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「図書と図書館、回想あれこれ」 

2013-08-19 | 心の体験的日記
2800文字 20文字 140行
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「図書と図書館、回想あれこれ」 


●図書についての初期記憶;図書館と情報保護
中学時代、女性教師との面談を終えて帰宅した母親から「先生が“赤っぽい本を読んでいる“と言ってたよ」の一言。“赤っぽい”とは、当時ではーー今でも?――、共産党を意味する言葉。図書館でロシア革命の解説本を借り出して何冊か集中して読んでいた記憶がある。「コルホーズ」なんて言葉を今思い出した。ネットで調べると、確かに記憶どおりで、集団農場のことだった。
これが今現在の図書についての初期記憶である。(なお、回想はその時々で変わるのといのが記憶心理学の常識。)
いずれにしても、とりたてて、これで母親や教師から叱責されたとか言う記憶はない。それよりも、そうしたやや早熟な秘密を知られたことの悔しさのようなものがあって、記憶に残り続けていたのかもしれない。(なお、感情的色合いを帯びたエピソードは末永く記憶に残るというのも記憶心理学の常識。)

●図書を買う;図書の私と公
 最初に職についた大学では、研究費で自由に図書が買えた。学部生や大学院生のときは乏しい生活費を割いて「つけ」で図書を大量に買い込んでいたので、これは助かった。しかも、まず読みたい本を本屋から持ってきてもらいたっぷりと読んでしまってからやおら再度、本屋に来てもらい、図書館に納品してもらえたのだーー多分、今は、こんなルーズなことは許されないかも。でも許してほしい!ーーー。
 次に移った大学では、逆にきつい図書管理にとまどった。
自分の研究費(といっても税金なのだが)で購入する図書まで全部、図書館経由、忘れた頃に納入される。研究室に借り出せる図書数にも上限がある。とても窮屈で仕事にならない。再び、自費で購入することになった。(なお、定年退職のとき、1冊だけ借り出した英文本が返却されていないという催促が退職後にきた。アマゾンで購入して返却したーーきつい、いや当たり前の管理の象徴的エピソードでした!)
 現在、研究室と家の書棚にあるのは、学生の頃購入したものと2番目に移った大学で自費購入したもので、最初の大学にいた7年間のものが欠けている。時折、そのことに気がつかされる。はやり、必要な図書は自費で買うべきだったとちょっぴり後悔している。
 3番目の大学では、購入額の上限があるし、図書館経由の購入になるが、納入が実に早く、しかもラベルなしなので、自在に使える(なくなってもかまわない!)ので助かる。演習などで自在に使えるし、学生にも貸し出せる(もどってこないことが多いのが悩みの種)。

●図書が捨てられない;図書処分
 家にも研究室にも図書が溢れている。そろそろ処分をせねば、という気持ちはだけはここ10年くらい持ち続けている。しかし、いっこうに減る気配がない。
 これは捨てようと思う1冊。ぱらぱらめくりをしたり、付箋をはったところを読み返したりすると、もうだめ。それぞれセンチメントがある。それぞれ、まだ授業で使えそうということになる。
 その気持ちを断ち切って、ゴミ処理するのは断腸の思いである。
そこで考えたことの一つが、周りの学生や先生にゆずる戦略である。ゆずられたほうは迷惑至極だと思うが、時には本心かどうかは不明だが感謝されることもあるのでやめられない。
しかし、こちらからすると、万が一必要になったときの保険になるので、安心して処分できる。とはいっても、これで処分できる数はたかがしれている。
 それが最近、とてもうれしいシステムが大学の学生支援課で考案してくれた。不要本を学生談話室で引き取ってくれるというのである。目下せっせとそこに書棚の図書を移動させているところである。

●500冊は売れる;図書の売れ行き
 これまで単著、共著、編集、監修で50冊くらいの本を出させてもらった。硬い専門書から柔らかい新書や文庫もある。
 専門書は売れない。それでも、ある編集者から聞いたが、500冊はなんとか売り切れるのだそうだ。内容を見ないで買ってくれるところがあるからなのだそうだ。(見られたら買ってくれない!)。その多くは、大学図書館。
 そう言われれば、自分の大学でも、新設学科では図書費が計上されていて、ともかく、その額を使い切らないとまずい、ということで、とりわけ、年度末には、内容を見ずにカタログに印をつけて一括購入するようなことがある。
 日本の4年制大学の数は、780余り。500冊は、納得のいく数である。出版社には申し訳ないが、自分でもそんな本が数冊はある。

●試験前になると図書館へ;図書館のもう一つの活用法その1
 高校生の頃の記憶。
試験前、誰でもそうだと思うが、試験勉強からの逃避なのか、それとも頭の働きが活性化するからなのか、やたら本が読みたくなる。 
そういう仲間が図書館に集まったのだと思う。一休みということでーーこれも逃避?――、図書館わきの芝生に寝転んでだべっていた。それをむかいの校舎から校長がみていた。司書が飛んできて、注意された。ひげ顔の校長がこちらをにらんでいる光景が、ありありと思い浮かぶ。
その図書館で読んでいたのは、ミステリー関係と社会学関係(清水幾太郎全集かも?)だったと思う。本を買えない貧乏のなかで、あの充実した図書館は救いだった。

●図書館でのんびり;図書館のもう一つの活用法その2
ロスアンゼルスでの10か月の海外研修期間中、英語不如意でストレスフルな毎日を送っていた。そんな日常の中で、大学図書館にあった日本語の新聞や雑誌は救いだった。(それまでは、図書館にそうしたものがあることさえ知らなかった。)
それで味をしめて、帰国後も、こうしたいわば憩いの場としての図書館利用をするようになった。
そういう目的で図書館をあらためて眺めてみる、新聞のみならず実に多彩な雑誌、DVDなどもあることを発見。
恥ずかしながら、今では、図書館に行くのは、もっぱら憩い目的である。
徒歩5分の近隣公民館付属の図書室には、そうした活用を楽しんでいる(ように見える)高齢者や主婦、子どもがひきもきらずである。

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読了「峠」司馬遼太郎

2013-08-19 | 心の体験的日記
久しぶりに司馬本、読了
幕末長岡藩、河井継之助の一生もの

著者あとがきによると
「形而上的なものに精神を托した男の物語」



峠 (上巻) (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社




壮大な野心を藩の運命に賭して幕末の混乱期を生きた英傑の生涯!
幕末、雪深い越後長岡藩から一人の藩士が江戸に出府した。藩の持て余し者でもあったこの男、河井継之助は、いくつかの塾に学びながら、詩文、洋学など単なる知識を得るための勉学は一切せず、歴史や世界の動きなど、ものごとの原理を知ろうと努めるのであった。さらに、江戸の学問にあきたらなくなった河井は、備中松山の藩財政を立て直した山田方谷のもとへ留学するため旅に出る。

私、作る人、私、味わう人

2013-08-19 | わかりやすい表現
こうすればわかりやすいマニュアルが作れるはずという指針は提案できるのだが、では、その指針に従ったマニュアルを作って見せてくれと言われでも困るどうしようということであった。
 ここで、作る人と使う人、デザイナーと消費者の決定的な違い、そして自分は、使う人、消費者であることを知ったのである。



留学

2013-08-19 | 教育
アメリカへの留学生

中国人留学生が19万人で断トツ
ついでインド、韓国が漸増
ところが日本人留学生は2003年度から漸減して2万人

アメリカだけ留学先である必要はないが
これが、若者の内向き志向の反映だとするなら
かなり危ういことである。

外の世界をみること、外の生活をしてみること
これは若いときこそいい影響を受ける

自分も大学生の頃
あれこれ挑戦したが、うまくいかなかった


消えない、ウイルス警告

2013-08-19 | 心の体験的日記
ウイルスバスター1年分を振り込んだ
それでも、警告画面が消えない
ノートを調べたら、なんと2016年7月まですでに契約してあることを発見
となると、この1年分の更新はどうなってしまうのだろう?
なんだか詐欺にあったような感じ

登録完了のメール
しかし、そのあとの手続きが複雑で
うまくダウンロードできない
なんだか詐欺にあったような感じ


ポップアップ画面に騙されてのかなー
なんだかわけがわからない!!

プロバイダーは、無料ウイルス対策ソフトをもっているらしい
来年は、そちらを使ってみることにする





携帯カメラによる撮影