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一日雨

2007-09-30 | 心の体験的日記

こんなときは家にいると気がめいる
東京高島屋まで車でドライブ
40分でついてしまう
やや高価な食事。
おいしかったが、その後が悪かった?
*万もするワンピースを買わされてしまった!!
でも時には、こうした浪費?も家内安泰のためには必須

謝罪

2007-09-30 | 安全、安心、

謝罪
(安全、安心の心理学より)

**4行あく

            ———何より謝ることが先決

●謝る
 父親が大切にしていた桜の木を折っしまい素直に謝ったワシントン大統領の話はよく知られている。にもかかわらず、今のアメリカ社会のおいて支配的な「謝らない文化」は一体いつ頃から作り出されたのか不思議に思う。注1***
いずにしても、自分のおかしたミスによって他人や社会に損害や迷惑をかけてしまったら、まずは、謝ることが世の中の道理であることは言うまでもない。ところが、世の中の道理が通るのは、あるいは、通すのはそれほど簡単ではない。

●「しまった」しかし、
ミスや違反をしたことに気がつく、あるいは気がつかされると、まずは、ミスや違反をしてしまった自分を責める。そして、それは、外に向かっての申し訳なさ、つまりは謝罪の気持ちを生む。これが自然な心の流れであろう。
だとするなら、ただちに、「すみません」が口をついて出てくるはずであるが、必ずしもそうはならない。気持ちを行動(発話)として発現するには越えなければならない障壁がある。
障壁の一つは、少し冷静になってみると、本当に自分だけに責任があるのかが疑問になってくる。相手にも、あるいは状況にも責任の一端はないか気になってくる。これが、素直な謝罪を押しとどめることになる。
障壁の2つは、謝罪文化の変化である。かつての日本人は実によく謝っていたように思う。その片鱗は、今でも、企業不祥事で社長以下3役そろい踏みの謝罪会見に見ることができる。あるいは、犯罪被害者の「謝罪の言葉でもあれば」の言説にもみることができる。しかし、ここにもアメリカ文化の影響があるようで、損害補償を考えると、謝罪が補償交渉に不利になることをおそれる気持ちにさせて、素直な謝罪のセリフを抑制してしまう。