ジョン・ル・カレのミステリはとにかくわかりにくい。錯綜する人間関係が東西の冷戦とシンクロし、あるいはひっくりかえるので。現実がわかりにくいのといっしょですね。
名をあげたのは「寒い国から帰って来たスパイ」。そして「裏切りのサーカス」の原作である「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」を含むスマイリーものでスパイ小説の第一人者になった。
匹敵するのはグレアム・グリーンぐらいだろうか。なにしろMI6にほんとうにいた経歴は強い。と同時に、冷徹な観察眼なくして外交はできないわけで、その証拠にブッシュのイラク侵攻を「狂気の沙汰」と切り捨ててくれていたっけ。
登場人物はこう語る。
「あの頃はよかったわね」
「戦争の、時代だよ」
「少なくともイギリスが誇り高くいられたわ」
007を特集したときにもふれたように、(少なくとも小説のなかの)スパイとは貴族、あるいは騎士に近い。高潔で犠牲的な精神が……ほんとに、小説のなかではね。
近年のスパイは少しかわいそうではある。ベルリンの壁という(ル・カレは西ドイツで勤務していた)象徴が消えて以降、彼らのたたかう相手はテロリストや宗教的狂信者であることが多く、だからモグラたたきに似た消耗戦が延々とつづく。
しかし冷戦当時は、東西のプロフェッショナルが権謀術数を駆使して相手をだまし、誘惑し、勝ったり負けたりしていたのである。好敵手がいたからこそ、スパイもやりがいがあったはず。
「裏切りのサーカス」は、70年代前半のまだ東側が元気だったころのお話。ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース、トム・ハーディ、ジョン・ハートなどが、
「ティンカー(鋳掛け屋)」
「テイラー(仕立屋)」
「ソルジャー(兵隊)」
「プアマン(貧乏人)」
「ベガマン(乞食)」
のなかから裏切者をあぶりだすてん末をクールに描いている。彼らの話すイギリス英語が耳に心地いい。しかも彼らのファッションがひたすらイギリスで憎い。
英語といえば原題は数え歌のもじりで、オリジナルはTinker, Tailor, Soldier, Sailor, Rich Man, Poor Man, Beggar Man, Thief.ですよ。お勉強になりましたね。
監督はトーマス・アルフレッドソン。あの「ぼくのエリ 200才の少女」の人。演出と編集の妙技がここにあります。ぜひ。