『宿場町を歩く』その15。栗橋宿①、前回の幸手宿のお隣にある栗橋宿を栗橋駅から歩く。栗橋駅は東武日光線とJR宇都宮(東北)線が乗入れているが、今回は湘南新宿ライン、宇都宮線を乗継、JR栗橋駅に降り立つ。
駅前には広大な野原が広がっている。宇都宮線栗橋駅は埼玉県最後の駅、隣の古河駅は茨城県、次の野木駅は群馬県と3駅で3県を跨ぐ珍しい駅でもある。
西口に向かうと駅前広場があり、タクシーが暇そうに止まっている。下調べで駅前の美容院がレンタサイクルを兼ねている情報を得て訝しながらも店に入ると確かに美容院兼自転車用の駐輪場を経営している。
300円を支払うと5台の様々な自転車があり、ここから選択する仕組み。1番大きな白い自転車を借りてスタート。因みにお金は払うが、名前を聞かれたのみ、連絡先も聞かず、身分証明書も見せず、終わったらここに返してと言われたのみであった。
スタートは駅近くにある静御前の墓から。案内板によると『静御前は源義経の妻(妾)であるが、1168年に生まれたとされ、15歳の頃、京都にいた際に大変な日照りとなった。後鳥羽上皇が、雨乞いの舞を100人の舞姫に舞わせたところ、最後の静が舞うと天が俄にかき曇り、3日雨が降ったと言われている。(その際に来ていた舞衣は隣の中田宿にある西方寺に残されている。)
その後、義経の寵愛を受けるも兄頼朝に不興を買い、東北に落ち延びてしまう。静御前もこれを追うが下総国で義経討伐の報を知り、京都に戻り、菩提を慰めようとしたが、病になり、1189年に栗橋で亡くなったと言われている。静御前の遺骸は侍女がこの地にあった高柳寺に埋葬したが、墓を示すものすらなかったことを関東郡代中川忠秀が不憫に思い、1803年に『静女之墳』の墓碑を建立したものが残されている』とある。
静御前は今NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の中にも出てくるらしいのだが、それほど人がいる訳でもなかった。静御前の墓に手を合わせ、再び自転車に乗る。
栗橋小学校の横を通過して旧日光道中に到着、少し右手に走ると焙烙地蔵がお祀りされている。『焙烙』とは素焼きの平たい鍋のことで祠の中には地蔵様と焙烙が祀られている。
この地蔵は宝永7年(1710年)の銘があるとのこと。焙烙地蔵は江戸時代に関所があり、関所破りをした者は火炙りの刑に処せられたが、この御霊を供養するために建立されたものと伝わっている。
旧日光道中には昔ながらの商家が幾つも並んでいるが、他の宿場町と違いあまり解説板も設置されていない。殆どの家の戸が閉まっていて今も使われているのかすらわからない。
殆ど車も通らない旧街道を気持ちよく自転車に乗る。左右に浄信寺、顕正寺と立派なお寺が出現。何も栗橋八福神を祀っていて浄信寺には寿老人、顕正寺には毘沙門天が祀ってある。(以下、次回)