その1はこちら。
話の流れは江戸川乱歩の「芋虫」をほぼ踏襲している。日露と太平洋戦争の違いはあるとはいえ、戦争によって両手両足と聴覚を失い、「食べること」と「寝ること=セックス」しかできなくなった夫と、彼を嫌悪し、同時に愛してしまう妻の関係……でも若松孝二はかつてピンク映画を撮りまくり、日本初のハードコア「愛のコリーダ」を製作した人間であるよりも、強烈な政治的作家であることを優先している。
夫婦の部屋には天皇と皇后の写真が飾ってあり、この戦争が誰のためにあるのかを若松はくどいくらいに強調しているのだ。ここまでむき出しの映画って「連合赤軍」以来。若松は変わっていない。さぞやネット右翼あたりから誹謗中傷を受けているんだろうが、そこは世界のワカマツだしなー。
乱歩の「芋虫」は、被虐と嗜虐の(もっとはっきり表現すればSMです)関係が生み出す愛憎がメイン。しかし若松は“夫が戦地でしてきたこと”“夫が戦地に赴く前に妻にしてきたこと”を告発することで夫婦の関係性の逆転を描ききった。
ここから完全ネタバレ。
中国人をチャンコロとあざけり、燃えさかる家の中で強姦したことで四肢を失い、その罪悪感から妻をも抱けなくなった夫。
「石女(うまずめ)」と子どもができないことで夫に殴られ続け、そのことを最後まで忘れないでいる妻。
このふたりのSとMがひっくり返るあたりを静かに描いていてすばらしい。ごほうびであったはずのセックスが拷問の効果を持つなど、かなりトリッキーなお話なので、並の女優だと絵空事になってしまう。さすが、そのあたりは寺島しのぶなのでした。
で、また例によってわかんないことが出てきた。
原作(正確には原作というクレジットはされていない)と同じような形でふたりの関係は終わるんだけど、夫の方は“あの時”玉音放送を聴いてたって設定なんだろうか。
聴いていてあの行動をとったとすれば、夫はまだ国というものに絶望しておらず、戦争が終わったことに快哉を叫ぶ妻との間にはやはり大きな溝があったってこと?これから観る人はそこんとこよろしく。