コロナウィルスの影響なのか、平日はともかく土日も観光地はひっそりとしている。せっかく春めいたのにと今日は高崎市にある白衣観音を訪ねてみた。
高崎駅西口からコミニュティバスぐるりんの観音山線に乗車、普通のバスと違い、バス停の間隔が近いだけでなく、学校などはちゃんと玄関まで回り込んだりする。農大二高の先からは山道に入っていく。
乗客は3人しかいないがかなりのスピードで左右に振られながらどんどん走る。染料植物園、障害児施設を越えると背の高い白い観音像の後ろ姿が見える。次のバス停が白衣観音、ただ1時間に1本しかないが。
振り返ると背の高い真っ白な観音像が見えてくる。早川や大船などの観音様にもおまいりしたが、大船観音でも21m(但し、上半身のみ)に対し、高崎市の白衣観音は42mもある。さらに標高190mの観音山にあるのだからさらに遠くからも見る事ができるのである。
少し戻るように歩き、参道の坂道を登る。赤い橋をくぐると左手に階段が出てきて、こちらが慈眼院本堂である。慈眼院は元は鎌倉中期に北条泰時三男の極楽寺重時が創建したと伝えられている古刹で1941年に高野山金剛峯寺の塔頭の一つがこちらに移転したものである。
赤い橋を渡り、観音様の正面に立つ。前に組んだ手には経典があり、優しげなお顔で見下ろされている。
胎内めぐりは300円支払い、中に入るが、内部は9階建でちょうど灯台を登って行くような感じ。色々な仏像やこの白衣観音が作られた様子を書いた絵などがならべてあり、絵は中々面白い。膝が痛くなりながらも頂上まで登る。
小さな丸窓が四方に開いていて妙義方面を見ると雪を抱いた浅間山、高崎市方面は市内が一望、とそれぞれがよく見える。因みに観音様の肩の高さだそうだ。観音像を裏から見るとその窓の位置がよく分かった。
この白衣観音を1936年に建立した高崎市の実業家井上保三郎翁は当時の混迷した思想界に一点の光明を点じ、観世音菩薩の広大な功徳をあまねく世の人に分かち合おうとしたのである。
私もコロナウィルスに襲われている世界全体を観音様の力で何とか平穏な世に戻して頂きたいと心より祈念して山を降りたのである。