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●攻撃性(aggression)
攻撃性は、誰の心にも潜んでいる人間の本性の一つである。しかしながら、攻撃性を行動として発現することは、多くの場合、厳しく抑制されてきた。なぜなら、攻撃性に源を発する行為は、他人への身体的あるいは心理的暴力、果ては社会的紛争や戦争さえ引き起こしてしまうからである。
しかし、攻撃性が人間の本性の一つだとすると、それは、常に抑制すべき心の機能と考えるのは適切ではない。進化論的にみれば、攻撃性は自分の身を守るための最後の砦として機能してきたはずである。したがって、過度の抑制は、身の破滅をきたすこともありえるし、また、攻撃性の暴発を招くこともある。
大事なことは、攻撃性の存在と意義を認めた上での、状況に応じた攻撃性のコントロールである。抑制もその一つであるが、たとえば、対抗スポーツ競技での発散、さらには、言葉による知性化などもある。
とりわけ、幼児期の対人関係の中での攻撃性の適切なコントロールスキルを体得させることは大事になる。
● 向社会的行動(prosocial behavior)
人のため、社会のために無私の心で行う行為。寄付やボランティア活動を支える心性のひとつである。
向社会的行動は、その結果として報酬を求めないこと、自発的に行われることが条件となる。行動の結果として得られる他人との親和欲求の満足や、自尊感情や自信の高まりといった内的な報酬が、向社会的行動を支えている。
愛他心に発するものであるが、たとえば周囲に助ける人がたくさんいるような(責任分散)状況のときは、自分がしなくともという抑制が働く。このように、状況によっても向社会的行動の発現は影響を受ける。
● 行動経済学(behavioral economics)
経済活動もまぎれもなく人間が深く関与する社会的な活動である。したがって、そこに人々の心が反映されるのも当然である。しかし、これまでの標準的な経済学では、人々の心は、計算合理的で自己の利益の最大化をはかる存在として仮定されて、モデルに組み込まれていた(実際は排除されていたとうほうがふさわしい扱いであった)。しかし、認知科学、認知心理学の影響もあり、人の心の「非合理的」な面の研究が進み、経済活動もそうした人の心の特性を組み込んだモデル化をしないと現実的なものになりえないことの認識が支配的になり、1978年にノーベル賞を受けたH.サイモン、およびノーベル賞の受賞は2002年と遅れたもののD.カーネマンとA.トヴエルスキーの「プロスペクト理論」(――>)の影響もあり、1980年頃から研究が活発になった。
なお、領域や立場は微妙に異なるが、行動ファイナンス(finance),経済心理学(economic psychology)という言葉も使われる。
◆行動主義(behaviorism)
生後10カ月の乳児が泣きわめいているとする。このとき、たとえば、「この泣き方は、空腹のときの泣き方だ。もう3時間もたっているから」と考え、ミルクを飲ませるとする。このように、ある行動を引き起こしている原因を、環境のなかにあって、しかも制御できる刺激状況(ミルクを与えなかった時間)に求めるべしとするのが、行動主義である。1913年に、J・ワトソンによって主張され、20世紀前半の心理学の主流となった。S(stimulus 刺激)‐R(response 反応)心理学とも呼ばれる。ベルの音を聞かせて餌を与えることを繰り返すとやがてベルの音だけで唾液が出るようになるI・パブロフの古典的条件づけと、何かをしたら強化(賞罰)を与えてその行動がもっと自発するようにするB・F・スキナーのオペラント(自発的)条件づけが、行動主義心理学の基盤となっている。意識、意図、欲求、認知といった心的活動を、科学的な研究対象ではないとして、徹底して排除した。
● 幸福感(subjective well-being)
広瀬弘忠によると、大災害に遭遇して幸運にも生き延びた人々の中にさえ、打ちのめされた心の回復初期の一瞬に、安堵感と自分だけが助かったことを感謝する至福感(災害後ユートピア感)に満たされることがあるらしい。あるいは、交通事故による脊椎損傷で車椅子生活を余儀なくされた人でも、経過年数が長くなるにつれて幸福感が増すということを示すデータもある。幸福感は、このように、その人が置かれている厳しい現実によってよりは、心の特性や持ち方によって規定されているところがある。そこを強調して「主観的」幸福感と呼ぶこともある。自尊心が満たされている、外向的である、信仰心が厚いといったような人々は高い幸福感を感じており、また、社会的な活動をしているほど幸福感も高い。
● 高齢者心理
知的面では、問題解決能力(流動性知能)は低下するものの、知識活用力(結晶性知能)はそれほど低下しない。ただ、知的抑制力が低下するので、脈絡のない想起や発言が起こりがちである。
性格的には個人差が大きくて一概にその特徴を述べるのは難しいが、大雑把には3つの心理特性のいずれかを示す傾向がある。ひとつは、それまでの性格がますます顕著になる先鋭化である。2つは、これまでの職業生活の中で抑制されてものが表面に出てくる反動化である。3つ目が、いわゆる人格的な角がどれる円熟化である。
●心と脳
精神活動の源が脳活動にあることは、ガレノス(131〜201)によって早くから指摘されてはいたが、科学的な探求は1796年のJ・ガルの骨相学に始まる。以来200年にも及ぶ思索と研究にもかかわらず、脳と心の関係は謎だらけである。しかし、近年、脳内活動の非侵襲計測技術の急速な進歩によって、精神活動の脳生理学的な基盤が急速に明らかにされてきている。
それでも、心には心独特の法則に支配される世界があるとする考えは、唯心論者の主張ほどには極端ではないが、心の研究者のみならず広く一般に抱かれている。心理学の研究者は、脳科学の知見に十分に配慮しながらも、心の不思議を独自の科学的な方法論に従って研究し、その存在価値を高めている。
脳還元主義の対極には、なんでも心の問題に還元してしまう心理主義もあるが、これは、1歩間違えると、えせ宗教まがいの神秘主義に陥る危険性をはらんでいるし、さらに、すべてを個人の心の問題としてかたをつけて終わりとする思考停止的傾向をかもしだすこともある。その防波堤となり、人を心への健全な関心へと導くのが心理学の役割である。
●心の教育
大学進学率がほぼ五○%、高校進学率はほぼ一○○%にまで達するほどの高学歴社会になりながら、それに比例するかのように、心の貧しさを露呈するような社会的事件が多発している。知に偏った教育が情の教育をないがしろにしてきたためとの認識からであろうが、「心の教育」が喧伝されている。しかし、安易にすぎるように思われてならない。
「心の教育」をいうなら、もっと、心のあり様への温かいまなざしと慈しみが基本になければならない。その上で、心のあるべき様を考えるようにしないと、また古典的な道徳主義、精神主義の復活という時代錯誤的な試みになりかねない。
ほぼ一世紀の歴史を刻んできた心理学の知見は、現実に対処し、それをただちに動かせるほどの強力なパワーはない。だが少なくとも、心とは何かを考えるための枠組みと基本的な知識(概念)は提供している。「心の教育」は、教育する側も教えられる側も、まず心理学を通して、人の心をよく知ることからはじめなければならない。相変わらずの心理学ブームをそのような動きの反映ととらえておきたい。
●心の探究
自分の心の中を知りたい、そして、できれば、人の心の中も知りたいという気持ちは、誰にもある。そして、願わくば、自分の心も他人の心も自在にコントロールしたいと思う。そんな気持ちと思いが、人々を「心理学」へ駆り立てているのであろう。相変わらずの「心理学」ブームが続いている。
人は誰しもが自分の心の動きを説明できる自分なりの「心理学」を持っている。これを素朴心理学と呼ぶ。3、4歳からその萌芽は見られる。もとより、素朴心理学は、学問としての心理学と同じものではない。個人個人の長年の体験を通じて作り上げられた思い込みや独善に満ち満ちているのが普通である。しかし、それだけに、素朴心理学は、人が日常生活を営む上で強力な力を発揮する。
学問としての心理学は、その素朴心理学の思い込みや独善を取り払い、より普遍的なものへ、芳醇なものへと導く手助けをする。また、学問としての心理学は、その素朴心理学の内容を探ることによって、さらなる心の理論体系の構築をめざす。かくして、二つの「心理学」が交わるかのごとく、離れるかのごとく、世の中に存在し続けることになる。
●心の発生と進化」
「人類がいつ誕生したのか」と同じくらい興味を引かれるのが,「心はいつ誕生したのか」である.
生きるために,時々刻々と変化する自然や動物と格闘していたときには,すぐその場で役に立つ本能の働きを研ぎ澄ますことが大事であったはずである.
やがて,本能の働きにだけ依存していては生きてはいけない状況が生まれてきた.たとえば,個体の数が増えるにつれて,食物を貯蔵し,個体間の利害を調整するといった状況は,本能の働きだけではうまくいかない。心の働きが必要となる。そして、そんなときの心の働きを円滑かつ強力にするために、言葉が生まれたのではないだろうか。そうした変化が、5万年前くらいに出現した、クロマニヨン人に起こったらしいとの推測をしている人類学者がいる。
いずれにしても、言語を操る心をもった人類は、数万年にわたって、心をどのように進化させてきたのであろうか。心の進化の過程で、どのような自然淘汰があったのであろうか。
現代人の心を、こうしたはるかなる進化の結果とみなすとどうなるかを考えてみようとする野心的とも言える試みが、今、新たな心理学の一分野を形成しつつある。進化心理学がそれである。
●心の病気
いじめによる自殺はいっこうに減る気配がない。それを解決するための一つの有力な方策として,多数の学校にカウンセラーが試験的に導入されるようになってきた。心を癒す専門家として,果して学校でどんな効果をあげるのか,長い目でみていきたいものである。
からだの病気には誰しもが気をつける。しかし,心の病気となると,一般には,かなり無頓着なところや偏見に満ちたところがある。心もからだと同じで,酷使すれば病気になる。カウンセリングや心理療法,ときには医学的な治療を受ける必要がある。
とは言っても,心とからだは,異なったメカニズムで動いている。心の働きの特質をよく知った上で,何が異常で何が普通なのかをよく見きわめる必要がある。ここでの解説は,こうしたことを支援することを企図して書かれている。心理学への社会的な期待を受けてアメーバのごとく増殖する心理学の新しい領域を素描したのち,人の心の領域を,大きく,認知機能(知的な頭の働き)と情意機能(情緒や性格)とに分けて,心の理解の鍵となる用語を取り上げてみる。
◆コンプレックス/感情複合体(complex)
あまりに一般化されてしまった用語であるが、精神分析の鍵用語である。分析心理学者C・G・ユングにより、無意識のなかに閉じ込められた(抑圧された)欲求不満のエネルギーを意味する用語として使われたのが最初である。コンプレックスが強くなりすぎて自我を崩壊させると神経症、それが自我によるコントロール可能な程度のとき、感情の彩りに富んだ生活が営める。
親に対するエディプス・コンプレックス、兄弟間の葛藤にかかわるカイン・コンプレックス、自己の能力の劣等に対するインフェリオリィティ・コンプレックス、性的な不安に関する去勢コンプレックス、日本的な母子関係にかかわる阿闍世(あじゃせ)コンプレックスなどなど、コンプレックスにまつわる用語は多彩である。