26日に閉幕した日教組の教研集会では、ジェンダー教育をめぐり、行きすぎともいえる授業例も複数報告された。
佐賀県の小学校教員は、小学1年生に行った性教育の実践リポートを提出。黒板に男女の裸のイラストを貼り、「性器」という言葉を踏まえながら男女の体について教える授業構成で、リポートによれば「教材がリアルだったので恥ずかしがったり笑ったりする子もいた」という。
千葉県の中学校教員は男女平等をテーマに、童話「桃太郎」をパロディー化した文化祭の劇について報告した。桃から「桃太郎」と「桃子」の男女が生まれたという設定で、教員がリードする形で生徒に台本を作らせ、桃太郎に赤のランドセルを背負わせたり、桃子だけが鬼ケ島に行って「桃太郎が行かなかったことも男らしくないとかで責めないでください」と言わせたりする内容だ。
こうした授業報告について、ジェンダー教育に詳しいジャーナリストの岡本明子さんは「性教育は児童の発達段階に応じて行う必要があり、小学1年生にリアルなイラストをみせるのはまだ早いのではないか。男女同権の劇も、日教組の『女性像』を子供たちに押し付けているような気がする」と批判している。
大津市内は騒然、日教組の教研集会開幕で街宣車100台集結
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140125/waf14012508310003-n1.htm
なぜ日教組は嫌われるのか?
そろそろ、ど真ん中の問題について考えてみましょう。日教組です。
私が教師になる前からずっと日教組は嫌われものでした。それは今も変わりません。いや、酷くなっているかもしれません。
日本の教育のガンだと言われたり、学力低下の元凶だと言われたり。日教組はいったいなぜこんなにもボロカスに言われるのでしょう。
しかも、日教組はマスメディアで攻撃を受けているのにもかかわらず、日教組自身が公式会見を開いて反論したり、意見を述べたりするのを私は見たことがありません。普通、こんな言われ方をしたら、言われっぱなしにはしないはずです。自分たちの信条や行為がけなされているのですから。でも、彼らは黙ったままです。少なくとも、世間に対しては閉じています。
これが世の中の日教組観をますます悪いものにしていると私は思います。私だったら、何かを言います。たとえ、倍以上言い返されると分かっていても、言うでしょう。
…と言うくらいですから、私は日教組には入っていません。かなり勧誘を受けましたが、断り続けました。最初は、私が何となく面倒くさそうだから断っていると思っていたみたいですが、私がちゃんと考えを持って断っていることが知られてからは、それ以後勧誘はありません。
しかし、大学を出たばっかりで不安も多く、周りに相談できる人がいない若い人ならば、
「教師のほとんどが入るから」
「何かあったときに守ってもらえないよ」
「相談できる仲間がいないと困るよ」
…などと、ベテラン教師から毎日のように説得を受ければ、特に考えもなければ、なんとなく面倒くさいと思っていたくらいでは、根負けするでしょう。
新人に対して執拗な勧誘をする彼らは、何を信じて、どんな正義を胸に抱いて、新人を勧誘し組織の維持をはかろうとしているのでしょう?
私は気になって日教組とは、どんな組織なのかをちょっと調べてみました。
日教組は、日本教職員組合と言い、教師の労働組合です。その始まりは、GHQ統治下の戦後に始まります。言うまでもなく、日本国憲法はGHQ主導のもと作られたものであり、それは旧文部省だって同じことです。アメリカは文部省を押さえることで、日本の教育を押さえたのです。日本が二度と国粋主義に走らぬように。
しかし、面白くないのは旧ソ連でした。戦勝国であるにもかかわらず、出遅れたために日本の統治にはほとんど介入することができなかったからです。
そんな旧ソ連はアメリカ主導の戦後日本教育に危機感を感じ、自国の思惑や思想を日本に啓蒙するために組織を作りました。
それが日教組の始まりです。
教師に限らず、あらゆる労働組合はソ連の掲げる共産主義の影響下で生まれたはずです。たとえそれが、地方の片隅で一人の労働者から起こったものであったとしても。
しかし、日教組は完全にトップダウン的にできたものです。旧ソ連の主導で、GHQとの折り合いの元で作られました。
一教師が、自分たちの職場環境を何とかしようとして始まったものではないのです。
だからこそ、今でも日教組では、指示や思想や義務や要請や命令、あらゆるものが上から下りてきます。逆に組合費は給料から天引きされて、上へと徴収されていきます。
お分かりのように、これは共産主義らしいシステムです。旧ソ連は見事にこれを日本の教育現場に根付かせました。
彼らは日々、組合から指示される仕事に追われています。集会への動員、講演会への動員、活動報告、選挙での電話勧誘…
それらは本当は自分たちの主義の実現のために、自主的に行われるはずのものです。しかし、彼らは一様に」「やらされている」かのように、義務であるかのように、その仕事に取り組んでいます。
そう、かつて旧ソ連での集団労働がそうであったように。
そんなに嫌なら組合を脱退すればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、抜けるのは大変です。ありとあらゆる手段を使って引き留めるそうです。幸か不幸か、私はまだその現場に遭遇したことはありません。
日教組はコミンテルンの下部組織のようなものですから、それは日本国歌にも日本国旗にも文句を付けます。体制側の決めるあらゆることに反対をするでしょう。それが、コミンテルンの注入した姿勢だからです。(コミンテルンは終戦までに解散をしていますが、その影響力は続いていたと解釈して書いています。)
しかし、先にも書いたように旧ソ連とGHQは折り合いを付けているのです。ですから、その下部組織である日教組と文部省は本当は折り合いが付いているのです。しかしポーズとしては、対立の姿勢を取ってきました。それは両者がともに日本の教育に介入し、国体をなし崩しに崩すという共通のねらいがあるものの、それぞれがやはり大きな東西冷戦の中にあったからです。
文部省vs日教組は、東西冷戦の代理戦争でした。その最大の被害者は言うまでもなく、国民です。自国の誇りを忘れさせられ、国民としての意識も薄められ、幼稚な自己意識だけを増長させられたのですから。
しかし、東西冷戦は終わりました。ということは、日教組vs文部省の代理戦争も終わったのです。その証拠にベルリンの壁の崩壊から遅れること数年、日教組と文部省は、彼らの言葉を借りれば、「歴史的和解」をしています。つまり、これからは対立を避け、歩み寄って協力をしていこうと約束し合ったわけです。表立って。
日教組は後ろ盾を失ったわけですから、文部省にすり寄るのも現実的な姿勢なのかもしれません。しかし手のひらを返すように、主義主張をひっくり返せない組合員もいました。それこそ、コミンテルンの啓蒙を大切にしていた人たちかもしれません。彼らは日教組とは袂を分かち、「全教」(全日本教職員組合)として新たなスタートを切りました。
組織で言えば、日教組のほうが多数派で、全教の方が少数派です。もちろん地域によって違いはありますが。
政治的なことを言えば、旧来日教組は社会党を支持してきたわけですが、社会党も分裂した現在では、主に日教組は民主党を、全教は共産党を支持しています。
この二十世紀末の日教組の混迷ぶりを見れば、いかに旧ソ連の影響が大きかったのか分かるはずです。
指針を失った彼らは、自分たちで何とか組織を運営しようとはしますが、本部は求心力を失って組合員は減り、文部省と和解した以上、文部省の決定は言わば自分たちの主義主張が加味されたものとなって、抗議や反対運動がしにくくなりました。
一方で、日教組を受け入れざるを得なくなった文部省は、ゆとり教育や自虐史観にみちた歴史教育を推進させるのです。
文部省が文部科学省に再編成されたのには、東西冷戦の終わりや「歴史的和解」の影響が少なくないと私はみています。
現在、日教組の主義主張は20年前と変わりません。コミンテルンの後ろ盾を失った彼らは新しい指針を打ち出せずにいます。
「教え子を戦場へ送るな」
「憲法9条を守れ」
機関紙にはまだこのような文言が踊ります。冷戦が終わり、ヨーロッパは一つになり、同時多発テロがアメリカのど真ん中で起き、中国は経済力をモノを言わせてどんどんと傲慢になり、アラブでは革命が次々と起こっている現在に、まるで響かないそんな文言を振りかざすしかないのです。
また、現在においても、年功序列で給料が上がり、住宅手当がある待遇でありながら、
「生活が苦しい」
「給料を上げろ」
「民間並みにの給料を!」
というプラカードを平気で集会で掲げたりするのです。(これは私の職場に実際にありました)
やはり彼らは冷戦時代で止まっているのです。アメリカと旧ソ連の二大バランスの元で、右肩上がりを謳歌した時代から何も変わっていないのです。その当時は上から降りてくる指針がありました。啓蒙がありました。
しかし、それがなくなってからも、彼らは自分の頭で考えることを放棄し、古典のような主義主張を現在でも繰り返しているように見えます。
彼らがいくらバッシングを受けても、表立った反論をしないのは、上から降りてくる指示がないからではないでしょうか? 今ではいくら上を仰いでも、主義主張も啓蒙も薫陶も降りては来ません。昔の教えをひたすら握りしめ、内輪の不満を抑え込み、「不遇の時代だ」と傷を舐め合うしかないのです。
こんなことを考えてみると、やはり日教組は嫌われるだろうなと思います。いつの時代も変革をしてきたからこそ、伝統がある、と誰かが言っていましたが、かつては改革だ革命だと叫んだ左翼の闘志たちは、今は当時のまま凝り固まり、変革ができずにいます。
働くものが自らの職場に意見をし、環境改善をするのは悪いことではありません。でも、それをするのに左翼思想に染まる必要はないし、民主党の選挙応援をする必要はありません。
私の知る教師一人ひとりは、それぞれにすばらしい人たちばかりです。教師として日々、学ぶところがたくさんあります。
でもそんな彼らが、社会人として自らの組合である日教組についてオープンに話すことをせず、沈黙したまま、長いものに巻かれるように巻かれ、半強制的に組合行事に駆り出されて行くのを見ると悲しくなります。
日教組を憎んで、教師を憎まず。
みなさま、どうかそのスタンスで。
http://oshieruhito.blogspot.jp/2012/02/blog-post_27.html
佐賀県の小学校教員は、小学1年生に行った性教育の実践リポートを提出。黒板に男女の裸のイラストを貼り、「性器」という言葉を踏まえながら男女の体について教える授業構成で、リポートによれば「教材がリアルだったので恥ずかしがったり笑ったりする子もいた」という。
千葉県の中学校教員は男女平等をテーマに、童話「桃太郎」をパロディー化した文化祭の劇について報告した。桃から「桃太郎」と「桃子」の男女が生まれたという設定で、教員がリードする形で生徒に台本を作らせ、桃太郎に赤のランドセルを背負わせたり、桃子だけが鬼ケ島に行って「桃太郎が行かなかったことも男らしくないとかで責めないでください」と言わせたりする内容だ。
こうした授業報告について、ジェンダー教育に詳しいジャーナリストの岡本明子さんは「性教育は児童の発達段階に応じて行う必要があり、小学1年生にリアルなイラストをみせるのはまだ早いのではないか。男女同権の劇も、日教組の『女性像』を子供たちに押し付けているような気がする」と批判している。
大津市内は騒然、日教組の教研集会開幕で街宣車100台集結
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140125/waf14012508310003-n1.htm
なぜ日教組は嫌われるのか?
そろそろ、ど真ん中の問題について考えてみましょう。日教組です。
私が教師になる前からずっと日教組は嫌われものでした。それは今も変わりません。いや、酷くなっているかもしれません。
日本の教育のガンだと言われたり、学力低下の元凶だと言われたり。日教組はいったいなぜこんなにもボロカスに言われるのでしょう。
しかも、日教組はマスメディアで攻撃を受けているのにもかかわらず、日教組自身が公式会見を開いて反論したり、意見を述べたりするのを私は見たことがありません。普通、こんな言われ方をしたら、言われっぱなしにはしないはずです。自分たちの信条や行為がけなされているのですから。でも、彼らは黙ったままです。少なくとも、世間に対しては閉じています。
これが世の中の日教組観をますます悪いものにしていると私は思います。私だったら、何かを言います。たとえ、倍以上言い返されると分かっていても、言うでしょう。
…と言うくらいですから、私は日教組には入っていません。かなり勧誘を受けましたが、断り続けました。最初は、私が何となく面倒くさそうだから断っていると思っていたみたいですが、私がちゃんと考えを持って断っていることが知られてからは、それ以後勧誘はありません。
しかし、大学を出たばっかりで不安も多く、周りに相談できる人がいない若い人ならば、
「教師のほとんどが入るから」
「何かあったときに守ってもらえないよ」
「相談できる仲間がいないと困るよ」
…などと、ベテラン教師から毎日のように説得を受ければ、特に考えもなければ、なんとなく面倒くさいと思っていたくらいでは、根負けするでしょう。
新人に対して執拗な勧誘をする彼らは、何を信じて、どんな正義を胸に抱いて、新人を勧誘し組織の維持をはかろうとしているのでしょう?
私は気になって日教組とは、どんな組織なのかをちょっと調べてみました。
日教組は、日本教職員組合と言い、教師の労働組合です。その始まりは、GHQ統治下の戦後に始まります。言うまでもなく、日本国憲法はGHQ主導のもと作られたものであり、それは旧文部省だって同じことです。アメリカは文部省を押さえることで、日本の教育を押さえたのです。日本が二度と国粋主義に走らぬように。
しかし、面白くないのは旧ソ連でした。戦勝国であるにもかかわらず、出遅れたために日本の統治にはほとんど介入することができなかったからです。
そんな旧ソ連はアメリカ主導の戦後日本教育に危機感を感じ、自国の思惑や思想を日本に啓蒙するために組織を作りました。
それが日教組の始まりです。
教師に限らず、あらゆる労働組合はソ連の掲げる共産主義の影響下で生まれたはずです。たとえそれが、地方の片隅で一人の労働者から起こったものであったとしても。
しかし、日教組は完全にトップダウン的にできたものです。旧ソ連の主導で、GHQとの折り合いの元で作られました。
一教師が、自分たちの職場環境を何とかしようとして始まったものではないのです。
だからこそ、今でも日教組では、指示や思想や義務や要請や命令、あらゆるものが上から下りてきます。逆に組合費は給料から天引きされて、上へと徴収されていきます。
お分かりのように、これは共産主義らしいシステムです。旧ソ連は見事にこれを日本の教育現場に根付かせました。
彼らは日々、組合から指示される仕事に追われています。集会への動員、講演会への動員、活動報告、選挙での電話勧誘…
それらは本当は自分たちの主義の実現のために、自主的に行われるはずのものです。しかし、彼らは一様に」「やらされている」かのように、義務であるかのように、その仕事に取り組んでいます。
そう、かつて旧ソ連での集団労働がそうであったように。
そんなに嫌なら組合を脱退すればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、抜けるのは大変です。ありとあらゆる手段を使って引き留めるそうです。幸か不幸か、私はまだその現場に遭遇したことはありません。
日教組はコミンテルンの下部組織のようなものですから、それは日本国歌にも日本国旗にも文句を付けます。体制側の決めるあらゆることに反対をするでしょう。それが、コミンテルンの注入した姿勢だからです。(コミンテルンは終戦までに解散をしていますが、その影響力は続いていたと解釈して書いています。)
しかし、先にも書いたように旧ソ連とGHQは折り合いを付けているのです。ですから、その下部組織である日教組と文部省は本当は折り合いが付いているのです。しかしポーズとしては、対立の姿勢を取ってきました。それは両者がともに日本の教育に介入し、国体をなし崩しに崩すという共通のねらいがあるものの、それぞれがやはり大きな東西冷戦の中にあったからです。
文部省vs日教組は、東西冷戦の代理戦争でした。その最大の被害者は言うまでもなく、国民です。自国の誇りを忘れさせられ、国民としての意識も薄められ、幼稚な自己意識だけを増長させられたのですから。
しかし、東西冷戦は終わりました。ということは、日教組vs文部省の代理戦争も終わったのです。その証拠にベルリンの壁の崩壊から遅れること数年、日教組と文部省は、彼らの言葉を借りれば、「歴史的和解」をしています。つまり、これからは対立を避け、歩み寄って協力をしていこうと約束し合ったわけです。表立って。
日教組は後ろ盾を失ったわけですから、文部省にすり寄るのも現実的な姿勢なのかもしれません。しかし手のひらを返すように、主義主張をひっくり返せない組合員もいました。それこそ、コミンテルンの啓蒙を大切にしていた人たちかもしれません。彼らは日教組とは袂を分かち、「全教」(全日本教職員組合)として新たなスタートを切りました。
組織で言えば、日教組のほうが多数派で、全教の方が少数派です。もちろん地域によって違いはありますが。
政治的なことを言えば、旧来日教組は社会党を支持してきたわけですが、社会党も分裂した現在では、主に日教組は民主党を、全教は共産党を支持しています。
この二十世紀末の日教組の混迷ぶりを見れば、いかに旧ソ連の影響が大きかったのか分かるはずです。
指針を失った彼らは、自分たちで何とか組織を運営しようとはしますが、本部は求心力を失って組合員は減り、文部省と和解した以上、文部省の決定は言わば自分たちの主義主張が加味されたものとなって、抗議や反対運動がしにくくなりました。
一方で、日教組を受け入れざるを得なくなった文部省は、ゆとり教育や自虐史観にみちた歴史教育を推進させるのです。
文部省が文部科学省に再編成されたのには、東西冷戦の終わりや「歴史的和解」の影響が少なくないと私はみています。
現在、日教組の主義主張は20年前と変わりません。コミンテルンの後ろ盾を失った彼らは新しい指針を打ち出せずにいます。
「教え子を戦場へ送るな」
「憲法9条を守れ」
機関紙にはまだこのような文言が踊ります。冷戦が終わり、ヨーロッパは一つになり、同時多発テロがアメリカのど真ん中で起き、中国は経済力をモノを言わせてどんどんと傲慢になり、アラブでは革命が次々と起こっている現在に、まるで響かないそんな文言を振りかざすしかないのです。
また、現在においても、年功序列で給料が上がり、住宅手当がある待遇でありながら、
「生活が苦しい」
「給料を上げろ」
「民間並みにの給料を!」
というプラカードを平気で集会で掲げたりするのです。(これは私の職場に実際にありました)
やはり彼らは冷戦時代で止まっているのです。アメリカと旧ソ連の二大バランスの元で、右肩上がりを謳歌した時代から何も変わっていないのです。その当時は上から降りてくる指針がありました。啓蒙がありました。
しかし、それがなくなってからも、彼らは自分の頭で考えることを放棄し、古典のような主義主張を現在でも繰り返しているように見えます。
彼らがいくらバッシングを受けても、表立った反論をしないのは、上から降りてくる指示がないからではないでしょうか? 今ではいくら上を仰いでも、主義主張も啓蒙も薫陶も降りては来ません。昔の教えをひたすら握りしめ、内輪の不満を抑え込み、「不遇の時代だ」と傷を舐め合うしかないのです。
こんなことを考えてみると、やはり日教組は嫌われるだろうなと思います。いつの時代も変革をしてきたからこそ、伝統がある、と誰かが言っていましたが、かつては改革だ革命だと叫んだ左翼の闘志たちは、今は当時のまま凝り固まり、変革ができずにいます。
働くものが自らの職場に意見をし、環境改善をするのは悪いことではありません。でも、それをするのに左翼思想に染まる必要はないし、民主党の選挙応援をする必要はありません。
私の知る教師一人ひとりは、それぞれにすばらしい人たちばかりです。教師として日々、学ぶところがたくさんあります。
でもそんな彼らが、社会人として自らの組合である日教組についてオープンに話すことをせず、沈黙したまま、長いものに巻かれるように巻かれ、半強制的に組合行事に駆り出されて行くのを見ると悲しくなります。
日教組を憎んで、教師を憎まず。
みなさま、どうかそのスタンスで。
http://oshieruhito.blogspot.jp/2012/02/blog-post_27.html