海保・宮本著「安全・安心の心理学」新曜社刊より
●魔の一瞬に会わないために
前述した魔の一瞬の2つの特徴は、魔の一瞬に自分が遭遇することは極めてまれと誰しもに思わせることになる。したがって、魔の一瞬への備えをあまりしないことになる。しかし、これまた誰しもが極めてまれであることを知っていながら宝籤の一等を当てたいとも思っている。(実際は、宝籤で1等に当たるよりも、宝籤を買いに行く時に交通事故に遭う確率のほうがはるかに高いのだが。)そして、一等を当てるために涙ぐましい努力をする人もいる。
それと同じように、魔の一瞬には会わないための努力をしてほしいのだが、一人一人でできることは残念ながらあまりない。あえて、と言われれば、次の3つくらいになるであろうか。
一つは、その時その場に居ないようにすることである。
これはかなり難しい。誰にも生活ある。その電車に乗って職場に行かなければならない。子供は、その道を通って学校から家に帰らなければならない。戦争など危機的な状況なら別だが、防護壁をめぐらして家の中に閉じこもっているわけにはいかないのである。
それでも、ハザード(危険)マップ作りなどを参考にすれば、その時その場の回避や危険感受力を高めることくらいはできる。
2つは、魔の一瞬に会わないためには、時折、魔の一瞬に遭遇するかもしれないと、想像をたくましくしてみることである。あるいは、マスコミ報道があるたびに、自分がその時その場にいたらどうなる、どうすると考えてみるように習慣づけるのである。それだけでも、安全意識は高まるし、危険対処のレパートリーが増える。
3つは、一人一人の努力には限界があるが、国や地域全体、あるいは今日、明日ではなく長期的、といったマクロな視点で原因の除去、因果連鎖の確率を低下させる対策をすることである。確率はマクロになるほど扱いやすいし、効果的な対策が打てるのである。安全、安心への不安が高まっている昨今、これについては、本当は好ましくはないのだが、状況は良い。
●魔の一瞬に会わないために
前述した魔の一瞬の2つの特徴は、魔の一瞬に自分が遭遇することは極めてまれと誰しもに思わせることになる。したがって、魔の一瞬への備えをあまりしないことになる。しかし、これまた誰しもが極めてまれであることを知っていながら宝籤の一等を当てたいとも思っている。(実際は、宝籤で1等に当たるよりも、宝籤を買いに行く時に交通事故に遭う確率のほうがはるかに高いのだが。)そして、一等を当てるために涙ぐましい努力をする人もいる。
それと同じように、魔の一瞬には会わないための努力をしてほしいのだが、一人一人でできることは残念ながらあまりない。あえて、と言われれば、次の3つくらいになるであろうか。
一つは、その時その場に居ないようにすることである。
これはかなり難しい。誰にも生活ある。その電車に乗って職場に行かなければならない。子供は、その道を通って学校から家に帰らなければならない。戦争など危機的な状況なら別だが、防護壁をめぐらして家の中に閉じこもっているわけにはいかないのである。
それでも、ハザード(危険)マップ作りなどを参考にすれば、その時その場の回避や危険感受力を高めることくらいはできる。
2つは、魔の一瞬に会わないためには、時折、魔の一瞬に遭遇するかもしれないと、想像をたくましくしてみることである。あるいは、マスコミ報道があるたびに、自分がその時その場にいたらどうなる、どうすると考えてみるように習慣づけるのである。それだけでも、安全意識は高まるし、危険対処のレパートリーが増える。
3つは、一人一人の努力には限界があるが、国や地域全体、あるいは今日、明日ではなく長期的、といったマクロな視点で原因の除去、因果連鎖の確率を低下させる対策をすることである。確率はマクロになるほど扱いやすいし、効果的な対策が打てるのである。安全、安心への不安が高まっている昨今、これについては、本当は好ましくはないのだが、状況は良い。