山崎まさよし / One more time,One more chance
PART1はこちら。
なぜ通夜をするかというと、(これには諸説あるのだが)ほんとに死んだかどうか確かめるためだったらしい。昔の死の判定基準はあいまいですから。
……いきなりです(笑)。そうか、通夜とはそのためにあるものだったのか。そう考えれば、なぜ親族が徹夜までして(寝ますけどね)お線香を絶やさないようにするのかが納得できる。むかしは、よく生き返ったわけだ。棺のなかで気配がしたら現在でも要注意。まあ、いまではものすごく長持ちするお線香が用意されるので、遺族が熟睡していて覚醒に気づかないでいるかもしれません(まさか)。
さて、わたしが「どうしてそんなことに気づかなかったのだろう」と自分で自分が不思議なことも指摘されていた。
土葬から火葬への転換は、葬式のその他の面にも影響を与えた。
一例が「寝棺(ねかん)」の普及である。寝かせた姿勢で遺体をおさめる「寝棺」は、明治中期までは上流階級の専売特許。棺桶という言葉があるように、庶民のスタンダードは「座棺(ざかん)」と呼ばれる桶型の棺だった。墓地を効率的に使う意味でも、野焼きにするときも、面積をとらない座棺が合理的だったのだ。しかし、近代的な火葬炉で短時間に焼くためには、以前とちがって今度は寝棺のほうが適していたのである。
……むかしは土葬なのは承知していても、そういえば時代劇とかで見かける棺は確かに桶だと考えこむ。棺桶だよね確かに。黒澤明の「用心棒」では桶が大活躍だった気がするし、「七人の侍」では、七人のうち四人が亡くなって土饅頭になっている。
火葬が一般化したのは、効率よく人体を焼く方法が確立したからだと。むかしは大量の油や木材を消費するなどでたいへんだったらしい。つまり、冠婚葬祭についてごたいそうな理屈がくっついていても、“土地の問題”“焼却するハードの進化”といった、まことに下世話なことで変化しているのがここでわかる。
そしてこの土葬から火葬への変化は、ものすごく大きな影響をわたしたちに与えた。“墓の変容”だ。以下次号。
本日の一曲は山崎まさよしの「One more time, One more chance」ご存じ、桜木町の歌です。