らないが異議なし。どこでも連れて行ってくれ」
 夕方、焼肉屋へ行き、肉を食らい酒を飲む。
「この焼肉は韓国から来た料理だ。昔の日本、そうだなあ、ショーグンが居た頃は牛や豚などの4つ足の動物を食べることは汚いって思われていたんだ。今ではどこでも焼肉はあるけどな」
 酒が進み、ブラウニーが喋り始めた。
「昨日オレはあまり良く眠れなかった」
「どうして?オレのイビキが煩かったか?」
「そんなのじゃないよ。昨日は悪夢を見てなあ。怖くなって眠れなかった」
「へえ、オマエみたいなヤツでも怖い夢など見るんだ」
「オマエは悪夢など見ないのか?」
「ウーン、あまり見ないなあ。あ、一度だけ強烈なのを見た」
「どんなのだ。聞かせろよ」
「うん、夢の中でオレは学生だった。夏休みの最後の日で宿題を1ページもやっていなかったんだ。『あーあ、今夜は徹夜でやらなきゃなあ』と夢の中で思ったんだ。そこで目が覚めた。寝惚けているから、起きて直ぐに宿題をやろうとした。そこで周りを見渡して気が付いた。オレは十年も前に学校を卒業して大人になっていたのさ『ああよかった、夏休みの宿題も何も無いじゃんか』あの時は嬉しかったなあ」
 ブラウニーもヘイリーも大爆笑である。
「なんでそんなに笑うんだよう?誰でもこんな夢見るだろう?」
2人が口を揃えて言った。
「いいや、そんな夢見るのはオマエだけだ」


  
 平日のスキー場は人が少ない。世の中の大多数の人は働いているのだから当たり前だ。
 僕らはグループを小さくして交代で休みをとることにした。僕はヘイリーとヘザーに言った。
「今日は2人は休み。天気も良いからJCとスキーツアーなんてのはどうだ?」
 残りのメンバーでセッションをやり、3人はギターやビールを持って裏山へ入って行った。
 スキー場の裏に放山という小高い山がある。そこから緩やかな斜面を行くツアーコースは南又と呼ばれ、僕も行った事がある。急斜面は無く、滑りだけを追求するには物足りない。しかし辺りの雰囲気は最高で、ゆったりと旅の気分を味わえるコースだ。コースの後半は田んぼの中を滑る。ニュージーランドでは絶対に味わえないようなコースである。
 案の定帰って来た2人は興奮から覚めないままで言った。
「こんなスキーは生れて初めてだわ。こんなに良い所が近くにあるのね」
「山でのビールも、JCのギターも、周りの雰囲気も最高だった。グフフフ」



 宿で荷物を整理していると僕のノートの表紙にHARINEZUMIという落書きが書いてあった。こんなことをするヤツは1人しかいない。全くやることが子供で笑ってしまう。
 ちなみにヘッジは英語で垣根のことだが、ヘッジホッグはハリネズミだ。僕の事をヘッジホッグと呼ぶ人もいる。
 オンセンの中で案の定、その事で話し出した。子供は自分がやったいたずらを黙ってはいられない。
「ヘッジ、オマエ自分のノート見たか?」
「見たよ。あんなことするのオマエ以外にいないだろ」
「辞書にのっていたからな」
 ブラウニーは子供っぽく笑った。
 今回ブラウニーとアレックスが一番日本語を話そうとしていた。好奇心が旺盛なので、何でも新しいことをやりたいのだ。
 もちろん今すぐ日本語がペラペラに喋れるとは思っていないし、それを目指しているわけではない。
 ただ日本という異文化の国へ来て、片言でも挨拶だけでも日本語を喋りたいのだ。
 僕がクィーンズタウンの家で隣の住人にマオリ語で挨拶をするのと同じだ。
 一方ヘイリーは、カンパイ、マアマア、ドモドモ、一番大切な3つの言葉だけである。これはこれでとてもヘイリーらしく僕はこちらも好きだ。



 夕方、買い物を兼ねて町へ下った。国道を少し走ると大きな建物が見えてくる。マリンドリーム能生という道の駅だ。地元の人は省略してマリンドと呼ぶ。食堂や土産物屋、インフォメーションなどが入っており、外には魚屋とカニを売る店が並ぶ。カニの季節から外れているのでカニ屋は閉まっているが魚屋は開いていた。
 魚屋の店先には何百もの幻魚、鰯、鰈の干物がぶら下がる。この幻魚はこの辺りが特産なのだろう。生では体にヌルヌルがついていてグロテスクだが、干物にして焼くと頭から尻尾までバリバリと食べられる。カルシウムもたっぷり、地酒にとても良く合う。
 前にいた時には地元の漁師にこの魚を山ほどもらい、従業員寮の脇で干物を作った。雪山をバックにいくつもの幻魚がブラブラ揺れて、淡い太陽の光を浴びていた。



 魚屋には様々な海産物が並ぶ。
 クジラの肉、クジラの絵と調理例のチラシをブラウニーが写真に撮る。ヤツらにとってクジラを食うということは禁断の異文化に身をまかせることなのだ。
 名物のアンコウを皆がおそるおそる覗き込む。アンコウは小さな三脚のような物を組み、吊るしてさばく。その様子をみんなに見せたいものだ。
 パックに入った切り身を見てブラウニーが聞いた。
「ヘッジ、この魚は何だい?」
「うーん、キングフィッシュの一種だな」
 僕の貧弱なボキャブラリーでは、鰤とかハマチ、カンパチの仲間はすべてキングフィッシュになる。
「すごく安いじゃないか。買っていって今晩サシミで食おうぜ」
 僕らがそれを買おうとすると、店の人が奥から別の魚を一匹ぶら下げてきて言った。
「あんたら、それを刺身で食うわけ?それならこっちにしなよ。ちょっと高くなるけどこっちのほうがウマイよ。なんなら今すぐ刺身用にさばいてやるよ」
 こんな時はプロの言う事に従うに限る。僕らの目の前でさくさくとさばき、あっという間にお造りができた。好奇心のかたまりのブラウニーとアレックスは大喜びでビデオを撮った。
 その日の食卓には刺身が一品増え、プロの言葉どおりウマカッタのだ。




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ジャパントリップ 14

2009-10-16 | 
 市内観光の締めは回転寿司だ。
 目の前を寿司そのものが通るのだ。各自食べたい物を取ればよい。説明しようにも種類が多すぎて、僕の英語のボキャブラリーでは全然おいつかない。食べ始めるとすぐに説明をあきらめてしまい、自分が食べるのに没頭してしまった。
 鰯、鯵、鮪、それにこの季節ならば鰤は外せない。普段食べたいなあ、と思っていたものが次から次へと回ってくる。さらに地の物ではホタルイカ、カワハギの肝、太刀魚。
 僕の地元には漁港があり、近所には次呂長通り商店街という清水ならではの通りがある。通りには魚屋が並び新鮮な魚が常に並んでいた。通学途中にある魚屋の前にはみりん干しの臭いが漂っていた。
 そんな環境だったので毎日のように魚を食べて育った。特に鰯、鯵、鯖、秋刀魚など大衆魚と呼ばれるものが大好きだ。
 ニュージーランドと日本を往復していた頃、家に帰ってきて母親に、一番初めに何が食べたい?と尋ねられると鯖の味噌煮を頼んだ。



 妻が以前知り合いのイギリス人ににこう言われた。
「日本人は集るとすぐに食べ物の話になる」
 なるほど、確かにそうかもしれない。ガイドをしていても食べ物の話が一番盛り上がる。
 だが裏を返せば、食べるという事がそれだけ大切な事なのだ。だからこそ食文化というものが生れた。味についてうるさくない人の間からは食文化は生れない。
 ちょっと考えればわかる事だが、先進国の間でどれだけアングロサクソン、イギリス系白人社会というのがあるだろうか?
 アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド。これらがその国だ。では料理としてはどうだろう?
 アメリカ料理?イギリス料理?カナダ料理?オーストラリア料理?ニュージーランド料理?どれもあまり聞かない。
 同じ白人でも、フランス料理、イタリア料理、スペイン料理、こちらはしっくり来るだろう。たぶんこれらの国民は味にうるさい民族なのだろう。



 味にうるさい、といえば漢民族だろう。世界中にある中華レストランを見ればそれがわかる。
 以前、中国へ行った時の話である。
 あるレストランで地元の人と席が同じになった。英語を喋る人がその場にいて、彼が言った事を訳してくれた。
「おまえ達は、そうやってあちらこちらの国を見て回るのに時間とお金を費やすだろう。俺たちはこうやって仲間や家族と美味い物を食う事が一番大切なのさ」
 ナルホド、それは食文化が発達するわけだ。
 日本だって負けてはいない。
 海に囲まれた国で、周りにふんだんにある魚介類を美味く食べようとして、いろいろな技法が生れた。
 新鮮な物は生で、しかし切り方だって幾通りもある。腐りやすいものは酢で締めるし、太陽に当てて保存食も作った。その他、煮る、焼く、揚げる、蒸す。骨や頭はダシを取り、汁にする。
 食文化というのは言葉にも表れる。出世魚なんてものがある。成長によって魚自体の味が変るので、それに伴い呼び名も変る。しかも地域によって名前が違う。店に鰤の呼び名のポスターが貼ってある。いいポスターだ。



 野山に生えている植物だって同じだ。
 中には毒にあたって死ぬ人もいた。
 人は食文化を突き詰めて、道にまでなってしまった。お茶と同じだ。
 世界中を旅する人の間で、いい交わされる言葉の一つ、食はアジア。
 中華はもちろんのこと、タイ料理、韓国料理、ベトナム料理、インド料理、トルコ料理などなど、どれも立派な食文化を持った国だ。
 ここでパケハ(マオリ語で白人)の名誉の為に言っておく。個人のレベルで言えばパケハでも洗練された味覚を持った人はいる。友達のシェフはパケハだが、僕がつけたイクラを味わって、何とか自分の料理に使えないかと考えていた。それに日本人でも味オンチはいる。
 ニュージーランドの料理が全てダメというわけでもない。美味しいものはある。スコーンにラズベリージャムと甘くないホイップクリームの組み合わせなどは見事だ。
 パイも美味い。特にパン屋のパイは生地が美味いのでよけいウマイ。毎年パイのコンテストがあり、賞をとっているベーカリーのパイは流石にウマイのだ。個人的には挽肉とチーズのシンプルなパイが好きだ。
 ただ食文化としてみた料理全体に対する繊細さ、知恵、技法などは明らかに他の国に劣る。



 ニュージーランドで魚といえば白身魚か鮭がほとんどだ。鰯や鯖、鯵など、俗に言う青い魚はほとんど無い。今でこそ味にうるさいアジア系の移民が増えて食生活が豊かになったが、それまでは魚料理と言えばフィッシュアンドチップス(白身魚と芋のフライ)ぐらいしかなかった。
 普段の生活では滅多にお目にかかれないような鰯の握りが100円。甘エビだって100円。鯵だって100円。僕の横には100円の皿が山になった。
 先ほどの100円ショップといい、回転寿司といい、日本はモノが安い。
 日本から来るお客さんが、ニュージーランドは何でも高いと言う気持ちが分かる。

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ジャパントリップ 13

2009-10-15 | 
 翌朝、先輩ヅラをしたりないブラウニーがアレックスを起こす。
「アレックス、いつまで寝ているんだ。オンセンに行くぞ」
「朝からオンセンに入るのか?」
「当たり前だろ。オレ達は先に入っているから後で来いよ」
 風呂に浸かり体を伸ばしながらアレックスが言った。
「1日の始まりでこうやって体を温めるのは良いなあ。僕は朝いつも体が硬くてストレッチをするのがしんどいけど、これは健康にもとても良いね」
 皆、自分なりに日本の良い所を見て楽しんでいる。
 悪い所も見えるだろうが僕には、あからさまに言わない。



 この日は地元の小学生との交流である。朝1時間ほど子供達とそり遊びをする。ゲレンデの隅にはそりゲレンデがあり、チューブのレンタルもしている。子供なら3人ぐらい乗れる大きさだ。
「ヘッジ、あたしはフェイスペインティング(顔にいろいろ描くこと)ができるけど、そんなのはどう?」ヘザーが言った。
「良いじゃないか。さっそく用意しよう」
 遊びとなるとブラウニーだって負けてはいない。
「ヘッジ、ただ滑るだけじゃ、つまらないだろ。小さなジャンプ台を作ろう」
「よしきた。スコップを用意しよう」
 物事を楽しむという事に関しては、メンバーは天才的な力を持っている。
 あっという間にヘザーの周りでは子供が輪になり、おとなしく顔に絵を描かれ、それが終わった子はチューブに乗りブラウニー作のジャンプ台で遊ぶ。
 この時に子供より楽しんでいたのはアベ先生だった。アベ先生は若い女性の先生で、子供と一緒にチューブに乗り黄色い歓声をあげていた。子供達だって大人がムッツリと腕を組んで見張っているのより、自分達と一緒になってキャーキャー遊ぶ先生が好きに決まってる。
 その子供達と精神年齢があまり変らないブラウニーが調子にのる。
「よーし、今度はオレを飛び越えていけ」
 そう言うなり、ジャンプ台の向こうにゴロンと寝転んでしまった。子供達は大喜びである。
 キウィ(ニュージーランド人)たちは遊ぶ時も全力で遊ぶ。自分達が面白そうと思った事はどんどんやる。そんな時でも子供達が調子にのって危ない方向に向かえば、柔らかく止め安全に遊ぶ方向へ持っていく。
 いたずら好きそうな子が今度は自分でも人の顔に何か書きたいらしく、ペンを持ってきたのでおとなしく描かれてあげた。何を描いたのか聞いたが僕の知らないキャラクターのようなので会話があまり続かなかった。鏡が無いので自分がどんな顔をしているか分らないが、みんなが笑っているのでまあ良しとしよう。
 そり遊びの後は生徒による発表会である。幾つかの班に分かれて秋に山に登った様子や山の自然のことなどを発表する。カフェの壁一面には子供達が作った壁新聞がイベント期間中貼られていた。なかなかよろしい。
 発表のあとにチームニュージーランドを代表して僕がニュージーランドの事、スキー場の事、日本とニュージーランドの山の違いなどを話した。
 その時僕は真面目な顔をして話をしたのだが、その場に居合わせた全員、僕の顔の落書きを見ながら話を聞いたわけである。ずいぶんマヌケなおじさんに見えた事だろう。
 子供達はたぶんアベ先生に、顔を洗いなさいと言われたのだろう。しかし37歳のオジサンに、顔を洗いなさいなどと言う人は1人もいなくて『知らぬは自分ばかりなり』と後でトイレの鏡を見て深く反省したのだった。
 ともあれ子供達との交流はメンバーにも大好評で、こういう企画をしたハヤピとテツの株がまた上がった。


 
 午後は市内観光である。今回のスポンサーでもある地元の酒蔵、加賀の井を訪れる。
 僕はクィーンズタウン近辺のワイナリーなどをガイドするが、日本の造り酒屋などは初めてだ。
 まず建物の立派さに驚いた。長年の雪の重みに耐えてきた建物がある。
 蔵の壁が欠けて壁の構造が見える場所で、ヘイリーが壁に触って自分なりに納得している。アレックスとクリスは門構えと日本庭園に見とれる。
 杜氏の小林さんの言葉を皆に伝える。創業1650年、350年前に酒を造り始めた話をするとどよめきが起きた。350年前のニュージーランドは白人が訪れるはるか以前であり、マオリ族しかいなかった。歴史の重みというのを皆が感じていた。
 殺菌、醗酵など普段使わない言葉に舌を噛みそうになりながら説明をする。アレックスが助けをだす。
「ヘッジ、そんな難しい言葉使わないでいいよ」
研磨された米のサンプルがあるので吟醸酒の値段が高いのも頷ける。これも又、日本の文化である。
 説明が終わると利き酒の時間だ。
 美味い酒を味わうというのは国や民族を超えて共通のものである。ヘイリーもアレックスも大喜びで何本も買い込んでいた。

 糸魚川駅に隣接した建物にひすい王国館というものがある。地元で取れた翡翠の展示、販売をしている。
 僕らはブラブラとその中を歩く。
 下校途中の女子高生の集団が通り過ぎる。皆ミニスカートから健康そうな足をのぞかせている。
 アレックスが喜んでビデオを撮る。まるで変質者だ。奥さんのクリスが、しょうがない人ね、といった感じで笑う。
 メンバーの興味を引いたのは翡翠よりも、本州中央部の大きな模型だった。山、谷、平野、海岸線などの地形がとても分かり易い。
 模型では手前が日本海側、奥が太平洋側と南が上になっている。
「ほらヘイリー、オレのホームタウンのシミズがあるぞ。フジサンのすぐ近くだ」
「こうやって見ると日本は山が多いな」
「ニュージーランドは南アルプスだけだろ。日本には北アルプス、中央アルプス、南アルプスがある。どれも3000メートル級の山塊だ」
「それはスゴイな」
「ニュージーランドと大きく違う点は、どの山でも山頂まで登山道がついている。夏なら頑張れば誰でも上れる。まあトランピングだな」
 ニュージーランドで3000メートルというと岩と氷河の世界だ。登山道など作りようが無い。標高は高くないが山は厳しい。
 基本的に用具を使う、いわゆる登攀をクライミング。それ以外の山歩きはトレッキングやトランピングと呼ばれる。トレッキングでもアイゼンやピッケルを持つ場合もあるが、あくまで一時的な補助用具としてだ。
 両者の間には明確な区別がある。
「それだけ登る人も多いんだろ」
「ああ、オレは日本の夏山はほとんど知らないが、最初から最後まで人の背中を見ながら歩いた、なんて話も聞く。ピークシーズンには山小屋もキュウキュウで、俺たちが今使っている布団があるだろ、あれに3人寝る、なんて事もあるそうだ」
「ウーン、それじゃあ寝られないだろう」
「そうさ。それになあ、山道でゴミがひどいらしい。ルートバーンで一緒に歩く人が皆言うんだ。ここはゴミが無くていいですねえって」
「そうなのか。うーん」
「日本も良い所ばかりじゃないんだよ。それより次に行くぞ」



 次は神社だ。雨の降る中、僕らは境内を歩いた。杉の大木がうっそうと茂り、別世界のようだ。
 拝殿は見事な萱葺きで、ヘイリーはまたしても軒下などを覗き込む。アレックスは大喜びでビデオをまわす。
 拝殿には賽銭箱があり、頭上の鈴から太いヒモがぶら下がっている。
「ブラウニー、お参りの仕方を教えてやる。まず、この箱に小銭をいれる」
「外国のコインでもいいのか?」
「うーん、まあ神様もたまには変ったお金を見たいだろうしな、まあいいか。次はこのヒモを引っぱって鈴をガランガランと鳴らす。2回手を打って拝む」
 僕らがワイワイやっていると、一人の老婆が通り過ぎがてら、手を合わせ頭を下げ去っていった。
「見ろ、ここは今でも信仰の場所なんだぞ」
 みんなは老婆の姿に多少ならず心をうたれたようだった。



 次は街の大型電化製品店へ。
 ニュージーランドは日本に比べ電器製品、特に電子機器が高く、数年遅れている。遅れている分に関しては全然不自由しないのだが、高いのはかなわない。
 みんなはそれぞれに店を見ていたが、いつのまにかマッサージチェアーのコーナーに集まってしまった。
「ああ、気持ちいいわ。からだがとろけそうよ」ヘザーが言う。
「こんなのブロークンリバーのロッジにあったら良いなあ。グフフフ」
「こんなのがあったら順番待ちで収集がつかなくなるよ」
「ただいま予約でいっぱいです。次の空きは3ヶ月先です。なんてな、グフフフ」



 市内観光は続く。次はブラウニーお待ちかね100円ショップだ。実は僕も楽しみにしていた。
 店内にはありとあらゆる物が並ぶ。一通り見て回るのに時間がかかる。
 男物のパンツだって100円で買える。ニュージーランドならどんなに安くても500円ぐらいはする。
 欲しいものばかりで、自分を押さえるのが大変だ。
 ただ、これだけのモノがこんなに安い値段で買えて、それが当たり前になれば、物のありがたみというのは薄れるだろう。その結果ゴミが増えるのではないだろうか。疑問は残る。
 買い物を済ませたヘイリーが店の外に出てきた。ニュージーランドでは見た事がないような車が通る。ヤツが感嘆の声をあげた。
「ヒュー、すごい車だな。あんなのがニュージーランドに入ってくるのは何年後だろう」
 僕は車を見ながら言った。
「ヘイリー、オレが日本でびっくりするのは、何百年も前から建っている神社を見ただろう。その僅か10分後には最新の機械や、これだけのモノに囲まれている事だよ。これってすごいギャップだよな」
「ああ。オレが思うにこの国の老人が成長しているんじゃないか。戦争が終わってそんなに経っていないだろう。この国の進化に老人がついていっているのが驚きだ」
 老人が成長する。なるほど言われてみればそうかもしれない。
 降りしきる雨の中にさきほどの神社での老婆の姿が浮かんだ。


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ジャパントリップ 12

2009-10-14 | 
 夕方、今晩から合流するアレックスと奥さんのクリスを迎えに町へ下る。
 アレックスはオーストラリア出身だが、やはりクラブフィールドに取り憑かれてしまい居着いてしまった。
 そして試行錯誤を繰り返しながら自分の気に入ったスキー板を作り、クラブフィールドで生まれたスキー、キングスウッドができた。
 ブラウニーとアレックスはとても仲が良く、彼を迎えに行きたい、と言う。それならあたしも、という訳でヘザーも一緒に車2台で町へ下りた。
 スーパーでブラブラと買い物をするJCと僕をブラウニーが写真で取る。何が珍しいのだろうと思ったが、ヤツにとって僕とJCと一緒に日本の店をウロウロするのは充分写真を取るのに値することなのだ。



 駅に着くと2人が待っていた。
 ブラウニーは大喜びで近況を報告する。アレックスはニセコの話をする。
 アレックス達はここへ来る前10日間ほど北海道のニセコで過ごしてきたのだ。
「オージー(オーストラリア人)の僕が言うのもなんだけど、ニセコはオージーだらけだったよ。日本にいるのかオーストラリアにいるのか分らなかった」
 ブラウニーが応える。
「そうか、じゃあここは気に入るはずだぞ。ここへ来てオレ達以外の外人に会ったことが無い。それになあスキー場でびっくりするぞ。キングスウッドだらけだ。どこのクラブフィールドより多いぞ」
 アレックスは嬉しそうだ。今回はイベントの一環でキングスウッドの試乗会も行っている。皆の評判は非常に良い。



 宿に着くと、オージー村から来た2人は畳の部屋に大喜びである。ブラウニーが先輩面していろいろ教えるのが面白い。
「ホラ、ユカタを出せ。オンセンに行くぞ」
 温泉に浸かりながらアレックスが言った。
「あーあ、この宿はいいなあ。僕はこういうのを望んでいたんだ。全くニセコは日本じゃあないよ」
「そんなにか?」
「うん。今日の帰りにコンビニへ寄っただろ、あの時レジの娘が僕の顔を見て、ハッとした顔をしたんだ。それだけで僕は嬉しかったよ。ニセコは僕みたいなのは掃いて捨てるほどいたよ」
 ブラウニーが口をはさむ。
「オレの時は『ハッ』なんてもんじゃなかったぞ。おばさんが買い物を持って歩いてたんだ。たぶん下を見てたんだろうな。オレの顔を見上げて『ギャッ』と叫んで買い物を全部落としてしまったよ。割れ物が無くて良かった。よっぽどびっくりしたんだろうな。ハハハハ」
 僕が説明を加える。
「ここは観光地でもなんでもないだろう。こんな所を訪れる外人なんていないんだよ。だからこそ本当の日本がある場所だと思う。コンビニの姉ちゃんもおばさんもこの町で初めてガイジンを見たのかもしれないぞ」
 アレックスが同意した。
「そうだね、それは言えてるよ。ブラウニーも行けば分かるよ。ニセコはオージーだらけで、後半は早く新潟に来たかったぐらいだ」
 オーストラリア人のアレックスがそう言うくらいだからよっぽどなのかもしれない。
「ふーん、そんなもんかねえ。ヘイリー、オマエまだ二セコに行きたいか?」
 この時点でヘイリーはイベント終了後の予定が全く決まっておらず、場合によってはブラウニーと一緒にニセコに行こうか、などと言っていたのだ。
「うーん、アレックスの話を聞いちまうとなあ・・・。やはりニセコはやめにしよう」
「それならどうする?1人で日本を旅するってガラでもないだろう」
「そうだなあ、どうしようかな」
「じゃあオレのホームタウンへ来るか?東海岸でタラナキそっくりのフジサンもあるぞ」
「そうするか」
「じゃあ決まりだな。3日ぐらい過ごして一緒にNZへ帰る」
「よしきた。それで行こう」
 この男と最初から最後まで一緒か。まあそれも面白そうだ。



 風呂から出て部屋に戻るとき、へザーの部屋の鴨居に札がついているのに気がついた。
「オイ、ハナコ、オマエの部屋に名前がついているのを知っているか?」
「知らないわ。何なの?」
「ハナ、フラワーだ」
「素適じゃないの。あたし達にぴったりだわ」
 横の部屋のブラウニーが騒々しく叫んだ。この男の性格なら聞かずにはいられない。
「ヘッジ、オレ達のは何だ?何だ?」
「どれどれ、オーッ、これこそオレ達にぴったりだ」
「何だ?何だ?何だ?」
「そんなに知りたいか?グフフフ」
 僕はヘイリーみたいに笑った。
「じらさないで教えろよ」
「ユキ、スノーだ」
「オー、ワンダフル。ユキはミユキのユキだろ?そりゃオレ達の為の部屋だ。全部の部屋に名前が付いているのか?」
「たぶん、そうだろう」
「アレックスの部屋は?」
「知らん。まだ見てない」
「見に行こう」
 アレックス達の部屋は月の間だった。
「ツキ、ムーンだ」
「聞いたかアレックス、オマエ達の部屋は月で、オレ達のは雪だ。どうだ羨ましいだろう」
 ブラウニーはアレックスが来たのがよっぽど嬉しいのだろう。絶好調だ。
 ビールを飲んでさらに気を良くしたブラウニーが鉢巻を出してきた。
「イチバーン」
 ヤツが得意そうに叫ぶ。間髪をいれず僕が茶々を入れる。
「イチバンはいいけど、上下逆だぞ」
 照れくさそうにハチマキを直し、全員爆笑の渦である。2人が来た事により僕らの旅はますます賑やかになり、楽しくなっていく。



 晩は山茶庵へ行く。宿から通りを挟んだ場所にあり、看板は出ているものの、作りは普通の民家そのものだ。座敷のテーブルの周りに座布団が並ぶ。
「おいおいヘッジ、これがレストランなのか?普通の家じゃないか」
 確かにニュージーランドで言う飲食店というものから大きく外れている。
 皆が戸惑う様子が面白い。特にオージー村から来たばかりの二人には信じられないだろう。
「これでもチャイニーズレストランなんだよ。シェフはシャチョーの弟だ。この店にはメニューが無い。その時あるもので適当に作ってもらう。ビールはセルフサービスだ。この冷蔵庫から勝手に出して飲む。さあアレックスとクリスも無事着いたことだしカンパイをしよう」
 ブラウニーがアレックスにマアマアドモドモの儀式を教えている。ヤツラはよっぽど気に入ったらしく、ギョウザのタレを入れるのもマアマアドモドモとやっている。
 へザーの言葉ではないが1日ごとに旅が良くなっていく。


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ジャパントリップ 11

2009-10-13 | 
 こんなに楽しい事ばかりだと何をしに日本へ行ったのか分らないので仕事の話も書く。
 前にも触れたが、今回はニュージーランドのスキー場と日本のスキー場との交流の為のイベントである。イベントのメインはフリースキーの大会であり、そのジャッジを僕達がするのだ。
 大会と言っても堅苦しいものではなく、楽しんで滑るというのが第一の目的だ。なので必ずしも上手い人が勝つとは限らない。
 採点は情熱、創造性、スピード、技術、楽しさ、総合、などで点を得る。1時間半のセッションを2回、グループをいれかえてするので色々な人と滑る事ができる。
 全員が全てのジャッジと一緒に滑るわけではないので不公平とも言えるし、運で勝敗が左右されるが、楽しく滑るのが目的なのでこれでいいのだ。



 日曜日の朝、イベント初日とあってたくさんの人が来てくれた。もちろんローカルの数も多い。昨日一緒に飲んだ顔もある。
 その中の1人がメンバーにプレゼントを持ってきてくれた。日の丸の鉢巻で漢字が書いてある。皆は当然ながら読めないので、僕のところへ持って来て意味を聞く。
「どれどれ、ブラウニーは一番、ナンバーワンだ。オマエにぴったりだな。ヘイリーのは根性かあ、根性はなんて言うんだろう、スピリットとかガッツとかそんなのだ。ヘザーは闘魂、ファイティングスピリットだ。オレが配ったわけじゃないから文句を言うなよ」
 ブラウニーは文句なしに大喜び。子供は1番が好きなのだ。
 個人的にはヘイリーは根性などではなく、快楽、自由、天然、享楽、奔放、美酒、などがいいと思うのだが、そんな鉢巻はないだろうな。ヤツも嬉しそうにグフフフと笑った。
 ヘザーは嬉しいながらも、ちょっと複雑そうな顔をしている。ここへ来る車の中でヘザーがこんな事を言っていたのだ。
「あたしの悩みはねえ、男達があたしを女扱いしないのよ。サーフィンをやっているでしょ、いい波が来ると他の女の子に男達は波を譲るのよ。あたしには絶対譲らないくせに。おかげであたしはいつも男達と波の奪い合いよ。スキーだってそうだわ。いいラインを滑る為には男達より早くそこに行かなきゃ。男達は絶対待ってくれないもの」
 その辺の女の子とニュージーランドチャンピオンを比べる方が無理があると思うのだが、彼女の中ではそうではないらしい。僕だって目の前にパウダーがあったら、ヘザーにラインを譲るようなことはしないだろう。
 実力のある女は男と闘う宿命にある。その為には闘魂が必要なのだ。『ヘザーよ、その鉢巻はオマエ用だ』と僕は心の中で呟いた。



 組分けをしてグループごとに分かれる。メンバーは皆こころなしか緊張しているようだ。僕だってそうだ。人様の滑りを見て、それで点をつけるなんて恐れ多い事、性に合わないがやるしかない。
 ジャッジによってやり方は自由というのがとても良い。僕は僕のやり方でやらせてもらう。
 ぼくはスキーガイド、トレッキングガイドの目で見た日本の山を皆に伝えたかったのでガンガン滑るのではなく、止って景色を見ながら皆と話した。
「前に居た時にはこの山の裏に1人でツアーに行ったんだ。奥の笹倉温泉までの1日ツアーね。あの尾根を下っていくと川があってそこをどうしても越えなくちゃ先に行けない。水は少ないけど、川の両側が雪の壁になっていてねえ。なかなか登るのに苦労したよ。その辺りで獣の臭いがプンプンするわけだ。怖かったなあ、あの時は。あの谷ではたまに人が襲われるからね。心の中で『そっと出て行きますから、熊さんどうかこのまま眠っていて下さい』そう祈りながら渡ったよ。いやあ怖かった。ニュージーランドでは人を襲う動物がいないから、その点では安心して山に入れるんだ。ツアーを終えてその後は温泉にビール。これは日本の良い所だね。じゃあゆっくり滑るから付いて来て」
 何処を滑るのも僕の自由なのでオフピステへ向かう。
 オフピステとは圧雪車が入っていない場所のことである。
 雪が降れば新雪、溶ければ湿雪、表面が凍ればクラスト、ガチガチに凍ればアイスバーン、春先の表面だけが柔らかくなったのはスプリングコーン。雪質は天候、気温、風などにより常に変る。より自然の状態に近い雪だ。その他、新雪の後スキーヤーやボーダーに踏まれてボコボコになった状態をクラッドと呼ぶ。
 僕はオフピステスキーヤーなので整地など興味が無い。正直な話、圧雪バーンを綺麗に滑ることはヘタクソだ。若い時には少しは練習などもしたが、今では開き直って『オレはこのスタイルでいいのだ』などと言っている。
 圧雪車が無い、もしくはあってもほとんど使わないスキー場で滑っているので、圧雪バーンなど年に数回滑るぐらいだ。圧雪の上を滑ると、なんて楽なんだろうと思ってしまう。
「ここのスキー場はローカル有利なんだ。あそこに木があるでしょう。そうそう固まって生えている木。その先がここからは見えないよね。だけどローカル達はあの先にどういう斜面があるのか知っているんだ。この差は大きいよ。じゃあ皆ついて来て」
 同じ斜面でも微妙に凹凸があり、影になる場所がある。そのラインを目掛けて板を走らせる。まだまだ雪は良い。僕は畳4畳ぐらいのスペースに板を潜らせた。多少重くなりかけた雪にキングスウッドがしなる。柔らかい反動で体が押し上げられる。せっかくのパウダー、食い残しを作っちゃいかん。
 そんな滑りをして止ると皆がヒャッホーだのワーだの言いながら下りて来た。みんな楽しそうでヨロシイ。スキーは楽しいものなのだ。しかめっ面をしてすべるなど言語道断。
 1人が転倒。照れくさそうに下りて来た彼に僕は言った。
「ハイハイ、僕の採点基準ではコケルのも得点のうちです。カギはその後で笑っていられるかどうか。例えばねえ、リフトのすぐ横で大転倒などして、そのすぐ後にリフトに乗ってる人に向かってウォーなんて叫んでくれたら創造性は満点だね」
 和やかな雰囲気で2回のセッションが終わり、休憩を挟み講演である。



 スキー場の建物の2階に小さなカフェがある。このカフェも宿のシャチョーがやっており、今回のイベントの為に快くこの場所を提供してくれた。講演、表彰式などはここで行なう。
 カフェの壁には地元の小学生が作った壁新聞、ニュージーランドのポスターなどが貼られている。一角には大会の景品がズラリと並び、その横で大きなジグザグマンが居座る。
 クラブフィールドに行った事の無い人にどんな場所か伝える。どうやって伝えようか?その為に今回はポスター、多数の写真、DVDなどを用意した。しかし映像や音声ではどうやっても伝えきれない世界はある。それを知りたければそこに行く以外ない。
 普段ニュージーランドの自然の中で遊んでいて感じることだが、常に自分の想像を越える世界がそこにある。百聞は一見にしかず、とはよく言ったもので、自分がその場に立たないと理解できない世界というものだ。人間の想像力の限界と自然の大きさの対比が楽しめる。
 想像をはるかに越えた世界へ来ると人は言葉を失う。もしくはボキャブラリーが貧困になり、スゴイという言葉しか出てこない。
 ましてやクラブフィールドなんて、そこの山、人、施設、歴史が混ざり合った良さがあるのだ。どこからどう喋ればよいのか途方にくれる。



 途方にくれながらも何とか講演が終わると次は表彰式である。1等はスキー板、その他景品はかなり豪華だ。
 今回来てびっくりしたのはスポンサーの数である。50以上もの会社、団体、個人が協力してくれた。地元の酒蔵、味噌蔵、旅館、お店などが自分のところの商品などを提供してくれた。
 スポンサーは地元だけではない。北海道の農家はジャガイモを送ってくれた。四国のラフティング会社はガイドツアーを、長野のペンションは宿泊券を、もちろん金銭で協力してくれた人もたくさんいた。
 いろいろな人が無理をせず、各自で出来ることで協力する。有り難いことである。
 理想的な祭りの盛り上げ方だ。

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ジャパントリップ 10

2009-10-12 | 
 今晩はローカル達が僕らのために宴を用意してくれるとの事。どんな夜になるのだろうか。
 シャチョーがバスを運転して、僕らを通称シャル宿という家へ送ってくれた。
「シャチョー、シャル宿ってどんな所なんですか?」
「ん?ヒッジは行ったことが無いのか?」
 ちなみに能生の人たちは僕のことをヒッジと呼ぶ。日本語だとヘッジよりしっくりくるようだ。Aスキー場に居た頃はパトロール隊長に、ヒッジのジはシに点々じゃなくチに点々だぞ、と言われた。僕としてはどちらでも良く、呼びやすいように呼んでくれればそれでよい。
 このパトロール隊長が面白い人で、この人の話を書き始めたら本一冊ぐらい書けそうなので取っておこう。
 話がそれてしまった。
「3年前も来なかったんですよ。話ではシャル宿とは聞いていたんですが」
「あそこはね、エミッチの親戚の家でな、誰も使ってないので、ああやって使ってるんだよ」
 エミッチとはこのパーティーを用意してくれた女性で、ハヤピやテツと一緒にニュージーランドへ来てブロークンリバーなどにも一緒に行った。
 車は谷の対岸を走り、別の集落へ入っていった。道は狭く除雪もままならない。辺りの建物はどれも古く、何十年も前にタイムスリップしたような錯覚を覚える。そうしているうちに噂のシャル宿へ着いた。
「サンキュー、シャッチョ」
「ありがとう、シャチョー」
「サンクス、ボス」
「ん、楽しんでおいで」
 人の好意とは有り難いもので、嬉しいものだ。

 建物はどっしりした造りで、いかにも頑丈そうだ。家に入ると広い土間がある。働いて泥に汚れる人、雪にまみれる人が着替えるスペースがたっぷりある。機能的な造りだ。柱も梁も太くて立派だ。質実剛健という言葉が頭に浮かんだ。ここでもヘイリーはフムフムと家を見る。
 襖一つ向こうはリビングルーム。真ん中にいろりが燃え、その周りで何か焼いている。
「すごい!インドアバーベキューだ」
 ブラウニーが感嘆の声をあげた。
 テーブルの上には地でとれた鮭、コゴミ、ふきのとうなどの山菜がところ狭しと並び、部屋の隅にはビールが数ケースと日本酒のビンが並ぶ。
 目の高さよりも一段高い所に神棚があり、人々を見おろす。この神棚の位置だけ見ても、昔の人々がどのように神を感じていたかが分る。神とは特別なものではなく、日常生活の中に溶け込んでいたのだ。人々は神に感謝をし、敬い、慕い、時には恐れ、日々の生活を送っていたのだろう。
 チームニュージーランド(僕らはひとまとめにこう呼ばれていた)はいろりを囲んで飲んでいる。僕はちょっと離れた所で七輪の前に陣取って飲む。
 モスオが豆腐を持ってきた。
 この男は自分が食ってウマイと思う物を人に食わせないと気が済まない性質で、ヤツが料理を作っているところへ行くと強引にウマイものを口にねじ込まれる。
能生谷の入口にある豆腐屋の豆腐はしっかりと豆の味がする。豆腐は豆から作る物だから豆の味がするのは当たり前だが、とにかくここの豆腐はウマイ。
ヤツはきっちりとおぼろ豆腐を出してきた。僕が一番好きな豆腐だ。気が利くじゃないか。

 まもなくエミッチの父親手製の蕎麦がでてきた。その場で打って茹でてくれたものだ。もちろん文句無くウマイ。
 蕎麦などニュージーランドではめったに食べることなど無い。ましてや生の蕎麦など考えたことも無い。
 他所から来た人に、純粋にウマイものを食って欲しいという、もてなす気持ちが全ての料理ににじみ出ている。決して特別な事をするわけでなく、自分達ができる事で一番ウマイものを出してくれる。どんなに金をかけた料理もこれにはかなわない。その事に気がついた時、僕の胸が熱くなった。
 ウマイ肴にウマイ酒。嗚呼これぞ世の至福なり。
 酔いに任せて家を見る。なんと居心地の良い家だろう。この家だって、こうやって人が集り、ワイワイと飲み食いして喜んでいるようだ。
今あるものを大切に守って使う、という考えはクラブフィールドのそれに一致する。
 こういう古い家を皆が敬意をもって使う。素晴らしい事だ。日本にだってクラブフィールドに負けないスピリットはある。
 日本から遠い場所に住んでいると、自分のアイデンティティーがあやふやになる時がある。自分が何処から来たのか、忘れかけるのだ。
 若い時は日本のイヤなところばかり見て、日本が嫌いになったこともあった。だが今は日本の良い所を素直に見つめられるぐらいには成長したつもりだ。
 長いこと日本を離れていると日本の良い所と悪い所が浮き彫りだって見えてくる。日本の常識がニュージーランドでは非常識になることがあり、ニュージーランドで当たり前のことが日本では考えられない事というのはいくらでもある。
 それよりもあまりに当たり前すぎて見えなくなっているものもある。

 一つの例をあげる。
 僕は以前、お茶の工場で働いた事がある。
 生れが静岡なので子供の頃から美味しいお茶を飲んで育ち、家の近くにもお茶畑はたくさんあった。工場はそんなお茶畑の真ん中にあった。
 仕事は農家が摘んだお茶を工場へトラックで運び、そこでお茶をコンベアに入れるという単純な作業だった。そんな作業の合間に工場の掃き掃除や製品の梱包などの仕事が混ざる。漠然と機械を眺めて、『へえ、お茶って意外と手間がかかる物なんだ』とぼんやりと考えただけだった。
 数年後にニュージーランドの家に、実家から新茶が届いた。日本の春を味わいながら考えた。
 最初はお茶という植物の葉を湯に入れて飲んだのだろう。それをもっと美味しく味わおうとして冷やし、蒸し、揉み解し、乾燥させるという手間が生れた。
 もちろんその間にもいろいろな試行錯誤があったはずだ。熱湯より少し冷めた湯が良いというのは生活の中で自然に生れたものだろう。
『あっ!こりゃダメだ。全然美味しくない。このやり方はボツ』なんてのも多数あったはずだ。その中から美味いものを追求した結果がこのお茶の中にある。
 お茶工場のあの行程一つ一つに人間の知恵と、味に対する要求があった。その時にはお茶とは身近にありすぎてそんなに深く考えなかったのだ。
 湯に葉を入れて飲む、という行為が何千年もかけて道まで作ってしまった。
 これこそ日本の文化ではないか。ニュージーランドにはこんなものは無い。
 お茶一つとってみてもこうなのだ。酒、温泉、建築、食、音楽、舞、花、こんなのあげていけばきりが無い。日本は素晴らしい文化を持った国だ。
 もちろん悪い事は山ほどある。だからと言って良いところを忘れてはいけない。
現に自分の目の前にはこんな人達がいて、こんな場所がある。
 この家を見て、そこに集う人を見て、何か確かなものを掴んだ。グラグラしていた自分の足元が固まったような気がする。
 考えてみれば3年前に来なかったのは正解かもしれない。以前来ていれば今回感じたような感覚は掴めなかっただろう。その時にはそれを感じ取るほど人間が成熟していなかったのだ。
 酒の酔いも手伝ったのだろうか、この家に、この場にいる人に、食べ物に、酒に、僕はやっつけられてしまったのだ。

 シャチョーが再び迎えに来てくれて、宴はお開きだ。帰り際に誰かが言い出した。
「一本締めで締めようよ」
「え~どうやって説明するんだよ、それを」
 僕だって酔っている。面倒くさいなあ。
「えーと、誰かがよーおって叫ぶんだ。それでみんなで手を叩く。分ったか?」
 こんないい加減な説明で分るわけないだろうが、僕がいい加減なのはみんなが知っている。
「とにかくやってみよう。誰がやるんだ?」
「へザー!へザー!」誰かが叫んだ。
へザーを囲んで何回か練習をしたが、うまくタイミングがつかめない。後ろで聞いていたブラウニーが身を乗り出した。こんな時に黙っていられないのはこの男の性格だ。
「オレにちょっとやらせてくれ。こうだろ。ヨオーッ!」
パン! と見事に締めてしまった。
 へザーは自分は何だったんだろうという顔をしているし、ブラウニーは油揚げをさらった鳶のごとく大喜びで、実にヘザーらしくブラウニーらしい締め方だった。
 宿の前で星空を見ながらへザーが言った。
「私達の旅は日増しに良くなっていくわ」

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ジャパントリップ 9

2009-10-11 | 
 次の朝6時ごろ目が覚めてしまった。二度寝もできそうも無いし、朝風呂にしよう。
 寝ている二人に気を使い、ガサゴソと用意をしているとブラウニーが話し掛けた。
「オハヨー、オマエどこに行くんだ?まさか朝のジョギングなんていうんじゃないだろうな」
「いや、温泉に行くんだよ」
 ヤツはガバッと起きて言った。
「何?それならオレも行く」
「オレも」
 ヘイリーもむくりと起きて言った。
「なんだ、みんな起きていたのか。それなら行こう」
 オンセンは思いの外、熱かった
「アチ、アチ、どうやって入るんだ、こんなに熱いの」
「日本の諺で『心頭滅却すれば火もまた涼し』というのがある。熱いと思うから熱いのであって、熱いと思わなければ熱くない」
 僕はエラソーに説教した。説く方も聞く方も素っ裸なのでちょっと間抜けだ。
「そうか、じゃあそのシントー何とかでオマエが先に入ってくれ」
「いや、実はオレもそこまで人間ができてない。水をじゃんじゃん入れてうめて入ろう」
「グフフフ」
 何とか入れるほどの温度になったが、まだかなり熱い。長く浸かっていられる温度ではない。
「日本人はみんな、こんな熱い風呂に入るのか?」
「ここなんかまだいい方だ。別のオンセンに行くとオレでも入れないほど熱いのがある。それでもローカル達は平気で入っていて、余所者が来て水を入れると叱り飛ばすんだ」
「オレたちはここで良かったよ。せっかくのオンセンで見ているだけなんてつまらないよ」
 のぼせたヘイリーが窓を開けて外を見た。
「ヒュー、今日は青空だぜ。昨晩はしっかり積ったみたいだな」
「ああ、たぶん昨日滑った跡は消えているだろう。今日は人も多そうだな。朝一のリフト待ちがあるよ。今日は最高の日だ。オレが保証する」




 風呂を出ると朝飯である。朝食は和食だ。
 昨日の夜、シャチョーの息子のヒロシが僕に相談を持ちかけた。
「あのう、皆さんの朝食はどんなのがいいでしょうか?」
「ここでいつも出しているものを出してよ」
「焼き魚とか味噌汁ですよ」
「うんうん、食べても食べられなくても最初はそれでいこう。きっと皆そのほうが喜ぶよ」
 そんなヒロシが用意してくれたのは、焼き魚、卵、納豆、海苔、漬物、味噌汁、そしてここで取れた米。ぼくにとっては超がつくぐらいの御馳走である。
 ヘイリーが果敢にも納豆に挑戦。ヤツは髭をネバネバの糸だらけにしてあえなく敗退。他のメンバーはそれを見て臭いを嗅いで降参である。
 朝から米と魚というのは彼らには重すぎたようだ。まあ何事も経験、経験。
 僕1人がウマイウマイと何杯もお代わりをして最後まで食べていた。ここの米のウマさはメンバーには分らない。



 スキー場に着き、支度をしているとブラウニーが騒々しく言った。
「オイ、ここのトイレ行ったか?ヘイリーだらけで落着いて小便もできやしないぜ」
 言われる通りトイレに行ってみると、小便器にも手洗いにも、もちろん個室にもジグザグマンが居た。ナルホド、こりゃイヤでも目に入るな。テツが言っていたのはこのことか。
 リフト運転までにはまだ時間があるが、すでに乗り場には列ができ始めている。さっさと支度をして列に並ぶ。
「みんないるか?あれ、ハナコがいないぞ」
「彼女は髪をやっているのよ」
 ユリコが言った。横にいたブラウニーと目があった。やれやれというかんじでヤツが言った。
「髪をやってるんだとさ」
「髪をやってるんだって」
「一応女なんだな」
「女なんだね」
 間も無く女のハナコも合流してリフトで上へ。昨日のスキー跡がぼんやりと新雪に凸凹をつくる。雪の表面が朝日をあびて光る。
昨日とは打って変っての晴天。視界が良いのと昨日下見が済んでいるのとで皆かなり飛ばす。僕も負けずに新雪に突っ込む。
 今日もまたアレックスの板は絶好調だ。さすがオフピステしかないクラブスキー場で生れた板だけある。アレックスも喜ぶだろう。
 最近はスピードに乗って大きいターンで滑るのが主流だが、急な斜面を小刻みにターンを刻むのが僕のスタイルだ。
 幅の広い板の方が雪の中での浮力が大きいので、かっ飛ばすには幅広の板が良い。
 僕の滑りは板を潜らせる楽しみもあるので板の幅は狭い。かといって狭すぎても板が浮いてこないのでダメだ。そのへんは長さ、幅、しなり、形、重さのバランスだ。この板を作ったアレックスのセンスが良いのだ。僕はすっかりこの板を好きになっていた。



 リフトでヘイリーと隣り合わせた。
「ヘッジ、オマエはここの雪は重たいと言っていたけど、なかなかどうして、良いじゃあないか」
「ああ、昨晩雪が上がって晴れただろう。放射冷却で余計な水分が抜けたのさ。まあ見てろ、あっちの日当たりのいい斜面はあと1時間で雪が腐る」
「ナルホド、スキー場の中で雪崩はどうなんだ?」
 スキーパトロールを職業としている男の当然の質問だ。
「雪崩の心配はほとんど無い。ここのスキー場で一番危ないのは建物の周りだ。屋根の雪が一気に落ちてくる。ルーフアバランチだ。どうだ、こんなのニュージーランドには無いだろう」
「全くな、こんな場所だとは思わなかった」
「まだまだ始まったばかりだ。時間を見つけて奥の山へツアースキーなんてのもいいぞ。ビールを持って行こう」
「それはいいなあ。グフフフ」
 山頂からは素晴らしい景色が広がる。
 スキー場の側面には権現岳。標高は高くないが険しい山だ。
 3年前の5月、僕はJC、ハヤピ、テツと一緒にこの山に登っている。
 鎖場、石楠花の群生、紫色のかたくりの群生、大きな岩が積み重なってできたトンネル。稜線に出れば足元は幅数十センチ、その両側は数百メートルの切り立った斜面。文字通りナイフリッジ、落ちれば間違いなく死ぬだろう。さらにその先には覗かずの窓と呼ばれる岩の窪み。凹、本当にこんな形をしているのだ。スキー場からもはっきり見える。そしてピークからは文句無しの展望。
 僕は日本の夏山をほとんど知らないが、こんなに身近で本格的で変化に富んだコースを他に知らない。
 どんなに綺麗な道でも、ずーっと同じ景色が続くと飽きる。それが植生の変化であれ、地形の変化であれ、何かしらの変化があれば楽しめる。その距離と変化のバランスが良いと最高の山歩きができる。
 ニュージーランドの山歩きが楽しい理由はここにある。
 権現岳はそんな山だ。僕に夏山歩きの楽しさを教えてくれた山である。
 その脇の長い谷の向こうには日本海。青い海に佐渡ヶ島が雪を載せて浮かぶ。後ろを振り返ると火打が堂々とそびえ、その横の焼山からは水蒸気が煙のように上がる。空は青く周りの白い世界と調和する。美しい世界だ。日本は美しい国だ。時と場所を間違えさえしなければ。



 昼は山頂のレストランでランチだ。僕は知っていたが、皆は宿にいたシャチョーが山頂にもいるのでまたビックリだ。お手製のラーメンやカレーはメンバーにも好評で、へザー曰く、今までの人生で一番美味しいカレー、だそうだ。
 昼飯を食べている時にも、屋根に積った雪がドドドと大きな音をたてて滑り落ちる。
「な、これがルーフアバランチだ。これで死ぬ人もいるんだぞ」
 みんな神妙に頷いた。
 午後は明日からのセッションに備え各自でコースの最終確認。そして宿へ戻る。
 ブラウニーの話だと風呂がぬるいらしい。というわけで近くの温泉センターへ。僕はこちらも何げに好きなのだ。
 風呂から出ると、子連れの家族が弁当をひろげている。微笑ましいと思いきや、なんだ友達のモスオとイズミだ。
 この男は以前、モスというメーカーの板を使っていただけでモスオと呼ばれた。 今でもニュージーランドの僕の家ではモスオだ。娘もモスオ、モスオとなついている。
 彼とは15年ぐらい前にクィーンズタウンでスキーバムをやっていた頃からの仲だ。奥さんのイズミもその時からの友達だ。
 ちなみにスキーバムとは、仕事もしないで毎日スキーをするという非常に羨ましい人のことである。スキーバム時代、リフトに乗る度にスタッフが「仕事を見つけろよ、ヘッジ」と僕を恨めしそうに送り出した。
 そんなモスオ夫婦にも娘が生まれ、ヤツはいい父親ぶりを見せている。
 これから風呂に入るモスオ親子に付き合って、僕ももう一度風呂に入る。
 娘の頭からザブンザブンと湯をかけるモスオ、その度にギュッと目をつぶる娘。 モスオに話したいことはたくさんあったが、何となく胸が一杯になり上手く喋れず微笑むのみ。

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