監督:李相日
原作:吉田修一
脚本:吉田修一、李相日
音楽:久石譲
出演:妻夫木聡、深津絵里、岡田将生、満島ひかり、樹木希林、柄本明、宮崎美子、松尾スズキ、光石研、余貴美子、塩見三省、井川比佐志、永山絢斗、中村静香、韓英恵、山田キヌヲ
“悪人”である殺人犯、妻夫木聡が、呆けた(聖者であるかのような)表情を見せ、映画は終わる。平日の夕方の観客たちはエンドロールが始まっても、「監督 李相日」と最後のクレジットが出ても誰も席を立たずにいた。わたしも、ちょっと動けなかった。
吉田修一の原作は朝日新聞に連載されていて、しかし新聞小説を読む習慣のないわたしは単行本化されてから読んだ。ところが、これまでの吉田作品とはどうも肌合いが違っていて、なかなかのめりこめない。登場人物たちの顔が見えてこないというか。読み方が悪かったのかなー。
でも、キャラ立ちまくりの映画化作品を観てむしろ気づいた。淡々と事実を積みあげ、それぞれの行動から読者は人間の善と悪を読み取らなければならなかったのだ。カポーティの「冷血」や佐木隆三「復讐するは我にあり」のように。
それにしても、あの原作からここまで泣かせる話にもってくるかー。さすが「フラガール」の監督と「横道世之介」「日曜日たち」の作家が組んだだけのことはある。このふたり、マジで泣かせるのが本当に得意だから。
スカイラインGT-R(Vスペックでした)の助手席に出会い系で知り合った女を乗せ、しかし気のきいた会話ができるわけでもなく、セックスでしかコミュニケイトできない男。洋服量販店につとめる女性(深津絵里)との「最初のセックス」が、顔を見ないですむ後背位であり、「最後のセックス」が、お互いを激しくむさぼり合うかのような正常位だったことが象徴しているだろうか。
作者たちは数々の悪を作中にしのびこませて乱反射させている。主人公の祖母(樹木希林が奇跡の名演)からなけなしの金をむしり取る催眠商法業者(松尾スズキ)、正義づらをしながら好奇心をみたすだけのマスコミ、自分への迷惑だけをわめきたてる母親(余貴美子)……そしてそれらと同じだけの善を挿入して、観客に救いを感じさせる手口がすばらしい。
顔がくずれることを承知でボロボロに泣きながら“あふれる愛情を誰に向けてそそげばいいのかわからない”でいる聖女(なにしろ、いい年をして初めてずる休みをするような人なのだ)を深津絵里はみごとに演じている。
そして、殺人現場にのこされた一枚のスカーフでとどめをさし、逃亡劇は静かに幕を下ろす。ハリウッド映画のように逃避行の男女が射殺されるようなドラマチックなエンディングを迎えるわけでもなく、彼らは日々の生活を続けなければならない。
東北人であるわたしにはわからないけれど、長崎・佐賀・福岡の九州弁の違いが語るものもあるのだろう。文句なく傑作。妻夫木のガッツは賞賛にあたいする。必見。