高齢者の介護は多くの苦労があるが、それが遺産分割で報われることは少ない。一般に介護の当事者でなかった相続人の理解を得るのが難しく、親族は互いに助け合って暮らすという民法上の義務もあるからだ。義理の親と同居して献身的に介護をした嫁でも、いざ相続が発生すると理不尽な思いをすることがあるのが現実。ただ遺言を活用したり、養子縁組してもらったりすれば介護の苦労が報われる可能性もある。
「それって私のことよね」――。首都圏在住の主婦、柳沢洋子さん(仮名、58)は昨年11月、夫の稔さん(同、60)とともに出かけた金融機関の相続セミナーではっとさせられた。「お嫁さんが義理の親を介護していると、相続でもめやすいですよ。遺産が自宅しかない場合は注意してください」という講師の声が耳を離れなかった。
柳沢さんは義理の母である貞子さん(同、93)名義の家に同居して身の回りの世話をしてきた。90歳を超えて足腰が衰えた貞子さんの介護は気が抜けない。これまで「嫁だから仕方がない」と考えてきたが、相続で住む家を失うかもしれないと知り、心中穏やかで居られなくなった。
貞子さんの法定相続人は同居する長男の稔さんと、離れて暮らす次男(57)、長女(55)の3人。財産は自宅のほかに預貯金が少しあるだけで、仮に次男と長女がそれぞれ法定相続分を主張すると、家を売却して現金を分けるか、稔さんが弟妹の相続分の現金を用立てるしかない。貞子さんが遺言を書いてくれればいいが「介護しているのだから遺言で家をください」と頼むのは極めて難しい。
■夫から水向ける
妻の不安を察した稔さんは最近、「資産運用のことを相談しておこう」と貞子さんに声を掛け、一緒に信託銀行に出向いた。
「身の回りの世話はどなたが?」といった担当者のさりげない問いかけから、自宅を稔さんに相続させる遺言が固まったという。弟妹には相談していないが、稔さんは「2人とも経済的に困ってはいないので納得してくれるはず」と思っている。
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民法では、亡くなった人の生前の財産の形成や維持に貢献をした相続人は、その相当額を「寄与分」として特別に相続できる。しかし、遺産分割協議で法定相続人でない嫁が寄与分を直接、主張することはできない。生前に打てる手は柳沢さん夫婦のような遺言作成のほか、養子縁組、生命保険などがあるが、そうした話を切り出すこと自体が「カネ目当てで……」という誤解を招くリスクがある。そもそも日々の介護に追われてそこまで考える余裕がないのが現実かもしれない。
「どうして分かってくれないの」。都内在住の高橋明美さん(同、60)は叫びたくなる思いを抱えている。夫の博さん(同、61)とともに自宅で介護してきた義理の母の相続が2011年に発生。遺言は作成しておらず、博さんは遺産分割協議で約5年間にわたる介護の寄与分を主張したが、共同相続人の妹(57)はこれを拒否。逆に「使途不明金が1千万円もある」と主張してきたのだ。兄妹の争いは家庭裁判所での調停手続きに入っている。
1千万円は介護保険の限度額を上回るサービス利用やオムツ、衣類など介護用品の購入に充てたもの。幸い明美さんがレシート類をすべて保管していたため「使途不明金」の主張は認められない公算が大きい。
しかし寄与分が認められるかどうか不安は尽きない。「遺言をせずに長男夫婦を家に縛り付けておくのは問題ではないか」(弁護士法人きぼうの寺町東子弁護士)という指摘があるほど認定基準は厳しいからだ。
■「同居の受益」相殺
家裁の審判では「要介護2以上の被相続人を少なくとも1年間、自宅で自ら介護していなければ寄与分は認められない」(こすぎ法律事務所の北村亮典弁護士)という目安がある。具体的な金額は介護保険の報酬などを基に算出されるが、遺産全体に占める割合は「最大でも2割」(同)という。被相続人の家に無償で同居していると、その「利益」も差し引かれる。
生前対策が難しく、家裁の判断も厳しいなら、遺産分割協議の相手方となる共同相続人と良好な人間関係を築いておくことが重要になる。
長男の嫁として義理の親を介護する場合、日ごろから介護状況を報告してそれとなく苦労を印象づけるだけでなく、「法事の席順で義理の弟妹を自分より上にするなどの気遣いも必要になる」と税理士法人レガシィの天野隆・代表社員税理士は助言する。遺産分割協議で相手方から寄与分を言い出してもらえる可能性もある。
一方、共同相続人の理解を得られず、相続で理不尽な思いをするかもしれない。複雑な感情を抑えて平穏な日々を取り戻すにはどうすればいいか。精神科医の備瀬哲弘氏は「その人の周りに話を聞いてサポートしてくれる人がいることが重要」と指摘する。
「外食も旅行もせずに頑張っていたよね。ずっと見ていたよ」。同居していた義理の母の相続で寄与分が全く認められなかった都内在住の戸田聡子さん(同、60)は、長男(35)のねぎらいの言葉で立ち直ることができた。
介護事業者と違って、親族による介護は経済取引ではなく、寄与分は苦労に報いる手段の一つでしかない。介護を相続トラブルの火種にしないためには、お互いの気持ちを思いやる親族関係を築いていくことが欠かせない。
(表悟志)
「それって私のことよね」――。首都圏在住の主婦、柳沢洋子さん(仮名、58)は昨年11月、夫の稔さん(同、60)とともに出かけた金融機関の相続セミナーではっとさせられた。「お嫁さんが義理の親を介護していると、相続でもめやすいですよ。遺産が自宅しかない場合は注意してください」という講師の声が耳を離れなかった。
柳沢さんは義理の母である貞子さん(同、93)名義の家に同居して身の回りの世話をしてきた。90歳を超えて足腰が衰えた貞子さんの介護は気が抜けない。これまで「嫁だから仕方がない」と考えてきたが、相続で住む家を失うかもしれないと知り、心中穏やかで居られなくなった。
貞子さんの法定相続人は同居する長男の稔さんと、離れて暮らす次男(57)、長女(55)の3人。財産は自宅のほかに預貯金が少しあるだけで、仮に次男と長女がそれぞれ法定相続分を主張すると、家を売却して現金を分けるか、稔さんが弟妹の相続分の現金を用立てるしかない。貞子さんが遺言を書いてくれればいいが「介護しているのだから遺言で家をください」と頼むのは極めて難しい。
■夫から水向ける
妻の不安を察した稔さんは最近、「資産運用のことを相談しておこう」と貞子さんに声を掛け、一緒に信託銀行に出向いた。
「身の回りの世話はどなたが?」といった担当者のさりげない問いかけから、自宅を稔さんに相続させる遺言が固まったという。弟妹には相談していないが、稔さんは「2人とも経済的に困ってはいないので納得してくれるはず」と思っている。
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民法では、亡くなった人の生前の財産の形成や維持に貢献をした相続人は、その相当額を「寄与分」として特別に相続できる。しかし、遺産分割協議で法定相続人でない嫁が寄与分を直接、主張することはできない。生前に打てる手は柳沢さん夫婦のような遺言作成のほか、養子縁組、生命保険などがあるが、そうした話を切り出すこと自体が「カネ目当てで……」という誤解を招くリスクがある。そもそも日々の介護に追われてそこまで考える余裕がないのが現実かもしれない。
「どうして分かってくれないの」。都内在住の高橋明美さん(同、60)は叫びたくなる思いを抱えている。夫の博さん(同、61)とともに自宅で介護してきた義理の母の相続が2011年に発生。遺言は作成しておらず、博さんは遺産分割協議で約5年間にわたる介護の寄与分を主張したが、共同相続人の妹(57)はこれを拒否。逆に「使途不明金が1千万円もある」と主張してきたのだ。兄妹の争いは家庭裁判所での調停手続きに入っている。
1千万円は介護保険の限度額を上回るサービス利用やオムツ、衣類など介護用品の購入に充てたもの。幸い明美さんがレシート類をすべて保管していたため「使途不明金」の主張は認められない公算が大きい。
しかし寄与分が認められるかどうか不安は尽きない。「遺言をせずに長男夫婦を家に縛り付けておくのは問題ではないか」(弁護士法人きぼうの寺町東子弁護士)という指摘があるほど認定基準は厳しいからだ。
■「同居の受益」相殺
家裁の審判では「要介護2以上の被相続人を少なくとも1年間、自宅で自ら介護していなければ寄与分は認められない」(こすぎ法律事務所の北村亮典弁護士)という目安がある。具体的な金額は介護保険の報酬などを基に算出されるが、遺産全体に占める割合は「最大でも2割」(同)という。被相続人の家に無償で同居していると、その「利益」も差し引かれる。
生前対策が難しく、家裁の判断も厳しいなら、遺産分割協議の相手方となる共同相続人と良好な人間関係を築いておくことが重要になる。
長男の嫁として義理の親を介護する場合、日ごろから介護状況を報告してそれとなく苦労を印象づけるだけでなく、「法事の席順で義理の弟妹を自分より上にするなどの気遣いも必要になる」と税理士法人レガシィの天野隆・代表社員税理士は助言する。遺産分割協議で相手方から寄与分を言い出してもらえる可能性もある。
一方、共同相続人の理解を得られず、相続で理不尽な思いをするかもしれない。複雑な感情を抑えて平穏な日々を取り戻すにはどうすればいいか。精神科医の備瀬哲弘氏は「その人の周りに話を聞いてサポートしてくれる人がいることが重要」と指摘する。
「外食も旅行もせずに頑張っていたよね。ずっと見ていたよ」。同居していた義理の母の相続で寄与分が全く認められなかった都内在住の戸田聡子さん(同、60)は、長男(35)のねぎらいの言葉で立ち直ることができた。
介護事業者と違って、親族による介護は経済取引ではなく、寄与分は苦労に報いる手段の一つでしかない。介護を相続トラブルの火種にしないためには、お互いの気持ちを思いやる親族関係を築いていくことが欠かせない。
(表悟志)