心の風景 認知的体験

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ミスをしてしまったら

2007-09-02 | わかりやすい表現
●「しまった」しかし、
ミスや違反をしたことに気がつく、あるいは気がつかされると、まずは、ミスや違反をしてしまった自分を責める。そして、それは、外に向かっての申し訳なさ、つまりは謝罪の気持ちを生む。これが自然な心の流れであろう。
だとするなら、ただちに、「すみません」が口をついて出てくるはずであるが、必ずしもそうはならない。気持ちを行動(発話)として発現するには越えなければならない障壁がある。
障壁の一つは、少し冷静になってみると、本当に自分だけに責任があるのかが疑問になってくる。相手にも、あるいは状況にも責任の一端はないか気になってくる。これが、素直な謝罪を押しとどめることになる。
障壁の2つは、謝罪文化の変化である。かつての日本人は実によく謝っていたように思う。その片鱗は、今でも、企業不祥事で社長以下3役そろい踏みの謝罪会見に見ることができる。あるいは、犯罪被害者の「謝罪の言葉でもあれば」の言説にもみることができる。しかし、ここにもアメリカ文化の影響があるようで、損害補償を考えると、謝罪が補償交渉に不利になることをおそれる気持ちにさせて、素直な謝罪のセリフを抑制してしまう。


安全、安心の心理学より

介護被保険証がきた!!

2007-09-02 | 心の体験的日記
とうとうきた。
まだ使う気配はまったくないが、こうやって
周辺から高齢者であることを
意識させる仕掛けがどんどん押しよせてくる。

それにしても保険料の高いこと。
年間10万円くらいになる。
文句は言うまい。
一生使わなければ、すばらしい社会貢献になる。
そのためには、元気でいること。

実証って

2007-09-02 | 認知心理学
 
実証とは  どういうことかを考えてみたいと思います。
定義的に言うなら、心理学における実証的な方法とは、
「一定のリテラシ(約束事)に基づいて収集されたデータによって心を語る方法」
です。
心理学研究法の多彩さは、このリテラシーの多彩さと語りの多彩さとに由来しています。
 たとえば、精神分析では、データは患者の症例であり、心の語り方はもっぱら後づけ推論になります。たとえば、ヒステリー患者の示す現在の症状は、過去に患者が受けたと思われる精神的外傷、トラウマにその原因を求めることになります。
一方、行動主義では、データは、もっぱら実験室で得られたデータであり、語り方は操作可能な因果的推論になります。たとえば、鳩を使って、絶食時間が条件づけ成立までの時間とどんな関係になるかを述べることになります。絶食時間が原因で、条件づけの成立が結果になります。  精神分析も、行動主義も同じ因果的法則を求めようとしてはいるのですが、後ろをむく精神分析か、前をむく行動主義かですから、両者の方法論的な違いは大変大きいものがあります。それにもかかわらず、両者が同じ心理学という学問領域内に共存しているのです。多彩になるはずですね。

指が痛い

2007-09-02 | 心の体験的日記

相変わらず第一関節が痛い。
キーボード入力が苦痛である。
もう著述引退さえ頭をよぎるほどである。
しょちゅう自己マッサージをしているが、改善の兆しはない。
キーボードの浅さが指に衝撃を与えるのであろうが、
ボードを変えてみても、改善されない。

被害者と加害者の対話による回復を求めて

2007-09-02 | 教育

 「被害者と加害者との対話による回復を求めて」(藤岡淳子著、誠信書房)という本の存在を知った。かなりきつい実践だとは思うが、加害者の更正、矯正の方策としても、また被害者の癒しの方策としても、注目しておきたい。
「安全・安心の心理学」より