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ミスとともに」認知と学習の心理学

2013-08-06 | ヒューマンエラー

2章 ミスとともに  11p

2.1 ミスだらけの毎日
● ドジ日誌
●ドジ日誌を書いてよかったこと

2.2 魔の一瞬
●ヒヤリハット
●魔の一瞬を作り出すもの

2.3 ミスしながらいきいき生きる
●ミスは成功のもと
●ミスが成功をもたらす
●考えどころその1「失敗についての知識を豊富に」
●考えどころその2「強すぎる正解志向は要注意」
●考えどころその3「失敗と共存する」
●考えどころその4「失敗体験を通して失敗に強くなる」
●考えどころその5「失敗を”まあ、いいかにする”心の訓練をする
●失敗に強い人、弱い人
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2章 ミスとともに  11p

2.1 ミスだらけの毎日

●ドジ日誌
自分のホームページに認知的体験と称して、ドジ日誌を公開してしている。やや気恥ずかしいところもあるが、紹介してみる。ひとつきでこれだけあるのは、自分がかなりのドジ人間であることの証でもある。小学生頃から、母親からもそう言われていたし、学校のテストでもどうしても、ちょっとしたミスのため100点が取れなかった経験を思い出す。

コラム「ドジ日記」*********************○認知的体験04/12・2海保
「交通ヒヤリハット;あやうく信号無視」
左側の歩道を自転車が走っている。左折しなければならない。自転車より先に左折するか、あとから左折するか考えていたため、目の前の信号が赤になったのに気がつかなかった。スピードがでていなかったので、事なきをえた。
「目の前に注意を集中するのが鉄則」
「左折右折はゆっくり。原則、いったん停止」
○認知的体験04/12・13海保
「ドジ体験;あわててもはじまらない」
朝6時、タクシーを頼もうとしたら、どのタクシー会社も電話にでない。これがあわてはじめる元凶。羽田発9時20分につくには、朝一番のバスだと、ぎりぎり。空港直行バスだと30分前につけるが、渋滞が心配。しかたなく、荒川沖から常磐線にのった。なんと佐貫で特急が止まるとのこと。あわてて窓口で指定を買おうとしたら、もう時間切れで予約不能とのこと。指定なしでそのままのって車内で、と一瞬思ったがーー多分それが正解だったはずだが、どういうわけか躊躇してしまった。駅員が全席指定といったのがひびいたかもーー、しかたなく、また元の電車に戻る。もうすっかりダメとあきらめて、モノレールに乗った。なんと、ここでも不利な状況が発生。新しいターミナルが完成し、ANAは終点になる。それでも、なんと羽田に9時5分についたので、「あわてるな!あわてるな!」と口にしながら、階段を駆け上がって手続を頼む。慣れているのか、「まだ10分ありますね」と言われてぎゃふん!搭乗口までいったら、まだ搭乗が始まっていなかった。
「あわてそうな時は、あわてるな!と言い聞かせながら動く」
○認知的体験04/12・13海保
「今日の中ドジ:地図の読めない人」
銀座のド真ん中にあるお店で12時より会食。車でその近辺についたのが、11時半。ごく近傍にきているのだが、その場所がわからない。合計10回くらい電話をして案内をこう。教え方が悪いのと、こちらもややパニクッているのとで、その場所にたどり着けない。やっと最後に別の人が出てきて、一発でわかった。なんとついた時間は、1時!!すっかり銀座に詳しくなった。それにしても、ビル名はわからない!!店の名前が目立ち過ぎかも。なお、人には女、男を入れたいが、まずそうなのでやめてある。
「都心へは車ではいかないこと」
「車に乗らない人に道は聞かないこと」
○認知的体験04/12・21海保
「小ドジ;あやうくカレーを焦がしてしまうところだった」
「ガスをつけたら、その場を離れない」を我が家の家訓?にしている。ちょっと離れるときでも、必ず、ガス栓をとめるか、誰かにそばについていてもらうようにしている。ところが昨夜だけは、ついうっかり、カレーに火を入れて、そのままTVの前に座ってしまった。どうしてそうしたのか、思い出せない。間一髪ーーこんな漢字なんだ!「髪の毛ひと筋の幅」の意味だそうだ(広辞苑)ーーで気がついて事なきをえた。
「火からは離れるな」
○認知的体験04/12/26海保
「今日のドジ;同じ包丁でまたまた指を切る。これで3度目」
よくきれる包丁である。これまでに手のひら、指で持って上から切り落として、つい、手、指を切ってしまった。したがって、注意はしていたつもりだったが、今朝またやってしまった。
さて、これは、自分が悪いのか、包丁が悪いのか。
最近ドジをしていないので油断したか。包丁が異常に切れやすくなっているのか。
「一度ドジをしたら、その原因を取り除く」
○認知的体験04/12/28海保
「火災報知器がなったのに誰も動かない!!」
大学会館の2階の本屋で突然、報知器がなった。周りを見回すと、誰も何の動きもない。驚くほど静か。それでもあまりにしつこくなるので、不安になり報知器のほうにいってみた。外国人の女性がやはり気になるのか、やってきた。あとでよくよく考えると報知器のところにいっても何もならない。むしろ逃げ口(一ケ所だけ)のほうへいくべきだった!
しばらくして止まった。そして、しばらくして放送があった。「ただいま警報がなりました。点検の結果、建物内には異常がないことが判明しました。また機械の誤作動ではないことも判明しました??」
○認知的体験04/12/29海保
「今日の大ドジ;ドアに鍵を付けたままテニスへ」
いつもの手順と違ってしまったのがドジの原因。テニスの支度を部屋でして、紫外線どめを塗って、部屋を出て鍵をかけて、廊下のロッカーから用具一式の入ったバッグを出す。これが手順。
昨日は、日焼け止めをつけるのを忘れたので、もう一度部屋をあけ、手袋ーーこれもきょうはじめて両方の手にはめたーーをはずして塗って、手袋をはめてそのままバッグをもって出かけてしまった。
「手順が変わった時は、最初から点検する」
「新しい手順が加わった時は、慎重に」
「鍵の管理だけは首からつるすなどの格別な配慮をする」
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●ドジ日誌を書いてよかったこと
認知的体験は、ほぼ毎日、書斎のデスクに座ると何か一つか2つ書く。ドジがあればそれを書く。なければ、別の思いを書く。
ドジを書くことのメリットは、何をおいても、自分の心や行動について内省的になれることである。
どうしてあんなドジをしてしまったのかをふり返り反省する。ドジの原因は外にも内にもあれこれあるが、ともかく自分(自分)がどうであったからドジになった、ではどうすればドジは発生しなくなるのかを自省する習慣がついたことである。
結果として、ドジは確実に減った。もちろん、ドジをしない環境作りにも意を配った結果でもあるが、それも自省のたまものである。そのいくつか。
・階段、風呂場にはころばないように、手すりをつけた
・かばんには蛍光テープを貼って、目立つようにした
・携帯、カード入れ、鍵にはひもをつけて、紛失防止と取り
 出しやすくした
・注意喚起が必要なところには、目印テープをはった

2.2 魔の一瞬

●ヒヤリハット
「To err is human」であるにしても、これほど毎日、うっかりミスばかりしていて、よくぞ60余年も生きてこれたものとあきれてしまうほどである。
たとえば、ドライブが趣味の自分にとって、車の運転は絶えず魔の一瞬との闘いである。ラジオに注意をとられてハンドル操作がおろそかになってしまったり、車内での家内とのいさかいで注意が散漫になってしまったりしたことが何度かある。
あるいは視認性の極端に低下した雨降りの夕方、右側通行の無灯火の自転車、脇をハイスピードで通り抜けるオートバイなどに幾度となくひやりとしたか。
それでも、魔の一瞬に遭遇せずに、また「注意一秒、怪我一生」にならずにすんだのは、幸運としか言いようがない。
利便性、快適性と引き換えのハイリスク社会で生き抜くのは、幸運(確率)頼みなのかとも思ってしまう。
ミスをおかすのが人間だとしても、100おこなう行為のうち、高々10個くらいが表面に出てくるうっかりミスである。うっかりミスをしてしまったことは記憶に残るので、もっと多いように錯覚するが、それほど実は多くはない。
そのミスがたまたま不幸にも状況とぴたりと重なってしまって事故や怪我になったときを魔の一瞬というのである。
もちろん、反対に、幸運の一瞬もある。宝くじに当たる、よき伴侶に出会うなどなど。
どちらの一瞬に出会うか、それが人生を決めてしまう。それなら、刹那主義の人生を、となりがちだが、人間は実に賢い。そのことを知ってはいながら、それは人生のアクセントと考えて、地道な生活をおくっている。

●魔の一瞬を作り出すもの
車の運転で脇見をして中央線をはみ出てしまっても、その時、対向車がこなければ、どうということもない。
包丁を落としても、落としたところに足がなければどうということはない。
我々がミスをしても、そのミスが魔の一瞬になるのは、たまたまそうさせてしまう状況があったからである。
中央線をはみ出た時に対向車がたまたま来たので、事故になってしまうのである。包丁が落ちてきた時に、たまたま足がそこにあったから怪我をしてしまうのである。
「たまたま」の多くは確率(運)の問題である。車で走っていると、「事故現場」の告知看板を見かける。直線で見通しがよく、どうしてこんなところで事故が?と思うようなところが結構多い。よほど運が悪かったのであろう。
事故を「運(確率)」の問題として片づけてしまっておしまいとしてはいけないのだが、それ以外には考えられないケースは間違いなくある。宝くじに当たるようなもの、との言説は、事故にも間違いなくある。だから保険に入るのである。
なお、うっかりミスを運不運の確率問題として考えるのがリスク心理学である。
ただし、運不運で事を片づけてしまうのは、最後の最後である。「なぜ、どうして」を追求して(なぜなぜ分析)、原因(群)を見つけだしてそれを排除する努力は怠るわけにいかない。その時の分析の大枠がコラムにある4Mである。

コラム「事故分析の基本的観点;4M」*******
・man(人) これまで誰もミスをしたことがなかったのに、新しく入ってきた山田君がそこで仕事をしたらミスが発生したとすれば、山田君に何か問題がなかったか、となる。
・machine(機械) 機械の設計に安全装置がついていなかったり、保守点検なしに長期間使ったため劣化したために事故。
・media(媒体) チームで仕事をする時は、コミュニケーション不全が事故につながる。
・management(組織) 組織には安全な環境の元で仕事をしてもらう義務がある。それを怠ったための事故ではないかどうか。
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2.3 ミスしながらいきいき生きる

●ミスは成功のもと
これまでの話しとはまったく逆に、ミスこそ成功への大いなるチャンスという話しをしてみたい。
ミスにはヤヌス(2面神)的な性質がある。「ミスー事故」というネガティブな面と、「ミスー挑戦・成功」というポジティブな面とである。いきいきした人生、社会にするためには、このミスの2面性を認識した上で、そのバランスを考えておく必要がある。
なお、以下では、ミス、失敗、エラーという言葉をあまり区別しないで使う。厳密には微妙な違いはある。

コラム「あなたの失敗についての考え方をチェックする」****
次の項目に自分の考えにぴったりのものがあれば、マークせよ。
( )失敗したのはその人が悪い
( )失敗はするべきではない
( )失敗で与えた損害はすべてその人が償うべきだ
( )注意すれば失敗は防げるはずだ
( )自分は失敗はしない
( )失敗は気のゆるみから起こる
チェックの数が多い人の考え方に挑戦する話をこれからすることになる。
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●失敗が成功をもたらす
 ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の著書のタイトルが「生涯最高の失敗」(朝日選書)である。失敗した実験からノーベル賞につながる発見が生まれた経緯を踏まえてのタイトル付けであろう。
 また、設立されてすでに数年になるが、畑村洋太郎氏を中心とする「失敗学会」も活発に活動している。もっぱら、企業における経営上の失敗や事故から、いかにして何を学ぶべきかを提言し続けている。
 さらに、実際に企業経営に失敗した経営者、たとえば、ヤオハン・グループの和田一夫氏は、自分の失敗体験を活かしてビジネス・コンサルタント業で成功している。
 こうした動きや人物をみると、日本における失敗についての考え方、やや大げさに言うなら、失敗文化の変化を感じる。それは端的に言うなら、「失敗に厳しく、失敗は恥ずかしい」とする文化から、「失敗に優しく、失敗を学ぶ糧に」とする文化への変化である。
 ちなみに、筆者が1986年に講談社現代新書(絶版、「人はなぜ誤るのか」(福村出版)に再録)で訴えようとしたことも、我が国における失敗文化のこうした変化であっただけに、我が意を得たりの思いがある。
 さて、本稿では、日本の社会でのこうした変化を踏まえながら、失敗との賢いつきあい方の考えどころを5つに絞って提案してみる。
 
●考えどころその1「失敗についての知識を豊富に」
 KYT(危険予知訓練)という事故防止のための訓練がある。事故の発生が想定される場面をみせて、どんな事故がおこるかを予想させることで、安全意識を高め、想定される事故を未然に防ごうというものである。
 KYTの効果は、予想する人が有する関連知識の多寡、質に依存する。また、現実場面でも、たとえば、雨の日にはどんな事故の発生が想定されるかを知っている人と知らない人とでは、事故を起こす可能性に微妙に違いがある。まさに、「知は力なり」(ベーコン)である。
 というわけで、ここでは、「計画(plan)ー実行(do)ー評価(see)]
のサイクルで起こるエラー、失敗を簡単に紹介しておくが、折に触れて、これ以外の、失敗についての知識を豊富にする自己努力が必要である。

2 図1 PDSサイクルにおけるエラーの種類



1)思い込みエラー
 計画段階で、誤った状況認識によって、誤った計画をたててしまい、それを忠実に実行してしまうエラーである。たとえば、
 ・名刺の肩書きを信用してしまい、詐欺にあった
 ・新システムが導入されたのに、旧システムの操作をしてしまった
 思い込みエラーは、うっかりミスほど多くは発生しないが、ひとたび発生すると、その検出は難しい。したがって、被害は大きくなる。
2)うっかりミス
 実行段階でおこる、計画された行為とは異なる行為をしてしまうエラーである。たとえば、
 ・景色に気をとられ、あやうく車が対向車線に飛び出してしまった
 ・朝出がけに頼まれた薬を買い忘れてしまった
 エラーのほとんどは、こうしたうっかりミスである。うっまりミスでも、おかした瞬間にミスと気がつくことが多いので、すぐに訂正すれば、事故にならならない、あるいは、被害の拡大を抑えることができる。
3)確認ミス
 実行したことが、計画通りになっているかを確認する際のエラーである。たとえば、
 ・信号のない交叉点で充分に左右の確認をしなかったためひやり
 ・2人で別々に確認することになっていたが、一人が大丈夫というので確認しなかった
 確認ミスがないなら、思い込みエラーもうっかりミスも、事故になる前にチェックができる。しかし、確認行為にもミスが発生してしまうことがあるので、事は面倒である。

●考えどころその2「強すぎる正解志向は要注意」
 列車は時間通りに運行され、数学の試験では唯一の正解だけが得点になり、車は法規に従って運転されている。世の中は正解を前提に動いている。だからこそ、まれに起こる失敗が目に付くことになる。
 しかし、いつもどこでもすべてが正解であることを強く志向しすぎるのは要注意である。
 正解は、ある制約条件の中で定義される。時刻通りの運行が正解なのは、運行に支障がない正常な条件のときで、たとえば、嵐がきているときなら、遅れる、あるいは運行中止ほうが正解である。
 過度の正解志向は時折、制約条件を勝手に狭めて安直な正解だけで満足してしまい、大局的、長期的に検討したり、観点を変えて吟味してみたりといったことをさせないことがある。そんな例のいくつかをさらに挙げてみる。
 ・角を矯めて牛を殺してしまった
・納期が迫ってきたので急いで仕事をしたら事故を起こしてしま
  った
・家具什器の破損が多いので、利用規則を厳しくしたら、利用者
 が激減してしまった
・18歳と16歳の男女が一緒に生活しようと決めた。しかし、
 親が反対するはずなので、親を殺してしまおうということにな
 った
過度の正解志向は、さらに、事をあいまいなままにほっておくうちにおのずと物事が解決する力、すなわち、あまりにも性急な解決ばかりをしているうちに、あれこれやってみる、多くの人が解決に関与することで解決の機が熟してくるといった力の大切さを忘れさせてしまうことがあるので、要注意である。

コラム「ほめて育てる」******************
特派員メモ(朝日新聞05年10月28日)より(要約)。
「―――小学年の息子を、地元のリトルリーグに入れた。練習初日、帰宅した息子いわく。「ミスした子にコーチたちはどなっていなかった。」―――どこかいいところがないか、何とか見つけ出してはほめている。
盗塁失敗には「good try」
ボールを見送っただけなのに「good eye」
三振したら「nice swing」
コーチいわく。「怒鳴っても子どもは萎縮してミスが増えるだけ。いかにやる気を引き出すかが大事なんだ」
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●考えどころその3「失敗と共存する」
 企業の安全講演会に招かれることがある。会場に入ると、「ヒューマンエラーを撲滅しよう」「ヒューマンエラーゼロに」といった類の安全スローガンが掲げられていることが多い。そこで、これを話しの枕に使わせてもらう。
 「人間である限り、エラーも失敗もする。エラー、失敗するのがいやなら家でふとんをかぶって寝ていればよい。大事なことは、エラー、失敗を事故や災害に直結させないこと、あるいは事故に適切に対処し拡大させないこと、さらにすみやかに正常に戻すこと。」
 「エラー、災害ゼロ」はわかりやすい努力目標ではあるが、これを過度に強調すると、人の側にのみ努力、それもできもしない無駄な努力をさせてしまいがちである。そして、エラーを事故につなげない仕掛けに目を向けさせないことになりがちである。そんな仕掛けの例を挙げておく。
 ・自然に正しい行為ができるような仕掛け
   例 獣道のように、歩く人の動線にあわせた歩道
 ・エラーに気がつく仕掛け
   例 ガスを付けるときは、栓を押し下げてから回すことで、
     自分の行為を意識化できるようにする
 ・エラーを事故に直結させない仕掛け
   例 転倒防止のついた子ども用の自転車
 ・事故を拡大させない仕掛け
   例 火や煙が拡がらないようにする隔壁
 ちなみに、エラー対策が最も進んでいる航空機業界では、「エラー撲滅」という考えから「エラーとの共存」という考えに転換しつつあるらしい(栗山正樹;JAS)。このほうが失敗への対処が、生産的になると思う。

●考えどころその4「失敗体験を通して失敗に強くなる」
 車の運転での失敗は他人を巻き込んでしまう。しかし、実験での失敗、企画会議での意見やアイディアの提案の失敗、あるいは趣味の領域での失敗は盛大にやってもさしつかえない。
 そこで、失敗してはいけない領域と、失敗してもさしつかえない領域を自分なりに仕分けしておくとよい。この効用はたくさんある。
 一つには、日常生活でも社会生活でも、すべての領域でいつも失敗ゼロを課すのは心にとってきつい。ストレスが高まる。長期間にわたって持続すると、心がやられてしまう。時には、失敗してもさしつかえないところで大いに失敗して、心を解放するようにする。
 2つは、失敗を経験することで、失敗への認識を深め、そのときの自分なりの対処の心構えができることである。たとえば、失敗すると心が乱れる。それをどう治めるかは、失敗体験を通してしか学べない。
 3つは、失敗を体験することで失敗に強くなれることである。失敗すれば叱られる。恥ずかしい。自尊心、有能感が低下する。失敗体験に伴うこうしたネガティブ感情も、体験しながら克服していく力を付けなければならない。
 余談になるが非常に心配な事一つ。最近は、失敗体験が極端に少ないまま成長してしまう子どもが多い。彼らが青年期になって社会の厳しさに直面しちょっとして挫折を体験すると、たちまちだめになってしまうらしい。

●考えどころその5「失敗を”まあ、いいかにする”心の訓練をする」
 この小見出しは、筆者が書き下ろした小学館文庫の一冊に、編集者が付けた書名である。内容とはぴったりあった書名であるが、並のタイトルではなかったので、提案されたときはびっくり仰天した。今は馴染んできて気に入っている。
 さて、その本で言いたかったことがここで述べたいことである。
 誰もが失敗したくはないと思っていながら、不本意ながら失敗してしまう。そして、失敗した自分を責めて落ち込んでしまう。失敗しながら生き生き生きることとはほど遠い心理状態になってしまう。しかし、生き生きとはいかないまでも、普通に生きていくためにその状態から速く脱出しなければならない。
 まずは、「起こってしまったことはしかたがない」という月並みの慰め言葉を自分にかけることになる。もし、被害が他人に及んだときは、きちんと謝罪し、場合によっては補償しなければならない。これは、しかし、自分一人では無理かもしれない。あらかじめ、保険などの安全ネットを用意しておくか、周囲の支援を遠慮なく借りることである。
その上で、冷静さを取り戻した段階で、その失敗をもたらした状況や自分の行為を分析してみる。いたずらに自分にだけ責を負わせてしまわないで、その時の周囲の状況にも分析の網を拡げてみることである。これが充分な広さと深さまでなされれば、失敗から学んだことになる。できれば、仲間とその分析結果を共有するようにすれば、失敗の元がとれたことになる。

コラム「失敗を「まーいいか」にする心の訓練7箇条」*****
 一部重複するものがあるが、さらに追加も含めて、7箇条にまとめてみた。
第1条 大きく考える
第2条 こっちで失敗してもあっちがある
第3条 失敗したら、ちょっと立ち止まる
第4条 休息する
第5条 自分だけを責めない
第6条 転んでもただでは起きない
第7条 失敗しないのは失敗なのだ
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●失敗に強い人、弱い人
最後に遊び的な図を一枚。
この図は、失敗に対して厳しいかどうか、自分は失敗が多いほうかどうか、という観点から人を類型化してみたものである。あなたはどのタイプになるであろうか。
 どの型が良くて、どの型が悪いということはない。自分の型を知ってその特徴を活かす方途を考えればよい。
 ちなみに、全体としては、日本は、「丁寧型」「ねちねち型」、アメリカは、「創造型」「おっちょこちょい型」が支配的だと思う。
1
2
3 図2 失敗に強い人、弱い人
4








 







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自分の1週間のミス日記を1日に縮めてVTRの早回しをしてみると、こんなことになる。
「朝起床」
朝3時起床がいつもの習慣である。なんとなくもう起きる時間だなー、でも目覚ましがなるまでもうちょっと寝ていたいなー、と寝床でぐずぐず。思い切って部屋の電気をつけて時計をみると、なんと4時を回っている。目覚ましをかけ忘れってしまった。昨日の晩酌がやや多かったかも。
寝床を出て台所へ。電気炊飯器に朝ご飯をセットし、コーヒーを入れて書斎へ。
「早朝の一仕事」
パソコンの電源を入れる。コーヒーがうまい。フロッピーを差し込んで、さあー仕事。執筆中の本も予定枚数の半分を越えた。乗ってきたので、あと2か月もあれば終わるはず。
仕事にかかる前にひそかな楽しみである一人麻雀を1回だけすること。負けた。こういう時は、「一回だけルール」を破ってもう一回となりがちだが、ぐっと我慢する。
今日は第5章の途中から。ファイルを開けるためにクリックする。コーヒー片手でやっていたため、マウス操作がおろそかになり隣にあった3章のファイルを開けてしまう。これくらいのミスならご愛嬌。
書き始める。最初は順調だったが、突然書けなくなる。こんな時は他の仕事するに限る。パソコンを机の向こうのほうに押し出してスペースをつくって、辞典原稿の校正をはじめる。ところがうっかりどこかのキーを押してしまったらしい。コンピュータの画面が止まってしまった。あちこちキーを叩くがまったく反応なし。これで5章の今朝の仕事はパーになってしまった。
いつものように再起動をかける。わかってはいるがもしかしてと思い、5章の打ち込んだものを探すがどこにも跡形がない。しかなく、打ち込んだ内容を思いだしながら仕事再開。しかし、一度打ち込んでしまったものを思い出すのは非常に難しいし、むなしい気持ちになる。半分までやってやめて、校正の仕事に戻る。相変わらず誤字脱字が多い。でも、こちらは頭を使わなくてよいので気楽。
「朝食」
6時。朝食の時間である。今は当番日。老夫婦2人の朝食メニューは質素なもの。スーパーの出来合いのおかず2品とあとは定番の納豆、のり、みそ汁。さてご飯をよそろうと炊飯器を開ける。水に浸る米が目に飛び込んでくる。しまった! スイッチを入れるのを忘れてしまった。あわてて高速炊飯で炊く。20分遅れで食事。
「車での通勤」
車で片道1時間の通勤はつらい。ヒヤリハットも多い。自転車の右側通行にはいつもひやりさせられる。雨の降る夕方は、道路に明かりが反射し、歩行者も多いので、一番怖い。こんな時は、高速道路を使う。わずか10分の短縮にしかならないのだが、事故を起こすよりましである。
大学で会議があったり、うまく考えがまとまらないまま帰路につくと、それが頭を去来して運転がおろそかになってしまうこともある。脇見ならぬ、脇考である
「大学で」
 未完
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お土産心

2013-08-06 | 教育
旅行にいったら、お土産を買って帰る習慣、日本独特なのかどうかは知りませんが、対人関係を良好に保つには実にすばらしと思います。たかがお土産、されどお土産です。お土産そのものもさることながら、そこに込められた心――「お土産心」――をいたるところで、誰に対しても忘れないことが、良好な対人関係をつくりだします。