お前の女の趣味はどうも変わってる、といつも言われるけど、木村多江が好きです。おかげで彼女がパーソナリティのFM「Sound Library ~世界にひとつだけの本~」も毎週聴いてます。「東京島」は観たかったのに三川イオンシネマではやってくれませんでした。残念。
それでも、名作の誉れ高く、木村多江が出ずっぱりに近いこの作品は敬遠していました。監督の橋口亮輔が自身の鬱体験を投影していることや、木村多江も役にひっぱられて精神がおかしくなりかけたという事前情報がバンバンだったから。しかも鬱になったきっかけが流産だったあたり、わたしはちょっとしんどくて観る気になれなかった。
でも、やっぱり食わず嫌いはいけませんね。浮気性の亭主(リリー・フランキー)と、カレンダーにセックスの予定(×マークでチェック。週に3回でした)をつけるなど、少しだけ潔癖な妻(木村多江)の、落ち込みと回復の十年。
夫は法廷画家の職をえて時代の地獄と向き合い、それでも妻を見つめ続ける……精神の回復とともに、×マークが復活するあたりは観客としてもうれしいです。
出色なのが法廷シーン。裁判所の職員が「傍聴券提出してくださーい!」と叫ぶあたりのリアリティと、撮影さえ禁じられた法廷に、職業としてエキセントリックな被告や被害者の家族と向き合うことになる法廷画家という存在をピックアップしたあたりがうまい。よけいな話だけれど、裁判員として一般人を法廷に入れ、判決に参加させることと、裁判の写真撮影を禁じていることは明らかに矛盾しています。
池田小事件の宅間、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤、音羽幼女殺害事件の主婦を、それぞれ新井浩文、加瀬亮(左手をぶらぶらさせています)、片岡礼子が達者に演じるので、バブル崩壊後の十年がいかに病んだ時代だったか、そのなかで再生していく夫婦がいかにしんどかったが感じとれる。
木村多江は熱演。それをささえたのは、演技は素人だったはずのリリー・フランキー。この人のとぼけた味わいがなかったら予想どおりきつい映画になっていただろう。ちょっとエッチな話だけど“違ったセックス”がしたくて
「そっちはやめてって言ったでしょ!」
と怒られるシーン(笑)など、彼でなければ達成できなかったはず。
鬱病はきわめて現代的な病だし、患者をともすれば“異物”にしてしまいがち。でも、普通に生きて、普通に話して、普通に抱き合うことで救われることもあると勇気づけられる。すばらしい作品だ。ますます木村多江が好きになりました。関係ないけどわたしは吉瀬美智子も好きです。あ、ほんとに関係なかった。