スキマスイッチ 『奏』 歌詞付き PV
わたしは冠婚葬祭が苦手だ。とにかく儀式と名のつくものはみんな嫌いだ。そういうものからなるべく身を遠ざけて生きているんだけれど、さすがにそのすべてから逃げおおせることは……。
もちろん、お葬式が大好き、という人はいないだろうが(いや、油断はできない)、ライフイベントに奮い立つタイプの人っている。アニバーサリー好きな人ね。誕生日、結婚記念日、クリスマスを前にすると、どう楽しもうと徹底的に考えるのだろう。わたしは日常を静かにすごしたい。
そんなわたしだから、いざ自分がイベントの渦中に飛び込むと右往左往することになる。礼儀知らずだと思われないように意識するあまり、かえってぎこちなくふるまってしまうのが常。こんな自分がいやになる。
そこへ、救い主が現れた。斎藤美奈子の「冠婚葬祭のひみつ」(岩波新書)である。ほぼ十年前に出たこの本のことをもっと早く知っていたら……とにかく、目からウロコがバランバランに落ちる。「妊娠小説」「物は言いよう」「たまには、時事ネタ」「男性誌探訪」などでフェミニズム系の論客であることは承知していたので、なんで彼女が冠婚葬祭をとりあげるのか不思議だったけれど、読み終えて納得。のっけからかますかます。
冠婚葬祭とは、「生物としてのヒト」を文化的な存在にするための発明品だったのではないか。冠婚葬祭という儀礼の衣を剥ぐと、その下からあらわれるのは生々しい身体上の諸現象なのだ。結婚とは一皮むけば性と生殖の公認にほかならず、葬送は肉体の死。元服を迎える15歳前後は第二次性徴期である。すなわち冠は「第二次性徴の社会化」、婚は「性と生殖の社会化」、葬は「死の社会化」、そして祭は「肉体を失った魂の社会化」。儀礼は生理を文化に昇格させる装置だったのではないか。
……かましてるでしょ(笑)。気になる部分に付箋を貼っていたら、岩波新書がハリネズミみたいになってしまいました。シリーズ化して、紹介します。以下次号。
本日の一曲はスキマスイッチの「奏(かなで)」名曲よね。うちの生徒もお昼の放送で流しています。