心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

髭剃りの傷

2008-04-14 | 心の体験的日記
朝急ぎのとき、髭剃りでつい顔を傷つけてしまうと
その血が本当にしつこい

2枚刃に変えてからは、ほとんど、傷つけることは
なくなったが、それでも時にはやってしまう

とまったと思っていると、ワイシャツに血がついてしまうこともある

つまらない話でした

すみません
写真を楽しんでください

桜氏提供

ようやく春を実感

2008-04-14 | 心の体験的日記
昨日、マスクないで散歩
花粉症の症状はでなかった
朝5時、もう明るい
夕方、6時帰宅。家につくまで明るかった
などなど
春を実感
木曜日はテニスも予定されている
気持ちがいい季節になった

誰が手入れしてくれているのか
見事なチューりっぷ
ありがたいこと

習慣とは

2008-04-14 | 心の体験的日記
● 習慣とは
 話を先にすすめる前に、一体、習慣とは何なのかを新ためて考えてみる。
 まず、習慣の行動的なレベルでの特徴を挙げてみると、、次の2つになる。
 一つは、その時その場でいつも同じ行為をする。歯を磨く習慣なら、朝、洗面所に行って歯ブラシを手にとって、それを上下動させ、最後に口をゆすいで終わる。
 2つは、その行為は最初のきっかけ(トリガー刺激)によって自動的に要素行為が進行していく。多くは、時間がトリガー刺激になるが、場や声掛けなどによっても自動的に進行する。
 行動は認知によってガイドされている。習慣的な行動も同じである。その認知レベルでの特徴は、3つある。
 一つは、認知的な努力はほとんど払われることはないことである。あたかも、状況の刺激にガイドされて動く自動機械のようなものである。
2つは、したがって、行為全体は意識的であっても、要素行為は無意識的なことである。いつもと同じ状況であれば、何も考えずにいつもの振舞をする。
3つは、行為も自動的に進行するが、それをガイドする認知過程も運動スキーマに従って自動的に進行することである。

習慣は長い年月をかけて漸進的に形成される学習である。学習の完成――それは、上述のような特徴が備わった時――までの間は、かなり意識的な努力を必要とするし、技能が伴う時には、その訓練も必要となる。


認知科学/認知心理学

2008-04-14 | 心理学辞典
認知科学/認知心理学(cognitive science/cognitive psychology)〔1991年版 心理学〕

1879年にW・ブントによって科学としての心理学の基礎が築かれて以来、心理学は、「科学」であろうとするために、あまりに多くの制約を受け入れてしまい、扱える対象が限定されてしまった。心理学の外から見ると驚くべきことであるが、心理学が心の働きの科学であると広言できるようになったのは、なんと20世紀も後半になってからである。認知科学、認知心理学が台頭し、研究の関心が、外から観察できる行動から頭の内部で起こっている認知(心)にシフトしてきたのである。

認知科学は、人間のみならず動物や機械も含めて、知の働きを、コンピュータのなかで表現できるようにモデル化すること(計算主義)をねらいとしている。知識をいかに論理的に表現するか、その知識をいかに運用するかが、主要な関心となる。認知科学の発展に呼応する形で、人間の知の働きに焦点を当て、新たな展開を見せたのが認知心理学である。

その成果の一端を、摘記してみる。

・人間の知の働きの多くは、「非論理的」過ぎて、現在のノイマン型コンピュータ上で実現するのが極めて難しい。

・しかし、人間のその「非論理性」は、状況に対して極めて適応的である。

・アルゴリズム(答えに至る筋道)が明確な知の働きは、かなりのところまで、コンピュータ上で模擬できる。

● 認知行動療法(cognitive-behavioral therapy)
行動療法は、20世紀前半の行動主義に立脚した心理学、とりわけ条件づけの心理学の知見を援用して編み出された行動変容の技術を援用する心理療法である。
これに対して、認知療法は、20世紀後半の認知主義に立脚した心理学の知見を援用して編み出された認知、思考変容の技術からなる心理療法である。
この相反する心理学に立脚した2つの心理療法が、1990年頃になって認知行動療法として新たな展開を遂げてきた。
その基本的な考え方は、たとえば、うつ病などでは、自分自身に対するネガティブな評価を自ら作り出してそれに固執する(否定的自動思考)ことで、行動も不如意になってしまう。そこで、一つはそうした思考からの解放、もう一つは不如意となっている行動の改善、の両面から治療をしようとするものである。


入学金、未納、入学式だめ

2008-04-14 | 心の体験的日記

なんとも釈然としない
入学金を納めないなら、入学できないのが当たり前
別室どころか校門に入れなくとも当然
9万円の入学金が大金であることも、自分の昔の貧乏からわからないではない
保護者、そして、本人にとってもつらいことであることは痛いほどわかる
それでも、よってたかって、マスコミがあたかも
とんでもない悪を学校がしたかのように、報道するのは、おかしい
せめて、黙っていてやるくらいの節操があってもよい
組合もとってつけたかのように、知事に要望書を出すなんてねー