hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

曙橋付近の坂道③

2024-04-15 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その205。今回は曙橋付近の坂道を歩く。私が前回曙橋周辺の坂道を歩いたのが2015年1月、それから9年経ち、当時行かなかった坂道も含めて再度歩いてみることにした。

都営新宿線曙橋駅を出ると目の前に靖国通り、陸橋があるがこれが曙橋で上を走るのが外苑東通りである。まずは曙橋の下を通り、右に曲がり、『合羽坂』交差点まで歩く。



これを右に曲がると『津の守坂』という大きな標識がある。ここから長い坂が新宿通りまで続いている。



名前の由来は案内板にもある通り『昔、坂上の西脇に松平摂津守の屋敷があったため、その名前を略して津の守坂と称した』である。坂の途中には新宿歴史博物館がある。



坂を降りて靖国通りを渡り、左に登っていく坂道が『合羽坂』である。標識にあるのは『昔、この坂の東南に蓮池と称する大池あり。雨夜などかわうそがしばしば出たりしを里人誤りて河童と思いしより坂の呼び名とした。転じて合羽を用い』とある。



合羽坂を上り、外苑東通りを右に上がっていく広い坂が『新五段坂』。市ヶ谷本村町の防衛省の敷地は江戸時代には尾張藩の屋敷があり、その中に武士たちが居住する五段長屋があった。その前の坂道は五段坂と言われていたが、明治になり陸軍士官学校の敷地となったため、坂道は失われた。戦後、自衛隊敷地の西側に作られた坂道に新五段坂と付けたものである。



外苑東通りを反対側に渡り、歯科医院の横、仲之町公園との間の道を行く。途中二又に分かれて、左の道は階段となる。この階段が『念仏坂』、石段は直角に曲がり降りていくが、踊り場には黒い御影石の標識がある。



さらに坂を降りると案内板があって坂の名前の由来は『昔、坂近くに老僧がいて、昼夜念仏を唱えていたから、或いは屈曲で危険な石段だったから通行人は念仏を唱えて通ったなど乃説がある』と書いてあった。



階段下に降りると商店街がある。この奥にはかつてフジテレビがあった。今は『あけぼのばしどおり』とあるが、かつては『フジテレビ通り』となっていたが、フジテレビ移転も1997年だからもう26年も前のことである。(以下、次回)


(今の看板)

(かつての看板)